毎年月日の経つのは早いと言って一年が過ぎていく。
年を重ねる度にそれを痛感するのは慣れて擦れてしまっているからに違いない。師走も正月も特別なことではなくなってしまった自分が居る。周りがせわしいだけで自分は関係ない?でも、いつもまだそうでない年代がいるし伝統や慣習を継承していく意味で区切りとけじめは大切だ。クリスマスのレースを外してシメ飾りを掛けたり、一日違っただけで空気がガラッと変わる。そういう切換えの繰り返しが日本人のアイデンティティを形成している。他国にはこのリセットする感覚は無いだろう。大掃除ってほどのことはしないけど、パーツ用のステンレスたわしでコンロの五徳を磨いたりする。幸い天気も穏やかでテレビを見ない私にとっては静かな休日だ。昼夜の逆転はいつものことだけど暴飲暴食は気を付けよう(しないけどね)。で、今日で今年も終わり、また新しい年だ。皆々様どうもありがとうございました。来年も宜しく。
今日は〆のバイクの話。
チマチマMV125GPのこと。フライスクリーンを手作りで誂えたけど、実は納得していない。そもそもKroberクローバーのタコのウラ側の見栄えが良くなくて必要なんだけど、すっきりしない。別のカタチもあるだろう。純正品にこの手のパーツは無いけど、50年代のレーシングマシン然とするわけにもいかない。MVの資料を調べるとプレキシグラス*のシールドを付けた車両がある。手元には750Sや350Bの写真しかないけど多少大きくても素通しだから重く見えない。このためではなくとも、カウルはコレがいいかなと考えていた。マーニ車のようなハーフカウルもアリだけど、突き出たHライトはイヤだし、なるだけコンパクトにしたい。そうは言ってもこれしきの事で型を作って成型加工なんてしたくない。...その方が手っ取り早いのけど。割れたカウルのシールドでも加工して作ろうかね。...あえて終わらせないようにしているみたいだ。
*プレキシグラス(Plexiglas)はアクリル樹脂だけど正確には不明。
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【本日の写真】で、その風防(シールド)
元はフルカウルからそのまま型取りしたような感じ。ライトレンズのRと合わせないといけない。
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ページで「センスはバランス」を謳っているけど、それは適材適所...モノにはTPOがあるってことだ。
MV125Sはクルクル走るのが楽しい。でも非力だし荷物は積めないからツーリングには向かない。シフトをこまめに回転を落とさずストレス無く走らせる...他の事を考えないで集中しないといけない。MVに限らずイタリアの小排気量車は純粋にバイクを操る愉しみを教えてくれる。FT250(CB250RS)は特化した取柄が無い。そこそこ走るしエンジンのカタチも悪くない。でも眺めて磨いてっていう楽しみがない。敢えて言えば、耐久性はあるから長く乗っていられるバイクに違いない。飽きないというのは最大のメリットかもしれない...。そこをカスタムしてディテールのクオリティを上げるのは根性が要る。バランスを考えると現状で終わりだろう。RS600Dは特化し過ぎて汎用性がない?まだ判らないけど高速巡航タイプでもないし...。そもそもレーサーだから耐久性やメンテナンスフリーでもない。手間は掛かるし神経も使う。で、それぞれに相応しい"出で立ち”がある。ほどほど拘ったカッコが不可欠だ。コスプレとまではいかないけど自然であるためのギアだ。ヘルメットはバイクに合わせないと変だし、乗り方/ライディングスタイルも異なるからウエアも違ってくる。自分の持ち物はそれに準じているから使い途のないモノは商品になる。手元に留まってコレクションにならない。モノの数はあるけど収集しているわけじゃない。自分が欲しかったり、イイと思うモノを仕入れているけど。パーツもそうだ。使う予定のない部品はどんどん売ってしまう。ずっとそうしてきたからこれからも変わらないだろう。だから「バイク屋」なんてカテゴリーに嵌めようとしてもダメだ。どちらかと言えば「カッコ屋」だから。スタイルをつくる、ということは生き様を見せるということだし...。
以前はこれが絶対!ってモノがあったけど最近はそうでもない。
選択眼が甘くなったわけでなくて、何でもアリと思うようになったからだ。ここでの対象は無くて生活に困るようなものじゃないから、選択は緩いコードだ。でもだからこそ自分にとって煩(うるさ)いモノはじかれる。たまに掛け違えるけど売り物用と自分用のフィルターがある。ただモノに振り回されているのは楽しくない。NEWモデルが出るたびに一喜一憂していたらキリが無い。バイクも性能と快適さを求めたら新しいモデルになる。それはそれで否定はしないけど、Basta!(もう充分!)って感じ。昔のモノに拘るのは良し悪しは別として出来上がった評価の安心感に浸るということかもしれない。アウトローのはずのバイク乗りだけど、オールドスクールな旧車好きは保守的ということか。
今日は主婦の話。
作業場の冷蔵庫にはいつも野菜ジュースが入っている。伊藤園の「充実野菜」だ。
ドーンと缶ビールとかが並んでいると「男らしぃー!」のかもしれないけど、飲まないからね。
で、その「充実野菜」は季節ごとに限定品が出る。今はゆずやしょうがの入った冬野菜バージョン。
当然ゴーヤの入った夏野菜やサツマイモの入った秋野菜なんてのもあった。
秋野菜バージョンは高かったからかすぐ無くなった。季節限定品は値引きして売られないことが多い。
オリジナル?はもう定価がいくらか判らなくなったけど、コンビニ等では1本3百円ちょっとのはず。
でも安売りの薬屋やスーパーでは¥178-がセール価格で最近は¥168-なんてこともあるな。
一度その値段に慣れてしまうと¥198-なんかでは買わない。無くてもいい飲み物だから。
ミネラルウォーターもボトルで買っている。1年ほど前は1本(2リットル)100円が相場だったけど
今は90円を切っている。その値段で流通してしまうと宅配のミネラルウォーターの業者も辛いよな。
確かに産地による味に違いはあるけど、美味しくない水道水に比べたら何処のでもいい。
コーヒー豆もどんどん安くなっていくけどやはり安いものはそれなりだ。
一通りいろんな店のブレンド豆を飲んでみたけどエクセシオール(エクセシオール)*の
ブレンドが無難かな。お茶代わりの私は挽いた豆のパック売りで我慢しなきゃいけない?
*この2つどちらもドトール系列のお店だけど紛らわしいよね。
昔のアメリカ製品を扱っているとメーカーの衰退の歴史が見えてくる。
BucoブーコもBatesベイツも勢いのある時期(それぞれ50年代と70年代)の製品は良く作られている。
大量生産が進んで生産拠点を海外に移していくと次第に品質が落ちる、管理が杜撰になる。
会社が大きくなると仕方がないんだろうけど、いろいろな製品を作るようになるとダメになってくる。
靴屋は靴屋のままでいるのがいいようだ。そもそもアメリカ物はファッションと関係の無いところにあるし。
皆アメカジから入っているけどそのまま一途にMADE IN U.S.A.に拘っていないだろうし、
目にしないのは単に流通の都合で世の中にはもっと面白いモノや良く出来た製品は沢山ある。
ワインの当たり年と同じで何年の何処の製品はいい、という感じだ。
だからセレクトショップの別注とかも判らなくもない...必要かどうかは別として。
現代の趣向に合ったデットストックならお宝かもしれないけど、そう都合よくはいかない。
ヘルメットもBELLベルは本気で作っている感じがする。その他大勢のメーカーが消えたのも頷ける。
いつのまにか、リペア待ちのヘルメットが10個以上溜まってきた。正月休みなんてないしなぁ...。
重ねてMV125Sの話から。
最初は自分で組んでいないけど後からENG.以外ほとんどの箇所を分解している。
だから何処にどんなビスが使われているかは知っている。オリジナルでない部分もそうだ。
生産台数が少ないだけに同じモデルでも出荷時期で構成パーツが異なる。メーカーも造りも
一様ではない。そこが面白いし、だからイタ車はオリジナルがどうのと拘っても仕方がないんだけど
やはり身近な自分のバイクが基準になってしまうからいつのまにか思い込んでいることがある。
シートBOXはプラスチック製だからクラック入り易いよな、と思っていたけど今度のはFRP製だった.
実はそこはいろいろなカタチのものが存在するから素材違いは大したことではないけど
今までに確認した4.5台が同じ仕様だったから、そういうものと思い込んでいた。
ORG.のコンディションに拘る方ではないけど、知っていると違うトコロをずっと意識していることになる。
そういう点でも今度の物件はORG.に忠実にレストアしようと考える。作業は面倒だけど
アタマは使わない(ただゴム部品はどうにかなるとしても、塗装はどうするかと考える)。
それが終われば無用に拘っていたことから開放されるに違いない。...なんか修行のようだ。
MV続きのバイクの話で申し訳ない。
長いことパーツの手配をしていると余計なパーツや間違って送られてきた部品が残っている。
大物はいいけどペアでないと使えないカタワレとかチマチマと集めていた細かい部品がある。
MV125Sのマフラーはフレームにビス2本止めで、間違えて1本だけ送られてきたことがある。
別に特殊なものではないけど、ほとんどのボルト類をステンレスに交換していたから必要無かった。
で、今回やってきたMVはなぜか一方がない。このボルトがバイクを引っ張ってきたのかと思った。
F.ブレーキディスクは6点リジット止めだけどカスタムした際フローティングにしたから不要になった。
ブレーキは一式処分してしまったけどその6本のボルトとキャリパー用の2本のボルトがある。
ついでに再メッキしたからそのまま使える...。新品ディスクも1枚ドイツに取り置きがある。
5速用のガスケットやシール類も一揃いある。それらは150CRS用にと考えていたけど
本来は125Sのものだ。もっとも少し前までステップもペダルも新品を持っていた...。
売らなければ良かった...なんて考えちゃいけない。それはずっと繰り返していることだから。
すぐには取り掛かれないけど、少しキレイにしておこうと掃除をする。今度はどのくらい(費用が)
掛かるか?そういえばと思い出してカスタムの参考ページを作りながら驚く。
バブリーな時代とはいえお金掛けすぎ!二人目の子供にはお金を掛けないのは世の常だけど、
それと同じでRS600Dはけなげなものだ。こっちが動けば遠出が出来る。
というより全国行脚と行こう。那智勝浦だって行ける...。
サイトページを作っていて気付いたけど最初のMVをカスタムしてからもう10年になる。
つまり手に入れてから20年は経つということだ。長く生きていると平和な世の中なんて無いと
諦めてしまう。身近のハッピーをかき集めてめでたしめでたし、満足の欠片がいっぱいあれば
幸せと思うようになる。自分自身は変わっていないと思っているけど
周りの状況は年月分変化している。昔に戻ってもう一度繋げようとしてももうくっつかない。
人間関係も3年会わなかったら無くてもよくなる。別の方向に歩いたらどんどん離れていくよ。
皆年を取ったし、疎遠になっていつのまにか亡くなっちゃってたり。
世代も交代して生物学的には繰り返しだけど人間一度折り返したらもう一回ってことはないし...。
やれやれ、生きた時代の良い部分を次代に受け継いでもらうようにと殊勝なことを考える。
いやいや、ジジイの戯言みたいなことをブツブツ言っていると一気に老けてしまうぞ。
死ぬまで突っ走るぞ!と気合と鞭を入れる。太く長く生きてやるー!
事務所の電話はほとんど使わないからうっかりすると止まっていたりする。
ま、ケイタイも用事があるときだけ持ち歩くから同じようなものだけど。
ファックスが送られてきて何も写ってないと思うとインクのカートリッジがカラッポだった。
今どきでもアナログ機器を放り出してメールとメッセで仕事が済んでしまうのは特殊かもしれない。
だから終日人と口を利かなかったりする日もあって、外でたまに人と会うと思わず饒舌になる。
人に溜まっていたことを吐き出すみたいで、聞くほうは堪らない。相手のことなんて考えてない。
仕事に土日休日は関係ないし一週間のローテーションもはっきり決まっていないから
忙しかったりゴタゴタしてるとその"タンク”の許容量を超えて溢れ出してしまう。
「タンタンコツコツ」は長生きの秘訣だけど、やっぱりオーバーレブは長持ちしないよな。
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【本日の写真】ドナー(Next One)到着
RS600Dと入れ替わり、前に書いたもう1台のMV125Sがやってきた。前後タイヤ共CEATとオリジナル度の高い本国仕様。フルレストアが前提だからパーツ集めは必要ない。苦難の旅路が待っているのは確かだけど出発はいつになるのやら...。侘びサビも味のうち、といえるのか(...サビは"寂び"でしょ)。
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年賀状はメールでお送りします。
実物/現物が必要な方はサイトページにPDFデータをアップしますので、申し訳ありませんがダウンロードしてプリントアウトしてくださいませ。
資源と経費の節約ですが、お付き合いの軽減ではありませんのでご理解ください。
最近は名刺も作らないし、ハガキも印刷しない。紙に残すほどのことのない内容だけど、確かに味気ない。
だからかえって手彫りの版画にしたり、アナログな手法が注目を集めたりする。
手書きからワープロ文字になって、プリンターの描写精度が上がって家族写真の年賀状はともかく
印刷会社に頼む必要もなくなった。そもそも個人では枚数いらないからね。
皆がメールでコミュニケーション出来るとそのあいだのハードの進化というか、は行くところまで行って
上り詰めてストンと落ちた感じがする。日本の正月の慣例を否定するつもりはなくて
そのうち筆文字の宛名で1枚1枚刷った版画で送りすることもあるかもしれない...。
今はモノが溢れているから、ここはいいけどここはダメ、これはしょうがないってこともないでしょ。
そう思うことがあったら...思う人は他にも居るから、誰かが全部好きになるようなモノを作ってくれている。
"出来損ない"はたくさんのニーズがないから残っているようなもの。
オーバースペック/過剰品質は余裕とかゆとりって言葉で置き換えられるけど、やっぱり余分なんだ。
そう思うと見た目スッキリ、スタイリッシュなモノでも用途/機能以上にデザインされたものはNGだ。
...ホントは場違いなところにあるだけでモノに罪はないけど。
世界基準とか云っても所詮先進国の驕りの優越感だから、ちっともフツーではない。
無駄なデザインは社会の成熟を示すバロメーター?が、どうした?そんなの要らないだろ。
生産コストと市場価格のバランスが違うから世界にはそれ以外のフツーのモノがいっぱいある。
アフリカや中国とか飾り物にしかならないものは別にして人件費が安い分手の込んだ製品もある
(過剰装飾ってのも無駄だけど...)。エコロジーとかも人間資源から考えないといけない。
これからは単なる生産基地じゃなくて/経済効率が優先したゴミづくりは終わりにして
もうモノ珍しいものなんてないし、現地の特色を生かしたモノづくりに移行すべきだ。
凝ったソースのフランス料理よりシンプルで新鮮な食材のサラダの方が美味しい。
モノの選択の出来ない方が生活が豊かな感じがするのはなぜだろう。
まだ決めてないけどそろそろ決めないといけない。
年賀状の話は先月書いたけど
印刷でいくかどうするかまだ迷っている。ずーっと思っているけど要らないんじゃないか。
経費が掛かることもあるけど無駄なことのような気がする。紙の無駄遣いとも言える。
メールや添付データで充分でない?"現物"が必要ならPDFデータからプリントしてもらえばいいかと...。
森林破壊の抑止、環境保護を謳うつもりはないし、つくるのが面倒になった訳でもないけど...。
アナログのお客さんも居ないわけじゃないけど切換え時かもしれない。
遅くなると年賀切手売り切れちゃうからなぁ...。
100人のうち2人の商品を扱っていることもあるけど対象は不特定多数ではない。
リピーターが多い...それは一般受けしないことでもあるけど、ただモノを売ればいいわけじゃないから。
対面商売でないから商品がキモで、自分が抱く同じニュアンスを汲み取ってくれる人でないと難しい。
ヤフオクのアクセス数とウオッチリストに入れてくれた人の関係は面白い。
ウオッチリストに沢山の人がチェックしても売れるかどうかは関係ない。アクセス数も同じだ。
安く売るのなら別だけど。だから出品するカテゴリーもそうだけど検索で引っ掛からないようにしたり、
ピンポイントの嗜好の相手を探してみる。釣りも糸を垂れる場所やエサ、深さで食い付く魚が違う。
乾いた回転寿司は霧を吹いてももうみんな判っている...。サイトも沢山の人に注目されるより
新鮮なうちにこっそり見つけ出してもらった方がいい。アクセスカウンターも10万を越えるまでは
ちょっと気にしていたけど、どうでも良くなったから外しちゃった。先日書いたblogブログの件も
そんな意味合いもある。やっぱり質と濃さでしょ、サイトの店長はほんの一部だし。
今MV125Sを持っている人は自分の趣向とリンクするところが多い。
年代もそうだけど"MVは4気筒"、でもない人だ。4気筒を持っていると趣味がズレてしまう。
他のモノとのバランスが良くない。嫌いなわけじゃないけど...。
125SはプアマンズMVじゃなくていろいろの内のひとつで"今さら30年前のバイク"にも訳がある。
大したことじゃないけどいろいろやることがある。
ひとつひとつ片付けた方がいいのだろうけど
あれもこれも齧り掛けが習性になってしまった。持ち物も考えていることも整理しないと、と思う。
今は一所に留まっていない生活だから腰を落ち着けて物事に取り掛かるのが難しいけど
考え方はずっと変わっていないからまだ大丈夫と思っている。もう折り返しちゃったかもしれないのに。
新しいことも嫌いじゃない。面倒なことも便利さを考えると苦でなくなる。
でもバラバラになってどこかへ行っちゃうから文章はWordじゃなくてメールの下書きに書いちゃうけど...。
今度はこの日記もBlogブログに移行しようと考えている*。そもそもこのカタチである意味はないし。
ちょっとお勉強しないといけない。楽しいことは苦ではないけど、面倒だな...どっちが先だ?
メールで何でも済ませて物覚えが悪くなったとか言われるけど、年を取ったら人間どこか
不自由になるに決まっている。だから目を患ってから"居ながら、何処ででも"仕事が出来るよう
考えてきた。足腰が動かなくなっても、目が見えなくなってもPCの箱さえあれば
世界と繋がっていると思えるに違いない。独りでは生きていけないけど
何より独りで遊べないとつまらない。つまらない大人になるな、と思ってきた。
折り返し地点を回ったらスタート地点に戻るのか?でも誰も何処が折り返し地点かも知らない...。
*以前このコラム(?)は日記サイトに掲載しておりました.