トリコロールは赤と白と何色だ?
イタリア野郎にはverde緑だろしフランスかぶれはazur青だろう。
ま、一般的にもそんなものだろう。でもバイクにイタリアンカラーの塗り分けは恥ずかしい。
Agostiniアゴスチーニレプリカの3色(金色も入るけど)ヘルメットを被れないのは私だけだろうか。
やはりイタリア人にも基本色だけど日本人が赤白/紅白に抱くのと同じニュアンスらしい。
好感は持っているけどストレートに使えない色合わせだ。ナショナリズムを声高に掲げる国民性でない。
日本の風景には馴染めない気がする。門構えの松の下、真紅のフェラーリみたいなものだ。
一方フレンチトリコロールに抵抗がないのはワケがある。床屋でグルグル回っているからじゃない。
ホンダのIDカラー。バイクもウエアもそんなのばかりになっている。レプリカのコスプレアイテムだ。
これとてHONDAのロゴ入りは着れないからFOX物とかで誤魔化すことになるけど。
確かにメーカー製やバイク関連のアパレル物は沢山あるけどお金出してまで看板を背負いたくない。
作っていたせいかロゴ入りはノベルティで貰う物という意識があるし街着は他にいくらでもある。
ハレの舞台ならいいのか、外人なら神風の鉢巻きが出来きるようなものか...。
自分がPOPEYEかBRUTUSの世代かよく分からないけど、
少なくともアメリカ一辺倒じゃない。ブルータスは創刊から購読していたからananと合わせて平凡出版の洗礼は受けていたはずだ。
手元に残るワードローブは世代を問わないアメカジ物が中心だけどDCブランドブームを通ってきたし
モノの見方は捻くれている。クラシコイタリアも日本人には滑稽な嗜好だけど知識だけ記憶してしまう。
マンスリー・エムテイストの服を着てアウディTT辺りに乗っているとカッコイイオヤジらしい...。
お節介なセレクトショップの服は彼女ウケはするけど、金持ちのお坊ちゃん風にしかならないだろう。
流行のインテリアのにわか知識は薄っぺらでもいい。でもデザイナーじゃなければ余計な知識だ。
目新しいモノに興味は転々としても、歴史のおさらいをしているだけだ。それは再認識じゃない。
ずっと憧れていて、大人になって自分で買えるようになったからって手に入れてはいけない。
日本では何を持っても自由だけど、似合わないモノや相応しくないモノは自分でセーブしないと...。
全部繋がっているし、こんがらがっているから歳を取ったらお決まりのコーディネートでは満足しない。
バイクのおバカ雑誌って揶揄してるけど、氾濫する"もてるオヤジ"雑誌の方が余程中身がない。
ステッカーの在庫整理が大変だ。
注文が来て在庫切れに気付くこともある。
逆にないはずのものが何枚もあったりする。随時入荷してくる商品の分類が追い付いていない。
商品ページの改訂をする。ネット環境も良くなって掲載写真の鮮明度も時代に合わなくなってきた。
4年前写真は表示時間を考えて解像度/サイズを設定していた。今は気にしなくていい。
ケータイはあまり使わないけど、ハードの進歩とコンテンツの多様化はすごい。携帯対応も考えるか。
ヘルメットの参考ページを復活して欲しいという要望もある。サンプルは基準にならないけどね...。
もう昔のモノは要らないんじゃない?持ってる人はどんどん時代を遡るか程度の良いモノを
所望するけどキリがないことも見えてきたんじゃないかと...。出所は一緒だから
どこの店も同じような品揃えになる。見えないところで売っていると(直接注文ね)市場に
程度そこそこのモノは溢れている気がする。ダートラ関連のTシャツも市場のニーズはほとんどない。
賛否はともかくHONDAのアパレルショップで昔風のものは手に入るし...Metroメトロはもうダメだな。
世界中で昔のステッカーを高く売っているのはウチぐらいだから、そこらで徹底しよう。
100人のうちの2,3人のお客でいい...
と書いたけど、500人のうちの2,3人向けの商品もある。
それは売れない商品に区分されるけど、ステッカーの場合自分用の取り置きBOXに入ることになる。
ヘルメットやバイクのコスメティックパーツとして出番を待つわけだ。
レプリカマシンにはスポンサーステッカーがある。人気のあるモデルの当時物ステッカーは安価でない。
実際はカッティングシートで複製したモノでいいと思うけど、あれば手に入れたい心理も分かる。
取り置きBOXには変なステッカーばかりだ。自分がイイと思うのは一般ウケするものとはズレている。
でもそれらは複製されることのない、ほとんど1点モノだ。時代の雰囲気を演出するには欠かせない。
ステッカーは手軽なカスタムだけど拘ると難しい。意味のないモノは貼りたくない、背景が必要だ。
でも拘っているのを見透かされるのもイヤだからわざと曲がって無造作に貼ったりする...。
商売はマスで考えないと儲からないから沢山あっても限定品とか言って売るけど、これっきりがいい。
捻くれたお客を相手にすると一筋縄ではいかない。こんがらがったまま売らないと...。
あ、今日は妹の誕生日だ。オメデト。
人間何事もやっていれば慣れるものだ。
分数のインチサイズだって分かるようになる。
サイトもDreamweaverはまだしもJavascriptで作ったり、数基のキーボードの併用も慣れる。
もちろん興味のないことは手を出さないけど、先入観を持たなければハードルはないに等しい。
プロは生業のために余計なことも知らないといけないからアマチュアの方が純粋でいられるだろう。
通り過ぎた経験は良いことも悪いことも当たり前のことになる。でも好きなことは真っ直ぐでありたい。
目利きの目は本物だけを見ていないと育たない。デッサンの石膏像のようなもので素地が肝心だ。
昔ピンからキリまで知らないと全体が見えないと云われたことがあったけど、それはキリがないんだな。
ピンだけ見ていないと基準が曖昧になる。その他大勢はどーでもいい。融通は利かないけど
それが正しい。要らないモノは見ないこと、ベターではなくベストなものだけを見続けることだ。
先日のつづき。
素材/パーツがないと出来上がりのカタチが見えてこない。
漠然としたイメージはあってもディテールが鮮明でない。あれこれ現物合わせが必要だ。
もっともゼロから創るわけではないからそれほど大変なことではない。
モックアップを作るような作業ではなく、パズルを組み合わせるようなものだ。
ない部品は出てくるまで待つ。待つ時間を愉しむというゆとりも必要だ。
揃ったら手順を追って細かいところを詰めていく。納期はないし命を懸けているわけでもない。
カスタムやレストアの目的や方法も人それぞれで、フツーの人はファッションのひとつだしお気楽だ。
アメリカの旧車レストアはORG.がどうのということは気にしない。カスタムも"何でもあり"の世界だ。
アメリカのビルダーのカスタムマシンはそれはそれでいいけどどうもしっくり来ない。
日本でもそんなカタチに違和感を抱く人も多いはずだ。"そのまま"で満足出来るのなら幸せだ。
ゼロやサンダンスはアプローチの仕方は違うけど日本人のためのオートバイのカタチを目指している。
イタリア車がないのは単にドナーがないからかもしれない。
探さなければ目の前に現れることはないけど
"宝探し"が仕事だからどうしようもない。
問い合わせのあるモノ探しが前提だけど自分用のものにも当たる。店長の持ち物の出入りも頻繁だ。
売れない商品には手を出さないつもりでもパーツもワードローブも一向に減ることがない。
トコトン集めて数がないと全体は見えないしそんな集め方をしないと存在価値がない。
"無ければ要らないモノ"ということは分かっている。だけどどうせなら何処にもないモノがいいだろう。
商品に詳しくない人にも納得させるモノでないといけない。出所のはっきりしたモノは売りやすい。
ヘルメットはBELLやBucoが楽だ。ステッカーやパッチは難しい。本物ニセ物の定義が曖昧だ。
そもそもメーカー純正、ライセンス、ディーラー製作品等があるし仕様が管理されているわけでもない。
それでもステッカーはまだ仕様/印刷や加工、書体等で当時モノかどうかの判別は出来る。
パッチは当時のデット物といっても正規モノでないことがほとんどだ。並べて較べれば分かるけど
較べるホンモノがなければどうしようもない。拘ってほしい所だけど、どーでもいいとも思っている。
ウチはリプロ物を扱わないようにしているけど、他の店でリプロ品を高く買ってる人もいるからね。
これも自己判断と自己満足だ。モノを集めるのはキリがないし、私にはどうしようもない。
4,50年代のバイクをレストアするにしても
現代の道を走らせようと思ったらORG.のままは無謀だろう。かといって現代の作法でリペアしては無理がある。
電装の12V化やバルブシートの打替えは当然だ。ショップにお任せなら分からないままだけど
ないパーツはカスタム用のレプリカ部品を使って誤魔化すことになる。。
ピカピカに仕上げられた旧車に魅力は感じない。いかに手を入れていないように見せたいところだ。
ブレーキをディスクにするとか機能部品は現行品に変える。整備性・安全性といえば
誰もが納得するけどそれでいいのか。そもそも趣味の乗り物で"道具"じゃない。
使い途は限定されるのだからもっと拘っていい。"走ってナンボ"というのも真理だけど、
あるべき姿(...主観だけど)に妥協しなくてもいいはずだ。その点では何でもアリだとも思っていない。
昔からの定石や流儀は知らないと楽しめない。ルールと制約は必要だ。当時の雑誌等を捲って
空気を感じようとすれば見えてくる。自分が共感できる要素を反映させればいい。人に頼むなら
プロは現代の技術で修理するのが本望だから"目指すカタチ"を納得させないといけない。
何処の誰がいつどの時代のバイクを弄っていたかを考える。そうやって枠を決めないと始まらない。
MV150CRSは傷付クランクケースや欠けたフィンのDNAが車体全体に行き渡っていないといけない。
そしてここは21世紀の日本だ。在るべき姿を思い巡らすのも愉しい。
10万アクセスを前にサイトページを見直した。
ショップページはカートを使っているから放っておいて
他は自分のためのようなページだから細かくチェックした。リンク切れもそのままではいけない...。
管理はWindowsのマシンだけどMacでも確認する。ブラウザでも見え方は随分と違う。
視認性と読易性を考慮するとフォントの大きさは重要だけど個人的には小さい方が好きだ。
読んで貰うことを前提にはしているけどページの作り手の立場だとレイアウトを優先してしまう。
以前リンクのページを設けようと準備していたらダートラ関係が全部ダメになって
(これはアメリカのflattrack.comが無くなったから...その後復活したけど)その気が失せてしまっていた。
ドカのパーツ屋はキリがないとも云えるけど、そのリンクも日本の商売敵を作るため(?)には必須だ。
日記もそうだけど一応公に自分を見せておくのはいい。ちゃんと"イイ加減"でいないと、と自覚する。
対面商売をしていないだけにそこだけがお客さんとの接点だし、唯一の判断材料だから。
デザイナーは自分のHPを気合い入れて作ってしまう。でも肝心なのは内容だ。
ページそのものが作品なら見た目だけじゃダメだ。モーショングラフィック(動画)も"意味"がないと。
Webはなかなか面白い。プログラミングが必要だけど仮想の世界を構築できる。まだ可能性がある。
サイトページに凝ったゲームを作ってみようと考えている。商売抜きだからこれもいつになるやら...。
年齢で人は判断出来ないし...
職業と趣味は関係がない(田舎だと外見でおよそ判断できるけど)。
マスコミや出版や広告-そんな業界に居るとカタギ(その基準は何処?)な生活が出来ない。
余計な情報や無価値な価値観に振り回されて変なバランスの人間になる。もちろん個人差があって
何を変と思うかも人それぞれだけどあまりフツーの人は居ない。そこが都会の面白さとも云えるけど。
趣味がスポーツかコレクション、旅行になってしまうのは日本人でいると仕方がないのかもしれない。
愉しみをどこに見出そうとするか、価値観と優先順位の違う人が沢山居るのが世の中だ。
日本では社会制度等からの制約は感じない。慣習からの柵もヨーロッパに較べたら無いに等しい。
ただ枠組みがないと何をしたらいいのか分からなくなるのも事実で、手っ取り早い趣味に走ってしまう。
特別な趣味を持たずにいっそ無趣味でもいいのに、寝転がってテレビを観るのが好きとは言えない。
生きる上で不可欠か、というとそうではない。それがないと自分がないなんてポーズでしかない。
こなすだけで疲れてしまうけど、体面やプライドに支えられて人間関係は上手くいくのかもしれない。
頑張ってもそうでなくとも自分が意識していればどちらでもいい。アベレージが高い必要はない。
何事も過ぎたるは及ばざるが如し、か。
日本のバイク雑誌はショップのコメントのままウラ(確認)を取らない。
文字は読まないからいいのか。
書き手の名前を出さないのもなぜ?海外の雑誌は記事の文責の所在をはっきりさせている。
日本のジャーナリストの社会的地位が向上しないのはそこら辺にも起因するんじゃない?
プロ意識とモラルが欠如していないか?パーソナルな部分は別にして仕事はちゃんとしようぜ。
先人の仕事は知らないといけない。無知を笠に着て迂闊に口を滑らせてはいけない。
それは先輩に対する敬意もあって実際面識が無くとも意識しているものだと思っていた。
私はプロじゃないから大上段に蘊蓄を語れない、経験則をブツブツ言うだけだ。
日本は国際標準でない言葉のお陰で鎖国状態だ。プロに徹しない輩がのほほんとしている。
プロのバイク屋とただのバイク屋の差も大きいけど...ちょっとお金があればお店はできるからね。
みーんなおバカでいると世界はグルグル回るらしい。おバカなフリをするのもお利口でないといけない。
全てとは云わないけど...。と、そんなことに腹を立てていられるのは平和な証だ。
素人は相手にしていない。というと語弊があるけど
前提としている知識のハードルは低くない。
経験か勉強してある程度知っておいて貰わないと商品に納得できないことがあるはずだ。
商品の価値の分かる人しか相手にしていない。対象は100人のうち2,3人でいいわけ。
趣味のベクトルは人それぞれだから手取り足取りなんてしない。自分も分かっていることだけだし。
イタリア車も米フラットトラッカーいずれも昔のモノだから自分の手で弄ろうとする人でないとダメだ。
ウチはバイク屋じゃない。かといって厳密にはパーツ屋でもなく古物屋のようなものだろう。
パーツを何処よりも安く売ろうなんて考えていない。何処にもないモノを高く売るのが基本だ。
物事を知ろうとする意欲がなければ旧車に手を出さない。道具としての機能はほんの一部だ。
最初はカタチからでもいい。だけど本当に好きになったら自分でメインテナンスしたくなる、絶対に。
沢山考えて勉強して、あるいは手元に来てから乗って眺めて弄って勉強しての繰り返し。
何事も徹底しないと楽しくないじゃないか!
最近(も)MXブーツを買っている。
もちろん商品としてもあるけど自分用を買うのが基本だ。
全部売っちゃって自分のモノが無くなってしまった。もっとも実際に使われることはないだろうね。
アメリカのブランドでも製造はイタリア、FOXのブーツはAlpinestarsやAXO製だ。
90年代にプラスチック素材の使用でデザインは多様化したけど、経年でその劣化は否めない。
バックルは簡易脱着で便利になったけどそこがダメになる。革ベルトの穴止めがシンプルでいい。
ロボットのようになる前のフツーの革ブーツ。いろいろ見ていると機能は進化しているけど
どんどん安っぽくなっているのが分かる。ヘルメットも同じで好みはそこで止まってしまう。
自分の年齢とは関係ない。機能を優先させるほど最先端の本気(?)はないから観点が違うのだろう。
Hi-Point/Alpinestarsスーパービクトリーのことは前にも書いたけど、MADMAXの人気はすごい。
以前は容易に手配できたけど今はダメだ。国内のネットオークションでも2万円は下らない。
何の関わりもないヒトにとってはただの汚いブーツなんだけどね。モノは思い入れだけか...。
ブツブツ言っていても自分のことを棚に上げてということはしたくない。
かといって聖人や聖職者でもないから書いていないことはテキトーでダメだと思って欲しい。
子供が居たら赤信号で道を渡らないけど、年金は払ってないから国民の義務を全うしていない。
言動に責任を持たないといけないから無口になるわけじゃないけど、SAVE DOINGなわけだ。
未来を見越しているわけでなく現状に振り回されていることもない。浮游感は不安なわけでもない。
出来ることや分かっていることを70%のチカラでこなすのは継続をもって100%に近付ける必要がある。
それより新しいことをやっていきたいと考える。力を出し切っていないと120%の結果にはならない。
人生まだ半分かもしれないけど、"ご教示やご鞭撻"はあまり身に付かないということが分かった。
ヒトの言うことに耳を傾けるのは自己責任で選択は本人の意志だ。
たとえ上手くいかなくとも後悔しても仕方ない。選んだ道がいつも正しい、と思うしかない。
鍵は秘密の数あるいは柵(しがらみ)の数だ、というのは以前に書いた。
アンティークの鍵(Key)を仕入れた。スケルトンや鉄扉用のものもあるけど70~80sの中古の鍵だ。GMやシボレーの四輪用、いずれにしても二度と相方と出会うことはないから本来の使い途はない。ただ使い込まれた鍵は趣がある。真鍮のエッジの取れた鈍い光沢がイイ感じだ。クラフト/工作用の素材のつもりだけど、そのうちのいくつかを\"何処にもない\"商品にすることにした。
キーホルダーに付けて販売する。昔のキーホルダーは途中で投げ出してそのまま大量に残っている。つまり「鍵付きキーホルダー」。付いてる鍵は使えないから使うカギ以外はキーホルダーってことになる。腰にジャラジャラぶら下げたいけど部屋のカギ1個しかないとか、安っぽい造りのものは情けない...なんて、思っている人もいるかもしれない(...という話を聞いたことがある)と勝手に対象を想定する。
ホントは秘密も柵もついでにお金もないけど、ありそーな方が大人っぽいじゃん?て感じ。至れり尽くせりのお仕着せは日本人の悪い癖だけど。
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【本日の写真】最近のキーホルダー
カチャカチャすると煩いけど鍵よりホルダーの数の方が多い...。
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