モノでも達成感でもいいけど
何か欲求がないと労働意欲、あるいは創作意欲が失せるか...。
先のエントリに繋がるけど欲求不満が意欲の原動力なのかもしれない。つまりモチベーションを上げておく為には常に満足してはいけないということだろうか?
名誉や権力、金銭欲は無い(あったら健康食品でも売ってるな)。名声が欲しいか?生理的な欲求は別として、性愛の欲求や食欲というものも実はあまり無い。現状に満足してるとか、飽きているということじゃない。想像出来るモノに満足してしまったということはあるかもしれない...無くともよろしいってことで。
大切なのは覇気だと教わったことも忘れていない。...残っているものは何か、強いて考えるとモノを生み出すという欲求だろうか。さて、ではその目的は何だろう?
以前次代に何を遺すか、想いを受け継ぐということを書いた。個人的にはMV150CRSは自分の子供に残すためだ。モノを押し付けようとしているわけではない。財産を残そうという意味もない。そこに遺志を込めて"想い"を受け継いで貰いたいという我侭だと思う。でも今変わらずに遺せる意思はそのくらいしか思い付かない。だから車両の完成は急いてないし、極端に云えばガラクタのままでもいいかなと。
持ち物はその人の嗜好を表して書棚に並ぶ書籍と同じように思考をも伺い知ることが出来ることがある(例えば...ワタシはビニールの傘しか持たない、とか?)。残る(あるいは残らない)モノは時代・世代を超えて想いを伝える媒体に成り得る。カタチとしては伝承でも口承でもいいわけだけど実体は言葉以上に雄弁だから。ま、後は勘違いされても本人には分からないから、如何に死ぬまでに自己満足できるかということだけど。
人間は生きているうちに世の中の全ての事象を理解できるわけではない。だから学習による知識や洗脳による妄信は無知は幸福であることを再認識させてくれる。また全てを知る必要もない。自分の生きていた証(あかし)は銅像や石碑ではなく平穏な死を迎える自分の満足感でもないはずだ。人生に完結は考えられないから死ぬときは寸断でいいだろう。残る人々の心にこそ想いが刻まれて残るものだ。
と、最近うしろ向きに振り返って歩いてみたりもする。
でも私はタタミの上で死んでたまるか!と思うのだ。
きっと派手好きなんだ。
ワードローブのアウターは赤やオレンジが多いし(サイトページで確認しておくれ)。街を歩くと周りが地味なんだな。特に最近の出没地域は東京でも"ジジイな"東部だから、きっと浮いているに違いない(自分は見えないから...)。人いきれでシンドイ反面渋谷辺りの原色の溢れている街の方が居心地は良かったりする。
高品質ってのもどーも苦手だから最近ツイードのジャケットやカシミアのコートは出番も無い。フランネルのJKTは洗濯機で水洗いしてヨレヨレにしちゃうから、"オトナでオサレ"な世田谷地区や新しい横浜の街はどうも馴染めなかった。
5,6歳の頃赤いシャツを着てベレー帽を被っていたくらいだから、人と同じモノやコトがイヤなのは今更直らない。根がアバンギャルドなんだろーな。
カブリ物は似合わない、らしい。顔が大きいわけじゃないけどジェット型のヘルメットはどこかオカシイ、らしい...。帽子は好きだからよくニットキャップは被っていたけど周りのウケは芳しくない。ファッションは所詮自己満足だけど、そう云われると少しは気にする。最近CA4LAの革製クロッシェが気に入ってるんだけど...。
ちょうど黒ずくめのコム デ ギャルソンの時代だけど黒い服ばかり着ていた頃があった。ヨハネス・イッテンにカブれて色の組み合わせが面倒に思っていた頃でもあったから黒一色は楽チンだった。茶色の靴は背伸びする感じがした。今は黒い靴の方が着こなしが難しいと思うけど...。ファッションで遊ぶのは散財して懲りて学習するという経験も必要だけど、自分のスタイルを持つという意識だよね。
日本に居ると選択する自由というか選択肢が豊富だから何でもアリだ。それは階級/クラスとかTPOとかの制約が曖昧なこともあるけど、周りの評価はどーでも良くて無関心になっている所為かもしれない。フツー(一般的に)他人との差別化は個性という言葉で置き換えられるけど、日本の場合は嗜好が多様化して市場も混沌としているから一概にそうは云えない面もある。だから様式や流儀に倣ったスタイルも新鮮ではあるけど...それもそんな雑多な趣向の一つか。
少し前雑食で無国籍は日本人の特性であると書いた。日本は食べ物も衣類も身の回りのもの全てが世界中から寄せ集められたモノに溢れている。もちろん何でもあるわけじゃないけど、少なくともピンのモノは揃っている。おそらく世界で一番洗練されたモノが集まっている。でもショーケースの中身は日本に在っても意味の無いもの、根っこのないモノばかりだ。最初にモノ在りき...コーヒーより先にエスプレッソマシーンがやってくるようなものか。実際モノの本質はそのキリのモノにこそあると思うから、料理もそうだけど本質はその場所に行かないと見えない...あるいは外からしか意識することが出来ない。
ま、見えなくていいのか...見えちゃうとどーでも良くなって経済が動かなくなっちゃうから、
島国日本万歳!ってことか。
存在は実体だけどイメージは浮遊する
リアクタンツのサイトは9月末で開設して6年目を迎えた。元々ショップのHPはガラクタを売るためじゃなかったけど...何だったっけ?
そもそもショッピングページは後付けなんだよね。単に趣味のページ(今はメンテナンスを放置しているトコ)のようなものからスタートしている。サイト自体は順調というか、存続させて貰っているから有り難いことだ。個人的にはゴタゴタがあって月日が経つのが早いような...否、長かったような気もするけど、(頑固だから)自分はずっと変わらないスタンスで生きている。
発端は居場所に限定されないビジネス(商売)の形態だった。それはサイトページにON THE EARTHと書いているように実店舗は不要と考えていた。今はチマチマした小物の常時在庫品があるから倉庫が必要だけど、当初は依頼を受けて車両(バイク)やパーツを探すというカタチだったから。大事なのは自分を信用してもらうこと...モノの実体に依存している商売ではあるけど、客の求めるイメージが確立していれば実体は不要だと考えている。もっとも興味のあるものは沢山あって自分のモノの置き場所も考えないといけなかった。海外に居てもいいけど現実的な問題はブツ(実体)の受け渡しになる。日本以外の何処からでも商品の発送は可能だけど、送料や紛失等のリスクを考えると実際的じゃない。在庫品に限っては今のところ日本国内からの発送が現実的ということになる。ま、誰かにやって貰えればいいんだけどね。
最近も在庫品や自分の持ち物の処分をしている。H-DハーレーのKHには行かない(売っちゃったし...)だろうし、バイクはちょっとアメリカから離れている。と言ってもRS600Dはアメリカ育ちだし、旧車のイタリア物パーツはアメリカからが多いから関係が切れることは無いけど。ほとんど自分用のCAMEL PRO他フラットトラック関連グッズは販売するにしてもオモテに出さず裏取引だし、もういいか~という感じ。ここ5,6年のうちに20年くらいイメージしてたモノは手に入れちゃったから、古いモノは要らないかな、と。
先日Chimayoチマヨジャケットの話を書いたけど、これは毛皮のライダースと繋がっている。以前ラビットのリアルファーを使ったライダースJKTを作ろうとしていた(昔の日記に書いた)。それが近年ファッショントレンドになって、そうなったらやる気は失せるから作業は放置したままだ。そのラグジュアリーな雰囲気が六本木ABC仕様MVにはもってこいだったんだけどね(その青山ブックセンターもなくなっちゃったし)。で、同時に素材違いのライダースJKTを考えていた。Lewis Leathersルイス・レザーとCOMME des GARÇONSコム デ ギャルソンが組んでツイードのJKTを作ってるけど、そんな感じ。でもそれはやはりイギリスのモードっぽいから、アメカジ路線ではどうかねと。それがチマヨの生地を使ったダブルの綿ライダースなワケ(実用だからベクトルは逆だけど)。まー、チマヨは縦糸が弱くてすぐ切れちゃうけどね。
これはリメイクで在りもののリサイクルでしかないけど、使い古したようにエイジング加工してる新しいモノなんて要らないんだよなぁ。