夏は日本にいません。
何処に行こうかと考えていた...それこそ20年以上ずっと。
今ワタシの住所は4つある。それは倉庫だったり事務所だったり、作業場だったり本籍も兼ねた両親の住む実家だったりする。ホントは遠くの親戚のガレージだったり、見ず知らずの知人宅の納屋あるいは愛人1号のマンションそれとも韓国人ホステス宅かもしれない。勿論日常的なメインの住所はあるけどそれも流動的で、突然居場所を変えたりする。何かから隠れているか逃げているようでもある。郵便物はどこに送っても(そのうち)受け取ることは出来るけど、当然何処にもいつも居るわけじゃない。
鍵を持つのは好きじゃない。出来れば一つも持ちたくないけどキーホルダーにはダミーの鍵を数本付けている(以前アクセサリー用にと数百本仕入れた)。現実に借金取りや刺客に追われるハードボイルドでデンジャラスな生活は勘弁したい。 でも逃亡者を演じる生活は考え方をストイックにする。何が一番大切かということを日々意識させてくれる。
シガラミを背負うことから逃げているのか。鍵は大切なモノや人を守るという見方もあるけど、所詮気休めでしかない(と、思う)。居場所を転々とフラフラしているのは無責任で身勝手と言われても、実際そうでなくとも...仕方がないのだ。
一ヶ所に落ち着いていられないのは何処にも戻る場所がないようなもの。そして居場所がないのはある意味もっとも自由な状態だ。ジプシーやヒッピーと差異がないか?行動も発想も前提とするベースがないのは糸の切れた凧のようだけど、主体が凧なら物事の解釈は変わってくるしね。
以前ここに世界中のアチコチにバイクを置くハブ生活の話を書いた。非定住あるいは彷徨的生活は精神的な絶対価値を模索し続ける。不器用だからそうやって現実の不安定さを忘れるように形而上的な理想(...つまり空想?)に安堵感を求めてバランスを取ろうとする。
おそらくどこかでボタンをはめ違えたか計算ドリルに手を付ける順番を間違えたんだろうけど、一度順番を間違えるといろいろアベコベになったりする。
というわけで(?)、しばらくココは休みます。
戻ってきたら再開するかもしれないし、しないかもしれない(...しばらくってどのくらい?ずっとって?)。
リアルでもネット上でもコレっきりになってしまう人もいるかな。でも、どうであってもワタシは出会えた皆に感謝している。そして少しでも付き合って貰った人達に対して(勝手に)責任を感じている。ずっと沢山の人達に"生かされている"と思ってきた、これからもずっとそうでありたいからね。
お元気そうでなによりです。
いってらっしゃーい。
いってらっしゃい。気をつけて。
土産話を楽しみにしています。