ウサギが一羽二羽...
「ウサギ増えすぎて堤防が危機」というニュースは
Yahoo!トピックスより先にココで知ったんだけど。
ウサギの脳ミソを食したことがある。
もう20年になるかイタリア語が全然分からない頃、ローマのトラットリアで
「↓これ美味しい?」ってメニューを指差して注文した料理だ。「Bollito dal Carvello」だったか、
何の肉だか書いてなかったと思う。ま、そう訊かれて不味いとは云わないよなぁ^^;
あいにく写真はないけどそのまんまの塊...Brainブレインのイメージを思い浮かべて欲しい。
あ、サイズはウサギのアタマね。グレーのウネウネでちょっと光沢がある。
脇に同じく茹で上げたグリーンピースが盛ってある。グロテスクといったイメージはないけど...。
レバーのようで、フワフワした食感。不味くはないけど素っ気無い塩味で飽きる。半分以上はフォークが進まなかった。そのトラウマというか、ヴィジュアルの印象は後々夢にまで出てくるほどだ。
それは映画『Hannibal』ハンニバルに繋がるか...そっちの舞台はフィレンツェだけど。
インチキ(失礼)Vincent Galloヴィンセント・ギャロの映画に
『the brown bunny』ブラウンバニーというのがある。
一言で云えば「情けないバイク野郎の恋物語」、か。"らしい"といえばそうだけど、作品は自慰的に完結してて面白くない。新鮮味に欠ける...映画でありふれた風景は観たくない、という感じか。
で、「Free & Easy」誌に掲載された写真の彼が
↓MichelinミシュランのナイロンJKTを着ていた。
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それに憧れるのか彼女がファンなのか知らないけど、
このところそのジャケットの人気が上がっている、らしい。
お陰で仕入れれば売れるけど、ワタシ自身はあまり好きでない。
数年前ラビットファーのライダースJKTを作ろうとしていた。
ファッション界はしばらくの間、動物愛護の観点から毛皮が敬遠される傾向にあった。
けれどそんなこと云ったら皮革製品は全てダメということだろう。意味のない自粛は反動でか
同時期に複数のフェイクでないファー使いのコレクションが発表された。
型押しはもちろんクラック・ダメージや表面のアンティーク仕上げ、洗いをかけた加工等、
ブロークンなファッションも行き着いた感じで、そろそろエレガントな要素が求められていたのだろう。
結局ワタシは手が遅いから、機先を制されたらやる気が失せる。
分解されたドナーのJKTと牛2頭分のなめし皮は部屋の隅にぶら下がったまま。
リベット止めでRivet Jacket(Rabbit Jacket)を考えて日本にない規格サイズのアルミリベットや
デットストックのTALONやConmarのジッパー、Silver925のオリジナル引き手まで用意したんだけど^^;
で、うさぎと云えば、上野の「うさぎや」1., 2., 3.。
たまーにココのどら焼きをお遣い物にする。
忠三の銅鑼焼より大きめでカジュアル度が高くイヤミがない。
「うさぎや」って日本橋にもあるんだけど、暖簾分けってわけでもないんだよねぇ。
ドラ焼きというとドラえもん、「文明堂」の三笠山だけど、
以前日本橋(店)で販促のプレゼンをしたことがある。
でーもね、「ダメだこりゃ」って感じ、新しいことはやりたくないみたい^^;。
この「文明堂」ってお店は沢山あってややこしい。
知ってるだけでも横浜(実質HPはコチラ)や日本橋、銀座とあるし。
ロゴマークを見ると繋がりはありそうだけど何処も詳しく書いていない。
ま、どーでもいいや。
[オマケ ] うさぎ饅頭 ってこんなにある!
趣向を示すモノやコトとの関係性がその人の人間性を浮き彫りにさせる。
マーケティングの世界では常識だけど、より細かいカテゴリー分けがフレキシブルに出来れば
「この商品を探している人は、こんな商品にもピクピクしています」的な販促に活用できるね、
と思うのだよ。
何でもござれ
建築家ミース・ファン・デル・ローエのless is more(少ないほど豊かである)という言葉に象徴されるモダニズムが目指した簡素で合理的なスタイルに対し、アメリカのロバート・ベンチューリはless is bore(なかったら退屈じゃん)という言葉をキーワードにポスト・モダンの流れを創った。
家具や食器も同じだけど、北欧のデザイン物はスッキリしてるけどモノとしては物足りない。デザインが主張し過ぎるのはNGだけど、やさしいデザインっていうの?そういう毒気のないのも好きじゃない。Danskダンスクの陶製カップがイイと思って買い求めた頃もあったけど食器はセットで揃えたくないし、木目のインテリアとか富良野の森の暮らし?とかが浮かんできてしまう。Eamesやパントンがもてはやされるのも分かる。いや、全然否定はしないけどワタシの趣味じゃない。
MUJIやFrancfrancのも単品ではもたないし、かと言ってそれだけ(で統一する)ってことはあり得ない。先日覗いた香港のショップGODも幅広くいろいろな製品を作っていたけど、目に留まるのはちょっとズレた小物くらい。↓アパート柄のバックとかフロッキープリントのスウェットとか。
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The Conran Shopは価格帯がズレてるし、Living Motifはギフト向きで実用品じゃない。
BEAMSやUAをひと通り"見学"して、結局収穫は100均ショップのプラスチックケースだったりする。
シンプルがベストとは思わない。モノを持たずに暮らせればいいけど、そうはいかない。贅肉を削って骨だけになっても、骨に模様を入れたりしてしまうし↓。
なけりゃイイってもんでもあればイイってもんでもないからややこしい。
だけど、古今東西何でもアリの選択肢から何も選ばないってのも贅沢な遊びか...。
[実験的エントリ その2] Less is Bore FM; Oct. 10th 2003
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【本日の写真】工作中 FM; May. 25th 2003
フレア模様は不良の証?、スカルとフレアはHot Rodには欠かせない。というわけで以前足を引きずっていた頃ステッキを作った。当然ながらコレは象牙でなくレジン製(...骨を削る時の臭いはキライだ)。今回気になっていた彫りの甘さを修正中。
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スロットインの旧iMacがある。
今更売っても二束三文だから置き物になっている。MOに入った昔のデータを取り出すときに立ち上げるだけだ。Mac(マック)はOSX以降本気で仕事で使ってないからよく分からないけど、フリーズしたりしなくなった?昔はデータの保存にグルグル時間が掛かったり、途中でフリーズしてなかなか作業が捗らなかった。経済的な都合でふんだんにメモリを積めなかった所為もあるけど、2つ3つのアプリケーションを同時に立ち上げて使えなかった。Macと付き合っていると人間辛抱強くなるし、実はそーゆートコが信奉者を生む要因に違いないと思ったものだ。
昔々、半年仕事をして半年遊んでいた...絵を描いたり何かを作っているか、外国に行ってブラブラしてた時期があった。器用に切り替えて他のことや同じことの繰り返しが出来なかった。でもそう簡単に性癖は変えられないから(変える気がないから!)、これは今も同じだな。何かに掛かりきりだともう一方が疎かになる。あれもこれも少しずつ手を入れながら一緒に仕上がって、カラッポになって「次~!」ってことになる。そのスパンはだんだん長くなって今では終わるのかどうかあやしいものもあるけど。
Macユーザーだったからでもないけど、これを私は"マック体質"と勝手に呼んでいた。だから、もし今そんな旧態然とした煩わしさが無くなって快適になっているとしたらその認識を改めないといけない。
最近、PCを一旦Windowsに移行したのにMacに戻る人が増えているという。OSや性能は勿論だけどハードのデザイン的な要素が寄与しているんだろう、新製品の話題性もあるし。
このiMacはQUADのアンプやRogersのスピーカーのように使えるだろうか。
[実験的エントリ その1] シングルタスク FM; May 23th 2003
いつでもホットケ様になれる。
nomadさんのエントリにコメントしようとしてたんだけどちょっと時間が経ってしまった。
その上書いてたらズレてきたから前のエントリに被るところもあるけど新しく自分のエントリにしてまえ~。
もっともblogの特性を無視してる身としては無闇(タイムリー)にTBするのも憚られるから、こっそりpingを飛ばしときま。
nomadさんも言うように、大体バイクに興味のないヒトからしたら何だって同じだよね。
キムタクがTWに乗ればバイクはファッションで皆そればかりだし、大きいのはみんなハーレーでイタ車と言えばせいぜいド(ゥ)カティだ。それ以上の詳しい話を相手は期待していない。趣味に関してはどんなものでも門外漢には知らないことばかり、と言うより知りたくもないことだらけってことだな(趣味が違っても価値観の持ち様が近ければ共有できる感覚もあると思うけどね)。そこら辺の加減を無理して分かって貰おうとしないで、逆に揶揄されないよう上手くコミュニケーションするのが人付き合いのコツなんだろう。それが他人への気遣いとか配慮って言うの?でーもね、面倒だから最初から話すこともないけど休みの日は競馬かパチンコってヒトとお友達にはなれないでしょ。もっと一緒に食事して「美味しいねー」って満足したり、同じ映画を観て「あー、つまんなかった~」って共感できる相手との時間を大切にしたいと思うよね。長く生きてるとそーゆー人達との出会いは少なからずあるわけで、同じように傷付いてくれない人は「どっか行っていいよ^^」って。これはリアルでもバーチャルでも同じと思ってる。
一方掘り出し物ってのはそーゆー所から出てくるものなんだよね。爺ちゃん死んで、残った人間がホコリを被ったバイクを処分しようと業者を呼ぶ。全然興味がないからお任せで「邪魔だからお金払うから持ってってくれー」と。でもそんな中にとんでもない稀少車があったりする。最近軽トラで徘徊してる「タダで電化製品引き取ります~」ってのも同じかもしれない。骨董品を探す古道具屋のように笑みを堪えて騙して買い叩くわけでもないけど、そこにそーゆー商売の旨みと面白みがあるんだろう。私は商売下手だからそんな上手いこと出来なくて人柄でタダで貰って恩に着ちゃったりするくらいだけど(誰かMVの4気筒エンジンくれない?)。
以前の事務所で、隣りのババア(失礼)が「ウチにチョッパーあるよ」なんて言ってきた。
「元グッチっていうの?旦那が30万掛けてキレイにしたんよ」...うーん、グッチのチョッパー?
個人的にはどーでもいい話なんだけど、そこは"珍しいものなら売れるかな"とか"愛想良くして近所付き合いもしないと"と人並みに考えたりもする。で、見せて貰うとFanticファンティックだった。これはイタリア製だけど、ドイツなら金持ちコレクターが子供に買い与えるような代物。確かに日本に入ってる数は少ないし50ccのくせして安くもないけど、やっぱり日本じゃ誰も要らないんじゃない?と、500人に一人くらいのニーズは無かったことにしたい。
ただ、趣味は本来そういうもので市場の人気とか価格と関係のない状態で楽しんでいられるのが健全ではある。対価が市場価格でしかなくてその騰落に一喜一憂する輩を「つまんねーの」と思ってしまうけど、年齢や仕事ではなく嗜好や行動パターンの方がその人の人柄を示しているでしょ。見た目じゃなくてモノの見方で人間性を判断しちゃいけない?
そこそこ知れ渡っているモノやコトは記号化してて、ある程度の共通認識が出来上がっている。それは狭いテリトリーのローカルルールでしかないけど、箱庭に住んでいる方が安心って人もいっぱい居るわけで、そういう人達には死ぬまでそーっとしといてあげましょって慈悲の心を起動させる。
真っ白け~のページに
ず---------っとお越しいただきアリガトうございました。
いつ更新されるかハラハラドキドキさせてしまい申し訳ありません。
ただあまり期待されてもつまらないネタとの落差に落ちて怪我されても責任は取れませんので悪しからず。
モチベーションが上がらないと申しましょうか、腹立たしい事件はいろいろありますが私が書くまでのことはないってことですか。単に海外逃亡してて居なかったということもあります...ある意味ネット依存症ですが"現地適応能力"に長けていますので海外ではネットに繋がなかったり、ここには使命感がないとご理解ください。
さて前置きはこのくらいにして、今日のお題は「ヒトの勝手」です。
趣味の選択肢はいろいろあります。何でもアリだし、何をやっても"勝手"だから有るだけお金でも時間でも使ってください。だけどゲームはルールがないと面白くないでしょ。そのルールも自分勝手に作れるけれど、ある程度一般性というか他人に同調して貰えないと意味がない。一人で遊んでも面白くないからね。やはりそのルールに共感を持って貰えるかどうかは人柄とセンスなんでしょう。
バイクの趣味は興味のない人からすれば何でも一緒だけど、いろいろあるわけで。
商売だと興味のないバイクでもキライとは云えないけど、何でも好きなわけじゃーない。
それは「バイク乗りは皆お友達~♪」なんて云えないのと同じ。趣味の方向性の違いはあっても共感(あるいは共有)できる感覚はあるかもしれない。でもバイクとの付き合い方も人それぞれだから、ヒトの趣味にアレコレ言いたくない(云われたくもないから)。あえて敵を作らなくともいいし。
その、それぞれの都合と執心/のめり込み加減(価値観と幸福感)は知り得ないから初対面で意気投合するほどの出会いは考え難い。若ければモノ(バイク)だけでもいいんだろうけど、もうそれ以外の何かがないと人付き合いが始まらない。やはり先ず人在りきではないかと...前に書いたけどベースにバイクが無いから。
私はバイク(オートバイ)はカタチから入ったから造形的に好きでないものはダメなんだな。乗り味とか性能は関係ない。優先順位はスピードでもない。またVelosetteヴェロセットのエンジンの造形に惹かれるトコはあったけど、色が黒いバイクはどうかねーと思う。だからイギリスのバイクはどうも好きでない、らしい(嫌いではない)。そして中学時代のイタリアの自転車趣味から繋がっているからそれらの無粋な大きさのネジ(ボルト・ナット)が許せない。だからモノとしてはHarley Davidsonハーレーもダメで、別に手が小さくはないけど自分の指先と個々のパーツのサイズが合致しない。デザインや文字設計で遊んでたからカラーリングやデカールワークもそう。そんなミクロに向かう経験を引きずって派手なイタ車好きに行き着いている。
一方Hondaホンダのバイク(RS600D)は単にオートバイに興味を持った時代のモノだったからに過ぎない。それはホンダがメーカーとして米フラットトラックレースに参戦を始めた80年代初頭のイメージ。MV125Sを入手する傍ら、次を考えていた。86年にはRS600Dのレプリカとして初代FTR250が発売されて、その頃には"本物"でも街中で使えそうだぁね~と考えて94年にアメリカにキープしていたParillaパリラWildcatに追金して手に入れた(改造はそう簡単には行かなかったけど)。この車輌は当然ながら日本車のソツの無さとアメリカメイドのいいかげんさを併せ持っている。サイズは"等身大"だから視点はディテールに向かない。元のカタチがない(レーシングマシン故)から道具としてのカタチが相応しいと思っている。その意味ではFTR然とするのがルールかと。5,6年納戸(マンションのだけど)に放置してたし道具としては遠回りしているかもしれない。
基本的には乗り物は身体に合わせるモノと思っていて、吊るしで乗らない。目的はレースやツーリングユースじゃないから無理して大きなバイクに乗りたいと思わない。それは食べず嫌いで美味しさを知らないだけかもしれないけど、まだ小排気量車を走らせる楽しさに飽きていないから。モノはルールに副って自分にとっての在るべきカタチに近付けたい。そのサイズ合わせと目指すカタチのギャップがあったりするんだけど。
モノを選ぶときの判断基準があるはずだ。二つのうちのいずれかを選択するときには何か目安があるに違いない。バイクのカスタムでは一つのスタイルに絞り切れなくて余計なパーツまで集めたりする。それはその時の気分という曖昧な要素もあるけど、最終的にはどちらかに決める。さーて、モノの選択基準は何か。
実はそれはず---------っと変わってなくてクルマもバイクも自転車も同じ、
[eleganza]エレガンツァであるかどうか(...そんな風に生きたいとも思うね)。
[ 1958 Lancia Flaminia Sport Zagato ]
※一つに絞り込めないから使い分けしよう!なんてイイワケしてるんだな^^;
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で、これはこんなことを書いて「この指止まれ~!」とか「オレはこう思ってるから放っといてくれ」って言ってるわけじゃない。世間は可視の安心感が緩衝材になってリアルな虚像が成り立っている。だからネット上のバーチャルな実像は言葉の整合性はもちろんだけど住む世界の嗜好性(あるいは指向性)を具体的にモノや何言ってるか分からん放言を並べないと見えてこないんじゃないかと思う。今自分にとって実像を見せる目的はないんだけど、何かを始めるのに周りに「やるよー」って言って自分を追い込まないとダメな性質だからここはその方便としてはいいのかもしれない。
今まで道具としてのバイクはあまり必要がなかった。「何事も積み重ね」と年寄りみたいにも考えちゃうけど、だから今更始めるのに遅いことはないと言い聞かせてみるわけ。