皆さまご無沙汰しております。
...と書きながら、一体誰に向けているのでしょう?
特別書くこともありませんが、ちょこちょこアクセス頂いてるので
たまには生きてることをアピールしないといけないのかと。
で、ワタシは一向に日本に戻る気配がありません。
仕事が忙しくて離れられない、ということではなく。
今の居場所が心地良いので、日本に居る目的がありません。
と、書き掛けたのが昨年の10月でした。
目的は立てるものなので、日本に居る意味がないと思っているわけです。
オートバイに乗らない生活が4年も続くと、無くてもいいモノになってしまいます。
確かに乗らなくてもいいモノですが、いまだにワタシはバイク屋のつもりなので
片時も忘れたりはしないものです。自転車と一緒で乗り方も忘れたりしませんが
左右の車線の違いはうっかり間違えてしまいそうな気もします。
切った貼ったの作業も力仕事もしないので手にマメも出来ないし
擦り傷もありません...あ、ネコの引っ掻き傷は絶えません。
日本だけの話ではありませんが景気が悪いとか暗いとか聞くので、
尚更自分の居場所もないような気もします。
もっとも自分の経済状況とリンクしないので、本音は気にしてません。
お金は使わないことには経済が回りません。
「じっと我慢して節約しましょ」なんて言うババアの経済評論家はくたばってください。
年金も当てにならないし、うっかり長々と生きちゃうかもしれないけど
持ってるお金はさっさと使わないといけません。
お仕事のことで言うと、
コレクターが歳取って老後の生活費のためにコレクションを手放すのは通常の時の流れです。
だから出物が無くなることはありませんが、欲しがる人が増える理由もないので需給は変わりません。
オートバイは「余計なモノ」の最たる物ですから、こんな時期こそ手に入れるべきです。
いつまで乗れるか分からないし、今後同じものは二度と作られることはないですから
(電話帳と一緒?で無くなることはないと思うけど)。
Mondialモンディアルのワークス(レーサー)買っちゃおうかな。
こんなご時世で、諸般いろいろ事情もあって「巣ごもり」も仕方ないでしょうが、
ワタシは変わらず余計なモノを買って散財しようと思います。
そうしないと生きてる気がしなくないですか?
どこに書こうか迷ったけど、アップが簡単なのでココにしまひょ。
サイトのMV150CRS製作の企画だけど、無期延期ということで。
って書くと今までと何ら変わらない。中止だよ、もう止める。
まあ、永いことうだうだとパーツを集めてたし、誰に急かされてやってるわけじゃないし、それこそこの顛末すら黙ってていいことだけど、自分が弄ってたんじゃ(いつまでってこともないけど)間に合わないというか、せっかく集めたモノに悪いというか、それらはマーケット的には単に好事家の手に渡るだけだけど、ワタシが死蔵してるよりいいかと思ってみた。"メモラビリア"は商品にはなるけど自分のコレクションとしては無くてもいい。
そもそも自分自身がイタ車弄りに飽きたという要因には周りの人間が亡くなったり、年を取っちまったということ(特にイタリアのコレクターやエンスージアスト)と、日本国内では同好の輪が拡がっている感じもしないし、この五年ぐらいの間に自分のライフスタイルというか生き方を変えようとしている所為もある。実際バイクに乗らなくとも生きて来(ら)れたので無くともいいかー、とも思うけど、それはそれでまだ弄る愉しみを忘れていないので余生のために少し残しておこうと考える(やり残したことを残して人間は死んでいくものだけど、それが沢山あったからって誰も褒めてくれない)。
2シーズン着ない服は捨ててもいいと思ってる一方で服は一生ものと考えてたりもするから、整合性というか論理的な根拠もないけど、バラバラに抽出した要素は一度カオスに戻してやることも有意義かな、と。自分の身を何処に置くかということだけど、価値観を共有するためにローカルルールにしがみついてるのはパーッと楽しくないしね。
そもそも不要になった自分用のパーツやグッズを販売したのが元サイトの発端だけど、ネット環境が整うことで情報の共有が容易になって、裏腹に宝探しの面白さが無くなって、マーケットが極端に狭くなっちゃった。世界(地球上)に三人しかいない同好者と繋がったりもするけど、もはやマーケットとは言えない。
石油燃料を浪費するコミューターがいつまで存続できるかということもあるし(実は電気も大して変わんない)、社会的な適応性を持たないプロダクツに存在意味があるのか...否、存在に意味を求めちゃいけないよね、とか。一方で残り少ない(?)環境(言い方を変えると人間のエゴ)を大事に守るよりいっそ壊しちゃったらとも思うけど、言い訳してないと生きていけないのも人間だから(ヒトに優しく、)イチイチ突っ掛かることもないか-。
で、MV150CRS用に集めたパーツは処分することにしよう。
150RSの解体→袋詰めENG.やCerianiの35フォークとか、Grimecaドラムのドカ用ホイールとかね。
トラマスのフレームも間に合えば(整理の時間があまりない)、今夏までに売却する予定。
汎用品もあるけど、オリジナルのまんまってのは少ないからどれだけ必要とする人が居るかね。
ついでに在庫品の雑貨の整理もするし、ギャルソンの古着も売りに出すかもしれない。
先に書いたガレージの話とも関係してるんだけど
新しい居場所が出来るとモノが増えていくから、たまに棚卸ししないといけないんだ。
それでも、人に優しくあるためには強くないとね、とずっと思ってる。
と、またしても支離滅裂だ。
この機関はバリエーションがあって、集めてみると面白いかも。
置き場所があったら、今が買い時。
守備範囲が広いのもどうかと...
まあ、興味の対象が幅広いといつの間にか垣根がなくなる。
ジャンルやカテゴリーとか所属や派閥とか、年齢や性別なんてカンケーない。
云わばボーダレスということだけど、そもそも枠決めしてるわけじゃない。
モノに関して言うと、ワタシは「大スキ」なモノと「大っキライ」なモノがない。
モノの良し悪しの判断は観点で異なるから、全てのモノに良いトコと悪いトコがある。
ニュートラルな視点でいるためには、「スキORキライ」だけの判断基準は曖昧だ。
専門分野に特化してるのもNGだ。専門バカは馬鹿だから、ずっとアマチュアでいたい。
今自分が生きている環境には実体としてのモノと共に付帯する情報も溢れていて、
この時代ならでは特異性もあるから、今しか生まれ得ないスタイルもあるはずだ。
それでも広く浅くではなく、広く深くでないと意味がない。
いつも冷静でズレない線引きがオリジナリティ(「自分らしさ」って言うの?)と思っている。
イマドキのクウネラーのお部屋トレンドは「ジャンクスタイル」らしい。
そのままの生活で、ちょっとだけ趣味をヒトに見せる工夫をすれば、
自分らしい部屋とライフスタイルの演出ができる、ってことらしい。
埃を被ってる昭和の雑器が新鮮でしょ?温故知新のスピリッツ!
おばあちゃんもニッコリ^^日本の古い家や狭いアパートもそれらしくなるでしょ?って。
もっとも雑誌や書籍で取材されてモデルになってる雑貨商売の人は
回りにモノが溢れてるから小細工しなくともそうなっちゃう。
それはインテリアのスタイルとは違うけど、そうありたいと思う人が居るってこったね。
一般ウケしないコレクションは結局"ボリューム"で見た目勝負なんだ。
そのスタイルってのは、このソファとこの照明で出来上がり~ってインテリア様式とは違う。
モノに拘るというより生活と共に日々変化しているライブ感が肝心。
そこにあるモノは単なる置物ではなくて、持主にとって必然であるべきモノ達だ。
住まう人のキャラクターが出ていなければ(招かれても)つまらないだろう。
程度の差こそあれ金持ちがバイクやクルマを収集するのも同じで、
お金を掛ければいくらでもキレイで立派なガレージを作ることが出来る。
(何が良くて何が悪いともヒトの勝手だから言わないけど、)中途半端なんだ。
日本には身近にお節介なくらいカユイトコに手の届く便利なモノがあって
無いから何とか自分で工夫することは不要なんだよね。
趣味にはそーゆー便利なモノをあえて排斥しないと愉しくならないという一面がある。
純粋であるかどうかが必須条件とは言わないけど、一途さの詰めが甘いとリアリティがない。
無駄に思えるけど「余計なモノ」が必要。(ワタシは)趣味は命掛けと思ってるから。
最近新しい服を買いたいと思わない。
個人的な事由の所為だけど、手持ちの服が仕入れる古着より古くなっている。
モノ持ちがいいというより、単に年を取ったということだけど
そもそも最先端のモードも20年もすればクラシックなスタイルになっている。
パリのどこだっけ?、Passageパッサージュ(通路って意味だけど)に
昔のシャネルのスーツやディオールのパンプス(R.ヴィヴィエ)を置いてる店があった。
大昔のヴィトンのトランクを修理して売ってる店もあったね。
そのクラスになると、すでに出来上がったマーケットもあるから
コレクションという遺物的価値になっちゃうけど
(つまり個人の審美眼の有無は無関係で、お金があればセンスの良し悪しは誤魔化せるということ)
モードのファッションでも商品にクオリティがあれば時代を超えて生き残る価値がある。
流行は繰り返されるからそれらのアイテムを最新モードに合わせるということではなく
フツーに(モードの意図を除外したスタンダードな)服として着(ら)れる。
もちろんピンポイントで10年20年先に残るモノを見極めるには
ある程度散財して懲りてないと分からないけど、特別難しいことじゃない。
何も新しいのに飛び付いて買わなくたっていい。もう充分蓄えちゃってるだろうし。
スタイル(ファッションも生活も)が多様化して共生している'時代はそんなに長くない。
80年代以前は地理的な要因と情報流通の制約から地球上に共存はしても、共生できなかった。
それがこの20年余りの間に激変している。モノと情報の流通と共に様々な価値観が存在することに気付く。
マスの価値観の存在価値がなくなって、個人のパーソナリティが立ってくる。
他の時代との特異性や地理的な文化の特徴性は希薄になっているけど、
そのごちゃまぜの中から何を持ってくるかが"個性"ということになる。
スタイルと呼ぶにはマスが要るけど、そこらから出てくるオリジナリティは尖がってないからね。
情報とモノはとことん集める。目的じゃないからデータベースにはなってないけど
長年の習慣と蓄積は、分析能力に長けることになる。場数を踏めば解析速度も上がる。
そしてそれが「日本人のアドバンテージ」に違いない。
だけど、それらに縛られることなく自分自身のスタイル<生き方>を組み立てていくものだと思っている。
日本国内に居るだけだと難しいけど、モノ集めに関しては何より実体の"量"を見ることだ。
モノを創る行為においてはピン(ピカイチ)のモノを観ている必要がある。
一方バイヤーとしてモノを取捨選択する際はスクリーンをフラットにしていないといけない。
情熱(Passion)なんて要らない。商売なら何でもそうだけど、他人の制約が最優先事項だから。
ファッションやインテリア(あるいは趣味)のスタイルはミックスされ細分化されていく。
オリジナリティを出すために他(あるいは他人)との差別化が必須ということになっている。
実はそんなのはど-でもいいことだけど、何となく納得しちゃうんだろう。
で、別にこれじゃなきゃダメってわけでもなく、ゆるーく大雑把に括ればいい。
で、ごちゃまぜのそんな気分は「Timeless(タイムレス)」だ。
この「タイムレス」ってドンブリみたいな言葉がいい。
時代に拘るのはコレクターやマニアの前提条件だけど
実は暗い部屋で楽しんでるそんな枠に填める快感とは別に現代人の生活もしてるはずだ。
先日書いた「QUADのアンプ+iPod」と同じ。聴く音楽だって何世紀も昔のバッハだったりするしw。
インテリア用語で「タイムレス」と言うと、家具やモノ・調度品が作られた年代や
様式の作法;ルールを破って時代のトレンドを加味して作られる様式だけど
個々のアイテムのボリューム(意匠やカラー)が大切なのは当然として
実は空間の大きさが重要な要因。現実的には使われないモノを置く場所も要るからね。
そーすると日本という居場所に拘る必要がなくなるんだよ。
このエントリも書き出しはかなり前だ。
ココに書くことはタイムレスな内容だからね。
まだ内容はバラバラ...。
(日本のガレージの)
オーディオ環境を考える。
膝には、バジルが載っている。
音楽は好きだけど、普段使いはiPodとBOSEのSoundDockくらいがいい。
アナログ(レコード)も良いけど、死ぬまでせせこましく生活してるはずだから
ターンテーブルはもちろんCDプレーヤーも要らないかもしれない。
聴き方からいって大袈裟なステレオセットは似つかわしくない。
でもモダンでないクラシックな部屋でFMを流しておくなら
Tivoliチボリのセットがいい。
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しばらくステレオを揃えないできた理由がある(いつも仮住まいということは置いといて)。
倉庫にRogersのスピーカーLS3/5AとQuadのアンプ44と405-2が眠ってる。
20代の半ばに購入して日本を離れる間際まで使っていたものだ。
四半世紀近く前の製品でリモコンもないし、温まるまで時間もかかるけど
この組み合わせは素人でも分かるほど音がいい、名機といわれる評判に違わない。
専門的にどう言うのか知らないけど、ボーカルとか弦楽器とかボケ足のある音にはいい。
ジャズのピアノとかはちょっと変な感じかもしれないけど、それも適材(システム)と比較しての話。
そもそもソファで寝たいときしかG.グールドのゴールドベルグ協奏曲は聴かないし、
ジャンルでいうとクラシックよりブルースやレゲエやロックやロック!だからね。
だから広いリビングでなくガレージで使うミニマムなシステムはこれで佳しと考える。
昔から趣味に填まるのは分かっていて、目的が引っくり返ってハードに走っちゃう性質だから、
その(オーディオの)世界に深入りしないよう選んだ組み合わせだ
(いずれにしても再使用するにはO/Hが必要)。
INPUT機器は新しい製品がいいと思っててKENWOODやSONYを合わせてたけど
見た目重視でいくと同時代のQUAD FM4が要る。
(44の上にFM4を載せたイメージ)
以前ここにも書いたけど趣味のモノはいつになっても探してる人がいるんだな。
このアナログシステムを復活させて、iPodを繋げばいいわけ?
と、考える結果は(考える前から)見えてて
結局今のワタシにはiPodにそこそこのイヤホン繋げば満足ってことで、
もともと音源のiPodの音はフラット?だから今使ってるMDR-EX90SLで充分
(U2とかコステロとかクラプトンしか聴かないからなんだっていいじゃん!)。
別に懐古趣味なわけじゃなくて、新しい方がいいモノもあるけど、本格的なマニアでもなく
情熱が連続してないから、ある時焼けボックリに火が点いて(って使い方は変?)
止めたところから再スタートだから効率が悪い。
ただ人間がどんどん古くなっていくから、
自分に新しいモノを合わせていくのが難しくなってきた。
バジル*を膝にのせ、クルマ趣味を考えてみた。
まずいろんな点で「順序が逆」ということは分かっている。
ガレージを建てようと思う。
もちろん主役は二輪(オートバイ)で、それらのメンテナンスと保管が目的。
それ以外にいろんなことの作業場としての機能が必要だ。
ただいわゆる”男の城”的な週末の趣味の部屋じゃない。自分にとっては仕事部屋だ。
用途から言えばスタジオとかアトリエという名称の方が相応しいかもしれない。
そして建てるロケーションが都市からちょっと離れた田舎だから、クルマ(四輪)も置けないといけない。
あまり自分で弄ることは考えていないけど、最小限の設備は備えておこう(掘りゴタツピットとか)。
他人に公開する必要はないけど、方向性はエンスージアスティックでないと(立場上)許されないし、
そうしておきたい目的もある。
そこで単なる”足グルマ”じゃつまらない。で、何を置こう?と考える。
現代の車は安心安全だけど、それは(当然)ないだろう。
最近Lexusレクサスを間近で見る機会が多く、良く出来たクルマだと思う。
スポーツバージョンのIS FはTOO MUCHだけどIS250/350はデザインに節度があってよろしい。
...と新しい日本車の良さも分かるけど、ツルシでは乗りたくないからね。
人によって線を引くトコが異なるけど
A.ちょっと古い車
B.そこそこ古い車
C.とんでもなく古い車
ということにしてみよう(80年代のクルマは全く古いと思えないんだ)。
さーて、好きな車は何だ?
アルピーヌやアバルトという選択肢がある。
でも指向がそっちだとレースを始めないといけない。その手の輩との付き合いも勘弁したい。
それほど一途じゃないし、飽きっぽいからレーシングマシンのルーツを持つクルマは敬遠しよう。
ザガートデザインのクルマはアルファでもランチアでもアストンでも好きだ
(その中でもフラミニアスポーツが一番♥)。
でもそんなヘリテージ級は(後世に遺す義務があるから)、
分割で買い物するような庶民が目指しちゃいけない、いけない。
ワンボックスとか家族4人乗りを前提とした社会的かつ家庭的な選択も不要だけど、
2シーターという割り切りも二輪があるから要らない(とする)。
イタ車でもマセラティやランチアみたいに型落ちで半額になっちゃうクルマも弄る趣味としては面白い。
ただ部品は安くないからね(自分でルートを作れば安くなるけど、もう商売はしたくない)。
それに実際、日本の風土には適していない。一週間くらい3200GTがカッコイイと思っていたけど、止めた。
まあ、(オートバイもそうだけど)イタリアの華奢な靴は履くもんじゃないし、一週間も考えずに買うものだ。
イタリアの高級車は値札を見て悩むような人は手を出しちゃいけない。
ドイツ車も考えてみる。
タイやベトナムへ行くとキレイな縦目のベンツをよく見掛ける。
香港だと8並び(ナンバープレート)のよく手入れされたBENZが飲茶店の店先に停まっている。
選べば厭味でも大袈裟でないモデルがあるからね。
もっともソツのない製品を作る(その上カラダだけでかい)ゲルマン民族はキライだしw、
乗っている自分を想像すると、堅実な”大人な感じ”がキャラクターに合わないだろ
(インディアン顔でシャンパンゴールドの450SLもどうかと思うけど...これは個人的な話)。
アメ車とかイギリス車っていうのもキャラクター的にない。
ダートトラックのレースをやっていればホットロッドなFORDのピックアップという選択も見えてくるけど。
で、残るはラテンの雌(?)、フランス車。
ちょっと古いのはルノーの4(カトル)、じゃなくて5(サンク)(…フツーはルーテシアとかにするよね)。
そこそこ古いのはシトローエンのDSかなと考えた(…そこそこ古い?)。
かつてパナールやCG等フランスの捻くれ絶版車を検討していたこともあって、
勢いで手に入れるのも一興だけど、フランスのド田舎の納屋探しをしている自分が目に浮かんで止めた。
ジタンじゃなくてゴロワーズのしょぼくれオヤジはオサレというより貧乏くさい、臭い。
ルノー5(サンク)はGTS等のベーシックモデルよりバブリーなバカラ仕様とか、
大事に乗っていたクルマがありそうでしょ。
でも、タイムレスなデザインは評価するけどガンディーニはあまり好きじゃないな。
DSは維持に苦労するのは分かっているけど、おフランスかぶれで気取れそうだし、
ペンキ付きジーンズでも乗れそうな古の高級車は胡散臭いゲージツ家には相応しい。
最初にお任せ出来る店(ココとか)で直してあれば問題ないけど、3,4百万が目安だろう。
ただこれは趣味にハマル危険性を孕んでいる。あえて穴に落ちる覚悟は出来ているか?
…あ、クルマが入る屋根付きガレージは考えてないや。
モノを運ぶトランスポーターとしてのクルマを選択すべきか?
そうするとスタンダードの4でもいい(そういえば以前友達が乗ってたな)。
タマ数は少ないけど商用車フルゴネットという線がいいかも。
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(この写真勝手に持ってきちゃったけど...ま、いいよね)
と、いろいろ思い巡らすのは自由(以前と同じ感覚でダラダラと書けているか?)。
今までの常で出会いはタイミングだから、どうなるか分からないしね。
というわけで、来月からそのガレージの設計を口実に3ds Maxを独習することにした
(目的があれば新しいことを始めるのは苦にならない、という教訓付)。
「無知は幸福」であることを鳥カゴにローストチキンをぶら下げて
アイロニカルに皮肉ったけれど、現実はもっと身近なところに転がっている。
実家のインターネットは門限がある。
12時を少し過ぎるとルーターの電源が切れる。
それは"管理人"であるオヤジのオカシな方針だ。
ま、分かりやすく言うと"ケチ"なのかもしれない。
それで立派な御殿が建ってるということだ。
あまり居ることがないからどーでもいいと思っていたけど最近はネット上で書きものをする。
何処からでもアクセス出来るからその方が便利♪と思っていたところに思わぬ落とし穴があった。
其処にはサイトのベースPCも置いてあるけど、留守のうちにLANケーブルは抜かれている。
オフクロとメッセンジャーやSkipeを使って連絡を取るために
何とか専用のPCを設置したけれど、それで精一杯。
今どき、冗談のような鎖国状態だ。ある意味、中国のネット規制よりひどい。
オヤジは機械が好きだ。で、電気が専門だから自分の言うことは正しい!と言う。
でもワタシは左右のスピーカーケーブルの長さが違っても平気な人の言うことは信じていない。
電気は通じるけれど、音は全く違うから!
優秀な技術者や職人には全面降伏するけれど、ワタシが技術バカと一緒に「遊べない」のも同じ理由だ。
ハードより重要なのはソフトだよ、ゼッタイ。
常駐する必要があるなら専用線を引けばいい。
だからあまり文句も言いたくない。そんなこと些細なことだから。
こんなに幸福感のベクトルの違う人間が身近に居ることに今更ながら驚くけど
反面教師という見方もあるから、その恩恵には感謝すべきかもしれない。
ヒトはいいんだ。リフォーム業者の言いなりに危うく騙されそうになるし、旨い話にすぐ飛び付く。
いくら損してもいまだに株を止めないし、価値のない記念コインを集めている。
さて、久しぶりに倉庫で作業をする。
出先...モノの揃ってない外国ね、で何かを作るのは厄介なことが多い。思うような道具が揃わない。
でもそこで使い慣れた道具とやり慣れた手順で同じことをしようと考えてはいけない。
今回は時間がない。効率よく終わらせるために日本のやり方で仕上げることにした。
革コートの表面を脱脂して、ドラフティング(マスキング)テープで文字のステンシルを作る。
ラッカースプレーでペイントする。アリ物のスプレー缶を使うから黒はマフラー用のツヤ消し、
青は当初ゴルディーニブルーの予定だったけどアルピーヌ用のメタリックブルーにした。
ソルベックス(シンナー)やコンパウンドで慣らしてワックスを掛けて出来上がり。
その前にコンビニで文字のコピーをして来たりもするけど、夜中の2時間弱で片付いてしまう。
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場所が変われば状況も変わる。
環境に左右されない「意図」を持つためには
あえて制約も不可欠な要素と考えるようになる。
自分の息子が自分の背中を見て全然違う道に進むのもよしとしよう。
それがどういうカタチであれその子のためになるのなら満足しよう、とね。
今年(以降)の抱負を書いとこ。
本来衣服は誂えるものだ。靴もそうだし、帽子もそう。
人それぞれ、体格は違うし、右左の足の大きさだって違う。
手の幅や指の長さも違うから手袋も一人一人の手に合わせて作るものだ。
自転車だって手や足の長さに合わせてフレームの大きさを決める。
使い方や体力によって、それに適うパーツを組み合わせたりする。
そういうカスタムメイドはまだヨーロッパでは残っているけれど
まあ、効率と生産性は良くないからどうしても高級品になってしまう。
機能を優先すると最新の製品が良いに決まってる。
でも最近「新しいモノ」はどーでも良くなってきた。
流行に関係なく、自分に似合うものとそうでないものは分かったし、
必要なモノとそうでないモノも分別が出来るようになってしまった...残念ながら。
引越しが面倒だから「持ちモノを増やしたくない」というのもある。
アチコチに持ちモノをばら撒いている(置いている)のもT.P.O.だけど
「良い物」というものは意外と汎用性はないものなんだ。
だから吊るしに自分の身体を合わせるようなことを少しづつ減らしていきたい。
自分の身体に合っているものが「カッコいい」とは限らないから
それは「ファッション(流行とも経済とも)から離れる」ということでもあるけど、
もう自分の生き方を誂えてもいいだろう。
生活の場にふさわしい場所に(点々と)居を構えて
馴染みの店を一つずつ増やして自分の街にしていく。
生活スタイルに合わせた家を建てるということもアリだけど、
ワタシの場合、大きな持ちモノを抱えたくないからそれはどーでもいい。
乗る場所と自分の身体に合わせてオートバイを作る。
T.P.O.に合わせたその為のウエアを作る。それはバイクを作ることと同じ意識だ。
身の回りの全てのモノやコトが自分の気に入ったものであって欲しい。
でも気に入らないモノとかヒトは「お気に入り」を持つために不可欠な要素だからね。
「身の丈を知る」ということとは違うけど、自分の手足の延長くらい自分の思うようにしていたい。
それが思うようにいかなくなった時は、モノやコトを手放す頃合なんじゃないか?
ワタシはまだ死なない。だからまだまだ右往左往している。
でも「やりたいこと」は充分分かっているつもりだ。
死ぬまで満足することはないだろうけど、諦めないよ。
天まであがれ♪
あけまして、おめでとうございます。
大変ご無沙汰しております。
放っておいたらいつの間にか半年近く経ってしまいました。
「招待状くれ」ってメールも放ったままですからあしからず。
ワタシは書いてませんが、年賀状もいただきましてありがとうございました。
ずっとバカンスでも冬眠に入っちゃったワケでもないんですけど
意外と毎日規則正しい生活をしております。
あまり仕事をしなければ心身共に元気なようです。
ただ最近は余計なこともしています...凧揚げしたりね。
本年も知らない所からほどほどによろしくお願いいたします。
書初めはこんな感じで...。
夏は日本にいません。
何処に行こうかと考えていた...それこそ20年以上ずっと。
今ワタシの住所は4つある。それは倉庫だったり事務所だったり、作業場だったり本籍も兼ねた両親の住む実家だったりする。ホントは遠くの親戚のガレージだったり、見ず知らずの知人宅の納屋あるいは愛人1号のマンションそれとも韓国人ホステス宅かもしれない。勿論日常的なメインの住所はあるけどそれも流動的で、突然居場所を変えたりする。何かから隠れているか逃げているようでもある。郵便物はどこに送っても(そのうち)受け取ることは出来るけど、当然何処にもいつも居るわけじゃない。
鍵を持つのは好きじゃない。出来れば一つも持ちたくないけどキーホルダーにはダミーの鍵を数本付けている(以前アクセサリー用にと数百本仕入れた)。現実に借金取りや刺客に追われるハードボイルドでデンジャラスな生活は勘弁したい。 でも逃亡者を演じる生活は考え方をストイックにする。何が一番大切かということを日々意識させてくれる。
シガラミを背負うことから逃げているのか。鍵は大切なモノや人を守るという見方もあるけど、所詮気休めでしかない(と、思う)。居場所を転々とフラフラしているのは無責任で身勝手と言われても、実際そうでなくとも...仕方がないのだ。
一ヶ所に落ち着いていられないのは何処にも戻る場所がないようなもの。そして居場所がないのはある意味もっとも自由な状態だ。ジプシーやヒッピーと差異がないか?行動も発想も前提とするベースがないのは糸の切れた凧のようだけど、主体が凧なら物事の解釈は変わってくるしね。
以前ここに世界中のアチコチにバイクを置くハブ生活の話を書いた。非定住あるいは彷徨的生活は精神的な絶対価値を模索し続ける。不器用だからそうやって現実の不安定さを忘れるように形而上的な理想(...つまり空想?)に安堵感を求めてバランスを取ろうとする。
おそらくどこかでボタンをはめ違えたか計算ドリルに手を付ける順番を間違えたんだろうけど、一度順番を間違えるといろいろアベコベになったりする。
というわけで(?)、しばらくココは休みます。
戻ってきたら再開するかもしれないし、しないかもしれない(...しばらくってどのくらい?ずっとって?)。
リアルでもネット上でもコレっきりになってしまう人もいるかな。でも、どうであってもワタシは出会えた皆に感謝している。そして少しでも付き合って貰った人達に対して(勝手に)責任を感じている。ずっと沢山の人達に"生かされている"と思ってきた、これからもずっとそうでありたいからね。
文化度の高さはいかに「先の愉しみを作れるか」ではないか。
半年先のコンサートチケットを苦労して手に入れたり、1年先のサッカーの試合のために熱くなったり、5年以上先のカスタムのためにバイクのパーツを探していたり。
それは10年先20年先を見越しての生活環境の改善や山野への植樹ということもあるし、地球規模での環境保護とか、意識はもちろん資金をそのために費やす余裕というかゆとりが必要なんだよね(...中途半端なエコロジーの意識は次代へ繋ぐ責任に対する不安を忘れさせてくれるのかな)。
でも、その先の愉しみがどんどん貯まっていくのが生活の豊かさかというとそうでもない気がする。ブツ欲や所有欲はあったらキリが無いからほどほどで満足出来るけど、好奇心をセーブするのは難しい。その上その好奇心とか何かをもっと知りたいと思う欲求はキッカケとなる情報がないと生まれないでしょ。情報の溢れている日本に居ると(情報の公示が規制されるよりはマシだけど)受信を制限したり拒絶する意識がないとどーでもいい情報に振り回されてしまう...ブツ欲とくっ付いて余計な散財をしちゃう。必要な情報だけを適時得られればいいけど、その要不要の判断基準は絶対的なものでもない。何度も繰り返してると当たり前のことになっちゃうしね。向上心が無いと人間進歩しないって言うけど、進歩がホントに良いかどうかも分からないだろ。
目にしたら自制が利かず手を伸ばしてしまう。でも雑誌や本なんて無ければ無いで生きていける。それはTVがなくとも何の問題も無いのと同じ。もう充分年を取って無駄に蓄積してきた素地はあるわけだから、そろそろ自己完結...というと語弊があるけど自給自足と自家発電が可能なんじゃないかと思う。
何事もほどほどが肝心、上を目指して何処へいくのだろう...と。それは身の程を弁えてということではなく、いろんな相対的な比較でしか自分の位置は確認出来ないのだろうかと考えてみる。
で、やっぱり旅だよ。
不器用だからか、自分に向かい合う時間はもう一人でどこかブラブラしてないと持てないみたい。
出し惜しみしてるとイメージは枯渇する。
広告の仕事は消えるのも早いから使い捨てだし、販促に乗せるクリエ~チブてーのは万人向けというかサルでも分かるようにしとかないと通じない。でもそんなの作るのにもう興味はないから誰かにパクられようとアイデアはどんどん公開しちゃう。人生長いからさ(一途じゃないし)、数とは云わないけど単発で勝負なんてしないんだよ。
ゲージツ家(注;カタカナだよ)は自分で作品を作ったりしない。お金にならないとダメなの。自分のスタイルを作ってコツコツあるいは流れ作業で絵を描いたりもしない。それは技術的にはプロの職人に敵わないってこともあるし、別なトコで勝負したいし遺す作品ならちゃんとしたプロダクツでありたいからね。
今年は最初からトリ(酉)ネタで始まったけど、実はそれがずっと続いている。
別の日記には経緯を書いてたけど香港に紫檀の鳥かごを買いに行ったり、鳥籠茶房(?)を考えてたり。鳥かごランプを作ったり、その延長に鳥かごシャンデリアがあったりする。で、今取り掛かっているのはコレ。
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モノは出来ているけど肝心の"中身"がまだだから人に見せちゃってもへーき。現品の鳥かごは本体天地で15cmほど。メッセージ性を高める必要からこの10倍サイズ(ローストチキンは1m)のを作るんだけど、このブツに添付する説明書きが問題。漢詩を付けるんよ。作ってくれる人いないかなと、どっかで思ってるけど自分で勉強して詠んでみるかーとも思う。中国語も篆刻も書も水墨画も手慰みの趣味じゃなくて表現の為の道具だからそれと同じ。特別中国が好きなわけじゃーない。どっちかっていうとイタリアの職人の方が手っ取り早いんだけど、とりあえず中国は人件費は安いから。
そしてこうやって公言することで自分にプレッシャーを懸ける。
云ったからにはいい加減なことはしたくないでしょ...バイクのカスタムと同じ。
ほとんど月一ペースのエントリだから、今日は最終日。
最近ほとんどバイク雑誌は買っていない。
唯一ストバイ誌はダートトラック記事が載っているから購読(?)してたけどここ数ヶ月は止めている。新しい情報が要らないってこともあるけど、本屋の立ち読みで済んでしまうから。商売をしてる都合もあってH-D関連の本も買っていたけど、もういいや。
贔屓にしてるってほどじゃないけどバイカーズステーション誌はキライじゃない。編集長のカラーが伺える誌面作りやロード寄りだけどいろいろバランス良く...単に新車も旧車もってことかもしれない、書いてるトコがいい。10年位前には広告載せて貰っていたしね。で、巻頭に佐藤編集長のコラムがあるんだけど、最新号(今月アタマに出たヤツ、明日新しいのが出る^^;)にはマクドナルドで未使用のナプキンをそのまま捨てる若者の話が書いてあった。使う分だけ取ればいいってこと。それはコンビニで不要な割り箸を断らずに貰ったりするのも同じ。些細なことかもしれないけど一人一人がそーゆー小さなことを意識していかないと資源の無駄遣いはなくならない。細かく分別ゴミの仕分けをしても現実的にはまだリサイクルに生かされないかもしれない。誰かに教わることでもないけど、自分の住んでいる世界の将来を考えると必要な意識だよ。
いろんなコトやモノに興味を持つのはエネルギーの無駄遣いのような気もする。テンションやモチベーションを高めたり、何か欲しい物を買うためじゃないと労働意欲が湧かないとか、行動には全てもっともらしい意味付けも出来るけど情報やモノ、お金に追われている生活はやはり浪費活動ではないか。その繰り返しを続けてないと生きていられないような錯覚があるのかもしれない。それは分かりやすい目的だったり、安易に満足感を得られたりするからねぇ...。
環境のことを考えると何もしないのが一番のエコロジーだろ。平和のことを考えたら中東から石油を買わなきゃいいってことだろ。ま、動いちゃってるものは止めるのも大変なんだな。
夏は仕事をヤル気がしない...って、いつもヤル気は無いけど。
夏のバカンスのまま旅先に居付いて段々寒くなって(南の島ならずっと夏だけど)...
季節が変わって、いつの間にか何年も月日が経ってしまうのもいいんじゃないか、と今更ながら思うのだ。
通り掛かったビルに見覚えのある社札を見付けた。
「ココにあったのか」と縁の無かった街がちょっとだけ自分と繋がった。
その会社の代表は子供の頃同じ団地に住んでいた友達だ。ワタシは中学から私立のガッコに移ってそれきりだからおそらく30年くらいは会っていない。だから幼馴染みでもなくなっているし、友達という言葉を使うのも気が引けるけど...ま、今頃こんなこと言う出すヤツも居ないだろうから許しておくれ。
彼は起業を目指す人達の間では名が知られている。いつの間にか若手起業家の第一人者ということになっている。著作も数冊あるし講演等でいつも忙しく飛び回っているようだ。記憶は曖昧だけど万人ウケのする優等生タイプじゃなかった。水泳は平泳ぎで走り高跳びはベリーロール、人と同じことはしたくないというスタンスはあったかな。小学生でプレスリーが好き、なんて変なヤツだろ。大学時代はanan アンアンの読者モデルだったり...「アレ?歳違うじゃん!」って思った。いつかGULLIVER ガリバー誌だったか、世界を股に掛ける商社マンとして紹介されてたりして、外からポツポツ意識させられていた気がする。傍から窺える彼のイメージは子供の頃とずっと変わっていなかった。彼をライバルとして意識したことはないけどその変わらない存在は嬉しかった。もっともどう考えてもワタシの仕事との接点は無いし、これほど住む世界が違うと価値観や幸福感も違うだろうから会ったら人見知りしそうだな。
自分のイメージはどうかと確認する術も必要も無いけど、きっと子供の頃と変わっていない。でも少し大きくなって高校時代以降の知人は当時のイメージとのギャップを感じるらしい。それはある意味作られた(作ってきた)イメージを無理して装っていたからと言えなくもない。でも経験や学習を経た人間の成長とは別なところ...それが本質かどうかは知らないけど、気質的なものは育った環境に拠るから子供の頃から変わらないところがあるだろう。そして何かを作ったり、絵を描いたりする自己表現はプリミティブな衝動だから結局ソコに繋がっている。
人生は自分の役柄を演じ切るものかもしれない。途中で振り返って歩いてきた道を確認する必要があるかどうかはともかく、ワタシみたいにウロチョロしながらこの歳になって「やっぱこっちだね」と気付くこともある。遠回りに見えるけど...自分でも全然建設的じゃないと思うけど、その寄り道も自分には不可欠で必然だったのだから仕方ない。そしてそれはそれで面白い。何かを生み出すためにパッションは必要だけどストレスは要らない。無理して始めても楽しくない。だからその気にならなければ余計なことはしないということだ。
人生もう半分かまだ半分か...でもまだ生きているから、今の自分が本当なのかどうかも知らなくていい。
ただずっと、いくつになっても相変わらずチマチマと何かを作っているんだろう。
その彼を知りたい方はコチラから。
何も変わらないけど、同じ所には居ない。
長いこと放置していても何も変わることなく、ただ10日経過のプレッシャー(ココの白紙状態)から開放されて...というか慣れちゃえばひと月経ったらあとは半年でも1年でも同じだな。外に対して大した影響力もなく、SPAMコメントを除けば逆に影響を受けることもないから自分でも気が向いた時にしか来ない。
留守の間にサーバーに溜まったメールを纏めて削除してもなんら危機的な状況にはならないし、やはり世界の何処に居ても仕事は出来そうだ。ワタシが居ても居なくとも世界は変わらないから、もっと独りで遊んで...否、何もしないでイイことも確認した。
目的達成のためにがむしゃらに努力することはないけど、夜地下室のランニングマシンで走ったり、中国語の数字が聞き取れるようになったりするのがヒマ潰しならさして苦労することなしに腹筋は割れて新しい言語も覚えているに違いない。それも確かに集中力ではあるけど、スキルアップして階段を昇っていくのではなく健全な食生活でカラダが浄化して脳ミソが溶けていく(?)感じに近い。次の場所に移動するための準備だけど。
中途半端になっていた作業も急かすとすぐ仕上がってしまったりする。自分のやりたいことなんてその気になればさっと片付いてしまうような些細なことかもしれない。そこそこお金を稼ぐことはけして難しいことじゃない。でも、金儲けとか事業の拡大なんて野望はちっとも無いし、無駄なく効率の良い人生(?)なんて途中から始めても意味がないだろ。そーゆー方向を向かない方が小さなシアワセがいっぱい転がってる気もするから、ノンビリウロチョロして時間を浪費している方が性に合ってるみたいだ。日々のシアワセで満足してるとすぐ年を取っちゃうけど、それはそれでいいのか。ストレスが無いよう脳天気に暮らすのも悪くない。
電池は使い切って充電する方が長持ちするけど、そもそも容量が少ないから節約して使ってるのか...。デジカメの電池の寿命も延びてメモリーを512MBにしたらもうその存在を無視してもいい。でも人間はそんな風に進化してないよな。
健康診断の結果を取りに行けないでいるうちにだるくて風邪だと思ってたら急性胃腸炎だった。やる気がないと病気になることをカラダが思い知った。図らずも体重はベストに戻ったから由としよう。今後はストレスに弱いということで...。
そうこうして戻ったら連絡すると言っていた相手にも連絡を入れず2週間が過ぎて、「もういいや」と。どうでもいいわけじゃないけど、思い出してくれたらそちらから連絡くださいな。
...と、近況報告と伝言。
スタンダードな視点は、何処に居ればいいのだろう。
[実験的エントリ]は今回3回目。もういいか~て思ったけど途中まで書き掛けてたから仕上げとく。
年取ると何度も同じこと言うからココは昔の日記の焼き(書き)直しでいいんじゃない?って手抜きの思い付き。
灰皿やタバコのパッケージを集めていても、前にも書いたけど愛煙家なわけじゃない。酒造メーカーのロゴ入り灰皿も沢山ある。ビールは中瓶1本、ワインもグラスで2杯止まりだからほとんど下戸の範疇、酒飲みの趣味じゃない。タバコやアルコールは大人、あるいは男臭くあるために欠かせないアイテムかもしれないけど、いーんだ。好きじゃないしずっと必要として来なかったから。
ヨーロッパでは60年代からパブやバール、カフェ向けにそれらの販促品が数多く作られている。灰皿やカラフェ(デカンタ)、プラトー(トレイ)等アイテムはデイリーユースに適うモノじゃないけど、単に入れ物置き物と考えれば許せる。生活に潤いを与えるとか豊かにしてくれるとか、売る方としては買い手に勝手に感じて貰えると有難いわけで...。それらのロゴ入りの販促製品は凝って丁寧に作られたモノもあるけど、ほとんどはいい加減な作り。70年代になるとカズ作れるからプラスチック素材になってカラフルでポップな製品に移行していくけどやはり陶器製やオパレックスという耐熱ガラス製の灰皿の方が趣き深い。日本の場合はせいぜいロゴ入りのコップ止まりだから集める行為が継続しないけど、海外のは仕様が様々だからあれもこれもということになる。いろいろあるのは規格化されていないというか、厳密に仕様が決まっていないから。でも実はそのいい加減な作りがいい。日本にはないものなんだな。そういうゆるーい製品が身近にあると、周りに溢れてくるとカチッと作られたゲルマン製品は居心地が悪そうになる。意味の分からない横文字モノに憧れるってことはないつもりだけど、グラフィックの視点で見るとタイ語やハングル文字、あるいはロシア語やアラビア文字も気になるから同じかな。
元々自分の出自にはそれらのモノと直接繋がる根っこはないけど、この世界中の様々な雑多なモノに溢れている環境は日本ならではだから、その恩恵は遠慮なく享受しようってわけ。
質素にミニマルに生きるというのは難しい。多分何の苦労も無くフツーに育ってきた日本人には出来ないことだと思う。生まれた時からモノと情報に溢れていて、それらが無い生活というのは考え難い。でも世の中には生きていく最低限のモノすら満たされない場所があることも知っているから、エコとかロハスとか環境を考えるフリをしてると贅沢な罪悪感を軽減できるのかもしれない。「考えないよりマシ」という向きもあるけど、本質的には生活は大して変わってないからね。「ボランティアやってます」は「無農薬の野菜を使ってます」とあまり変わらない気がしている。情報に関しても、無くても生きていけるということを忘れてしまっている。大切なことは共存共生ということなんだろう。
で、話はココからちょっとズレる。
嫌煙権を声高に主張するのもどうかね、と思う。
確かに吸わない身としては無くていいモノではあるけど、ないと世界がつまらなくなってしまうモノとも思っている。それは趣味嗜好の世界は何でもそうだけど無駄を効率や性能で切り捨てたり、経済性や利便性だけで成り立っているとしたらツマラナイ世の中だよね。
またカラダに良くないといってもアルコールやコーヒーだってそうで、中毒に違いないから良識のある大人なら周りの迷惑を考えるけど本音は「自分のカラダなんだから、文句あっかー」だろ。
バイク関連の商品を売っているのは結果的に石油資源の消費に加担してるようなものだからエラソーなことは言わないけど、あるモノは使うというスタンスで余計な新しいモノ(その基準も曖昧だ)を作らなければ多少環境に優しいかなと、オトナぶってみたりする。
でもね、リサイクルの先進国ドイツでは資源は300種類くらいに細かく分類されてるからそれに併せて再生工場がいっぱい出来たんだけど、結局ありすぎて潰れちゃったりしてるらしい。生産活動の停滞は景気を悪化させるかもしれないけど、富めることが幸せという幸福観はちょっと修正した方が良くないか?と思ってみたり...。
そもそも生きていること自体がカラダに良くないことだ(死ぬために生きているということもある)し、環境保護のためと言ったってヒトが居心地のいい地球という”ローカルルール”だしね。
昨今の中国の反日騒動は情報が無くて、端から物事を比較検討して善悪の判断が出来ないから起こることだろう。政府系の新聞だって平気でデタラメな記事を書くし、それを読んで誰も内容を疑わない。デモや抗議をしたりするのはいいけど、刹那的な判断と暴走行為のツケは後で高く付くよ。
ワタシは暫らく前まで中国の政治家ってある面でスゴイと思ってた。日本人の(島国)感覚だと13億の人間を統率するなんて考えられないから。政治家として資質的には日本人のそれの比じゃないかも、と。でも実はある面では大したこと無いのかもしれない。人民は一人一人に均等に多くの飼育教育コストを掛けられていないってこともあるけど、人間のツクリが単純なんだ。シンプルならいいけど、ハッキリ言うと出来が良くない。モノや情報がないと考え方もシンプル(単純)になるというか...。街にはいっぱい自転車が走ってるけど、ちゃんと乗れないのに乗ってるヤツがいっぱい居る。クルマが止まるとぶつかってきたりするし。あ、もちろんそうじゃない人も居るよ。一流の人はそれだけの人数の中から選りすぐりなわけだから。でも13億も人間が居たら均して全体的には中身がスカスカになっちゃうんだろうな。
些細なストレスを暴力や破壊行為でしか発散できない輩を放っておく中国政府の意図も見えないし、戦後処理の問題は別として日本政府はいろいろなトコにご機嫌伺いながらやってるから強く言えないんだろうけど、「お宅のおバカな連中どうにかしろ!」くらい言えばいい、と思う今日この頃。
[実験的エントリ その3] コレクション FM; Feb. 10th 2003
桜の花が咲く前に
雨はじゃんじゃん降ってください。
いつも来ていただきましてありがとうございます。
10日エントリが空くとココ白くなるんです。
文章を書いてないわけじゃないんですけど、
最近書くとこんがらがって滅茶苦茶になっちゃうのです。
変わらず玄米ご飯には移行できません、コーヒーも飲んでおります。
健康診断は保険が利きません、具合が悪いわけではありませんが来月予約を入れました。
商品の局留め代引き発送はしません...放ったままにするムカツク輩がいたりするので。
払込票入れて商品を発送してもお金払ってくれない人もいます。
何度も文句を言ったりしませんが、そこまでのお付き合いなのでどーでもいいです。
今週BELLベルのヘルメットをAS IS(そのまんま)で20個処分します。
FireKingやCorningの食器も纏めて売ります。
早々に使わないパーツも溜めずに動かします...でも無理して買って頂かなくともいいです。
...な感じで日常も大して面白くないので、今日は写真だけ。
BGMはこれ↓で
BECK♪EVERYBODY'S GOTTA LEARN SOMETIMES
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【本日の写真】Air Tricker
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Trickerトリッカーのヨーロッパ流解釈(...カーボンフレームにYZ250Fのエンジン、BMX流の360度回転ヘッドセット)のカスタム車。紹介ページはコチラ。これは自転車にサスペンションが付いて次はエンジンでしょ、っていう必然の進化だけど、楽しそうだ。バイクとチャリンコの境目が無くなって、あとはこういう"オモチャ"で遊べる場所があれば面白いんだけどな。この車両はショーモデルだけど直接交渉すれば造ってくれるよ、きっと。モトコルセのVertematiヴェルテマティよりいいかも。
ちょっと気が早いのですが、パラパラと
永い間、あったらいい(=無くてもいい)モノを手配してきましたが、
今年の8月中旬までにサイトのショッピングページを閉めようと考えております。
自分が欲しいモノ、興味のあるモノを集めてきたようなものでしたが、
懲りずにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
一通り揃ったから「もういいや」ではないけど、もう「ウチじゃなくてもいいでしょ」てこともあります。
新しい製品もキライなわけじゃないのでそれなりに順次手前の時代のモノを持って来ればいいんだけど分かりやすく言うともう売ることに飽きてしまったということですか。
世界中歩き回っていると日本にないモノが沢山あります。まだ知らないトコロには知らないモノが転がっています。市場的には持って来れば売れるモノもありますが、どうも余計なコトのような気がするのです。もちろんモノ自体に罪は無くて、お金を出して頂けるお客さんの価値観もヒトの勝手なのですが、そこに仲介するワタシは「何だろねー」ということです。
そーゆー今まで扱ってきたモノも無かったら困るモノじゃないですから、実際は無くても平気です。自分自身はモノや情報や、ついでにシガラミに執着しないで生きていけることも分かったので、そろそろ次のステージに(全部クリアしないまんま)進みたいと思います。
モノを介してヒトと繋がるのは面白いと思います。ですから何処にでもある商品を相手が見えないウェブショップで扱うのはつまらないです。店に直接出向かなくとも目当ての商品を手にすることが出来るのは便利ですけど、売り物は商品だけではないと思っていますから、そんな付き合いや商売の仕方は味気ないんですよ。そして以前扱っていた商品をもう扱わないと知ると「無責任に云々...」とか言われたりしますが、「そんなの知ったこっちゃねーよ」というのが本音です。相応のお付き合いはさせて頂いているつもりなので。
趣味や嗜好品/持ち物には人柄が出ます。そこら辺を曖昧にセンスという便利な言葉を使いますが、実は知性です。お馬鹿に見えないためには(やはり)お利口でないとダメです。自分のことをお利口なんて驕ったことは言えませんが、そうでありたいとする努力は毎日の食事以上に不可欠と思っています。本気で遊ぶためには知性で武装するというか、アタマを使うのです。
説明するのが面倒なので、自分の欲しいモノがなくなったという言い方をしますが、実は「在ると思って探していたものが最初から無かった」という方が正しいです。元々在りモノに満足しない性質ですから、そんなことは分かり切っていたことですけど。だから暫らく自分で生み出すことを実践してみようと思っています。
というわけで、サイトでは閉店まで在庫一掃セールを行います。
叩き売り、「持ってけ、ドロボー」セールではありませんが(纏めて業者に卸しちゃうこともあるので)、ある程度身軽にしたいのでガツンと処分していきます。スチール棚やワークベンチ等の什器類もタイミングが合えば誰か持ってってくれるといいなぁ。
このブログについてはサイト同様このまま残します(サブタイトルは変えましょう)。
今まで通り気の向くままにエントリしていきます。ではまた、ボチボチと。
次は何処に行こう
おそらく伊藤園の充実野菜を週に2本は飲んでいるから月間1ダースほど購入していることになる。現在市場の実勢価格は1本200円前後、最安値は158円だ。まあ、そこまで安くなくて208円でも買っちゃうけど。通常はそのまま、たまにグレープフルーツジュースで割ったりして飲む(これは以前ママゴトの話で書いた)。
こんな話をすると「健康にいいじゃない」と云われるけど、そんなことは全然考えていない。好きだから飲んでいるだけだ。そもそもカラダにいいということがアドバンテージにはならない。スポーツもそう、好きで楽しくなければ自分からすすんでやろうなんて思わない。筋肉はすぐ付くけど、必要以上の筋肉なんて要らないし。タバコも本音を言うと臭いだけでもキライで、カラダに悪いから吸わないとか健康のために止めたわけじゃない(吸ったことがないし)。血圧が高めだから塩分控えめと云われても実際は味付けの濃いものはダメで、身体の方が受付けない。どういうわけか牛肉もダメで、うっかり食べると次の日は調子が悪かったりする。それは慣れかもしれないけど。分量を食べられないということもあってラーメンを食べに行くこともない。多分口の辛口に反して"本体"はうす味の人間に違いない。
さて、ウェブショップは何処に居てもお手軽に商売が出来る。お陰様でウチもある程度認知してもらって、何とかここまでやってきた。最近は売れるモノは分かるし不良在庫を抱えることもないけど、その繰り返しに飽きてきたというのが正直なところ。自分の興味のあるものだけを仕入れて来たけれど、もうどうでもいいかなという気がしている。商品はあるし継続して入荷もしているけど、そもそもそれ自体は昔のモノだから放っておいて価値が変わるものじゃないだろう。儲からないからという事ではなく、自分自身のモチベーションが上がらないのでそろそろ止めようかと思っている。この自分の拘り方もうす味になってしまったということだ。
この夏を目処にある程度在庫品は片付けることにして「やーめた」ということにしたい。仕掛りのパーツの手配は途中で切れないけれど、新規の手配は受けない方針でいる。
リアクタンツはOn the Earthで自分自身のプラットフォームだから
サイト自体を失くすことはしないけれど、On the Edgeでいるためにしばらく活動を休止する...
と、とりあえず予告しておく。詳細はまたあらためて...。
別の日記に書こうと思ってた
けど、長くなっちゃったからココに書いとく。
中身は以前のエントリとダブる。そこはジジイの戯言とゆーことでご勘弁を。
私はずっとメイン通りを真っ直ぐ走ってきたわけじゃない。いや、ある所まで行くと、必ず下道に降りてきた。
それは自分を取り巻く環境をワタシのワガママで一方的に変化させてきたわけで、周りにいる人間はよく思っていなかったはずだ。皆優しいからか諦めているからか都度面と向かって問い詰められることもなかったけど、それを理解して貰おうと説得する余裕が自分に無かったことも事実だ。その寛容さに甘えて好き勝手に走ってきたようなものだ。だから沢山の人達に世話になったことや恩に着ていることは強く自覚している。でもここで纏めてお礼を言う、なんて安易なことは出来ない。恩返しは何処で出来るかと考えているけど、それもまた身勝手で一方的なことだし、死ぬ時がくるまで引き摺っていく。
身内は老婆心からと「虻蜂取らず」とか「飽きっぽい」、「堪え性がない」と無責任な放言をするけど、そんなことはとっくに自分で分かっている。恨まれることや背後から刃物で刺されることは無いにしても、社会的に模範になるような人間じゃない。「絶対オススメしない」と母親には言われるし。
自分の選んだ道だから後悔はしないけど、周りに心配も迷惑も掛けずに生きていける人を羨ましくも思う(半分ウソ)。
野球はキライだけど、直球で真正面から勝負したいと思うのだ。
暴投も上等。中途半端で満足しない。三振取れなきゃ、お仕舞い。
女の子にフラれちゃうようないい人でいるのは簡単、誰にでも好かれるよう八方美人でいることもそう難しくない。人間関係は曖昧に、ほどほどが上手く行く。でも沢山のどーでもいい知人より、唯一無二の親友が一人居ればいい。もちろん一人では生きていけないけれど、結局死ぬ時は独りだし共生はしても共存ではないと思っているから、死ぬ時に自己満足出来れば本望だろう。
よく言われることだけど、「良いものを作るためには良いものだけを見ていないといけない」。
判断基準を頂点に置かないと、自分の位置が曖昧になる。目標は高いほどいい。
でも子供の頃「ピンを知るためにはキリも知らないといけない」と言われたことがある。
優れたものがどれだけ優れているかは、そうでないものと比較することで認識され、より良いものを作り出すためにはそういうプロセスが不可欠という。最初から優れたものを作ってしまえばいいじゃん!と思うけど、今日の日本製品はそういう日本人の緻密さと勤勉さの成果だから(オモテ向き)それを否定しちゃいけない。日本に居るとどの分野でも間違いなくそこそこのレベルのものを生み出すことは出来る。
だから敢えて私は「ゼッタイ間違い!」と断言する。そんなもん要らない。
「死んでからも残った人々の心に深く刻まれて生き続けるような人間でありたい」
なーんて卒業文集みたいに書いてみたり。--そのためにどう生きるか、なんて考えないけど、後世に残る仕事や引き継がれる意思(遺志)が生きて行くための糧(あるいは欲)か。だからゲージツ家(あくまでカタカナだけど)とか小説家とか作品を残す"お仕事"は手っ取り早い、と言ってみる。
あ、欲は云わない...沢山の人でなくていいや。本音は悪いオトコでいい! > 「なら、もういいじゃん!」という声も...
※翌朝になってタイトルを変えた...内容とは、近くないから関係ないか。
以前頼まれた喪中ハガキ用に書いたコピーだ。
![]()
【追記】
「野球キライ」なんて書くと反感買うのは知ってるけど、イイの。
ブログは人を貶さない、批判しない方がイイらしいけど、キライなものはキライと言う。
あ、でも正確にはキライというより「全然興味がない」。球技が出来ないわけじゃないんだよ。
ウサギが一羽二羽...
「ウサギ増えすぎて堤防が危機」というニュースは
Yahoo!トピックスより先にココで知ったんだけど。
ウサギの脳ミソを食したことがある。
もう20年になるかイタリア語が全然分からない頃、ローマのトラットリアで
「↓これ美味しい?」ってメニューを指差して注文した料理だ。「Bollito dal Carvello」だったか、
何の肉だか書いてなかったと思う。ま、そう訊かれて不味いとは云わないよなぁ^^;
あいにく写真はないけどそのまんまの塊...Brainブレインのイメージを思い浮かべて欲しい。
あ、サイズはウサギのアタマね。グレーのウネウネでちょっと光沢がある。
脇に同じく茹で上げたグリーンピースが盛ってある。グロテスクといったイメージはないけど...。
レバーのようで、フワフワした食感。不味くはないけど素っ気無い塩味で飽きる。半分以上はフォークが進まなかった。そのトラウマというか、ヴィジュアルの印象は後々夢にまで出てくるほどだ。
それは映画『Hannibal』ハンニバルに繋がるか...そっちの舞台はフィレンツェだけど。
インチキ(失礼)Vincent Galloヴィンセント・ギャロの映画に
『the brown bunny』ブラウンバニーというのがある。
一言で云えば「情けないバイク野郎の恋物語」、か。"らしい"といえばそうだけど、作品は自慰的に完結してて面白くない。新鮮味に欠ける...映画でありふれた風景は観たくない、という感じか。
で、「Free & Easy」誌に掲載された写真の彼が
↓MichelinミシュランのナイロンJKTを着ていた。
![]()
それに憧れるのか彼女がファンなのか知らないけど、
このところそのジャケットの人気が上がっている、らしい。
お陰で仕入れれば売れるけど、ワタシ自身はあまり好きでない。
数年前ラビットファーのライダースJKTを作ろうとしていた。
ファッション界はしばらくの間、動物愛護の観点から毛皮が敬遠される傾向にあった。
けれどそんなこと云ったら皮革製品は全てダメということだろう。意味のない自粛は反動でか
同時期に複数のフェイクでないファー使いのコレクションが発表された。
型押しはもちろんクラック・ダメージや表面のアンティーク仕上げ、洗いをかけた加工等、
ブロークンなファッションも行き着いた感じで、そろそろエレガントな要素が求められていたのだろう。
結局ワタシは手が遅いから、機先を制されたらやる気が失せる。
分解されたドナーのJKTと牛2頭分のなめし皮は部屋の隅にぶら下がったまま。
リベット止めでRivet Jacket(Rabbit Jacket)を考えて日本にない規格サイズのアルミリベットや
デットストックのTALONやConmarのジッパー、Silver925のオリジナル引き手まで用意したんだけど^^;
で、うさぎと云えば、上野の「うさぎや」1., 2., 3.。
たまーにココのどら焼きをお遣い物にする。
忠三の銅鑼焼より大きめでカジュアル度が高くイヤミがない。
「うさぎや」って日本橋にもあるんだけど、暖簾分けってわけでもないんだよねぇ。
ドラ焼きというとドラえもん、「文明堂」の三笠山だけど、
以前日本橋(店)で販促のプレゼンをしたことがある。
でーもね、「ダメだこりゃ」って感じ、新しいことはやりたくないみたい^^;。
この「文明堂」ってお店は沢山あってややこしい。
知ってるだけでも横浜(実質HPはコチラ)や日本橋、銀座とあるし。
ロゴマークを見ると繋がりはありそうだけど何処も詳しく書いていない。
ま、どーでもいいや。
[オマケ ] うさぎ饅頭 ってこんなにある!
趣向を示すモノやコトとの関係性がその人の人間性を浮き彫りにさせる。
マーケティングの世界では常識だけど、より細かいカテゴリー分けがフレキシブルに出来れば
「この商品を探している人は、こんな商品にもピクピクしています」的な販促に活用できるね、
と思うのだよ。
何でもござれ
建築家ミース・ファン・デル・ローエのless is more(少ないほど豊かである)という言葉に象徴されるモダニズムが目指した簡素で合理的なスタイルに対し、アメリカのロバート・ベンチューリはless is bore(なかったら退屈じゃん)という言葉をキーワードにポスト・モダンの流れを創った。
家具や食器も同じだけど、北欧のデザイン物はスッキリしてるけどモノとしては物足りない。デザインが主張し過ぎるのはNGだけど、やさしいデザインっていうの?そういう毒気のないのも好きじゃない。Danskダンスクの陶製カップがイイと思って買い求めた頃もあったけど食器はセットで揃えたくないし、木目のインテリアとか富良野の森の暮らし?とかが浮かんできてしまう。Eamesやパントンがもてはやされるのも分かる。いや、全然否定はしないけどワタシの趣味じゃない。
MUJIやFrancfrancのも単品ではもたないし、かと言ってそれだけ(で統一する)ってことはあり得ない。先日覗いた香港のショップGODも幅広くいろいろな製品を作っていたけど、目に留まるのはちょっとズレた小物くらい。↓アパート柄のバックとかフロッキープリントのスウェットとか。
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The Conran Shopは価格帯がズレてるし、Living Motifはギフト向きで実用品じゃない。
BEAMSやUAをひと通り"見学"して、結局収穫は100均ショップのプラスチックケースだったりする。
シンプルがベストとは思わない。モノを持たずに暮らせればいいけど、そうはいかない。贅肉を削って骨だけになっても、骨に模様を入れたりしてしまうし↓。
なけりゃイイってもんでもあればイイってもんでもないからややこしい。
だけど、古今東西何でもアリの選択肢から何も選ばないってのも贅沢な遊びか...。
[実験的エントリ その2] Less is Bore FM; Oct. 10th 2003
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【本日の写真】工作中 FM; May. 25th 2003
フレア模様は不良の証?、スカルとフレアはHot Rodには欠かせない。というわけで以前足を引きずっていた頃ステッキを作った。当然ながらコレは象牙でなくレジン製(...骨を削る時の臭いはキライだ)。今回気になっていた彫りの甘さを修正中。
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いつでもホットケ様になれる。
nomadさんのエントリにコメントしようとしてたんだけどちょっと時間が経ってしまった。
その上書いてたらズレてきたから前のエントリに被るところもあるけど新しく自分のエントリにしてまえ~。
もっともblogの特性を無視してる身としては無闇(タイムリー)にTBするのも憚られるから、こっそりpingを飛ばしときま。
nomadさんも言うように、大体バイクに興味のないヒトからしたら何だって同じだよね。
キムタクがTWに乗ればバイクはファッションで皆そればかりだし、大きいのはみんなハーレーでイタ車と言えばせいぜいド(ゥ)カティだ。それ以上の詳しい話を相手は期待していない。趣味に関してはどんなものでも門外漢には知らないことばかり、と言うより知りたくもないことだらけってことだな(趣味が違っても価値観の持ち様が近ければ共有できる感覚もあると思うけどね)。そこら辺の加減を無理して分かって貰おうとしないで、逆に揶揄されないよう上手くコミュニケーションするのが人付き合いのコツなんだろう。それが他人への気遣いとか配慮って言うの?でーもね、面倒だから最初から話すこともないけど休みの日は競馬かパチンコってヒトとお友達にはなれないでしょ。もっと一緒に食事して「美味しいねー」って満足したり、同じ映画を観て「あー、つまんなかった~」って共感できる相手との時間を大切にしたいと思うよね。長く生きてるとそーゆー人達との出会いは少なからずあるわけで、同じように傷付いてくれない人は「どっか行っていいよ^^」って。これはリアルでもバーチャルでも同じと思ってる。
一方掘り出し物ってのはそーゆー所から出てくるものなんだよね。爺ちゃん死んで、残った人間がホコリを被ったバイクを処分しようと業者を呼ぶ。全然興味がないからお任せで「邪魔だからお金払うから持ってってくれー」と。でもそんな中にとんでもない稀少車があったりする。最近軽トラで徘徊してる「タダで電化製品引き取ります~」ってのも同じかもしれない。骨董品を探す古道具屋のように笑みを堪えて騙して買い叩くわけでもないけど、そこにそーゆー商売の旨みと面白みがあるんだろう。私は商売下手だからそんな上手いこと出来なくて人柄でタダで貰って恩に着ちゃったりするくらいだけど(誰かMVの4気筒エンジンくれない?)。
以前の事務所で、隣りのババア(失礼)が「ウチにチョッパーあるよ」なんて言ってきた。
「元グッチっていうの?旦那が30万掛けてキレイにしたんよ」...うーん、グッチのチョッパー?
個人的にはどーでもいい話なんだけど、そこは"珍しいものなら売れるかな"とか"愛想良くして近所付き合いもしないと"と人並みに考えたりもする。で、見せて貰うとFanticファンティックだった。これはイタリア製だけど、ドイツなら金持ちコレクターが子供に買い与えるような代物。確かに日本に入ってる数は少ないし50ccのくせして安くもないけど、やっぱり日本じゃ誰も要らないんじゃない?と、500人に一人くらいのニーズは無かったことにしたい。
ただ、趣味は本来そういうもので市場の人気とか価格と関係のない状態で楽しんでいられるのが健全ではある。対価が市場価格でしかなくてその騰落に一喜一憂する輩を「つまんねーの」と思ってしまうけど、年齢や仕事ではなく嗜好や行動パターンの方がその人の人柄を示しているでしょ。見た目じゃなくてモノの見方で人間性を判断しちゃいけない?
そこそこ知れ渡っているモノやコトは記号化してて、ある程度の共通認識が出来上がっている。それは狭いテリトリーのローカルルールでしかないけど、箱庭に住んでいる方が安心って人もいっぱい居るわけで、そういう人達には死ぬまでそーっとしといてあげましょって慈悲の心を起動させる。
真っ白け~のページに
ず---------っとお越しいただきアリガトうございました。
いつ更新されるかハラハラドキドキさせてしまい申し訳ありません。
ただあまり期待されてもつまらないネタとの落差に落ちて怪我されても責任は取れませんので悪しからず。
モチベーションが上がらないと申しましょうか、腹立たしい事件はいろいろありますが私が書くまでのことはないってことですか。単に海外逃亡してて居なかったということもあります...ある意味ネット依存症ですが"現地適応能力"に長けていますので海外ではネットに繋がなかったり、ここには使命感がないとご理解ください。
さて前置きはこのくらいにして、今日のお題は「ヒトの勝手」です。
趣味の選択肢はいろいろあります。何でもアリだし、何をやっても"勝手"だから有るだけお金でも時間でも使ってください。だけどゲームはルールがないと面白くないでしょ。そのルールも自分勝手に作れるけれど、ある程度一般性というか他人に同調して貰えないと意味がない。一人で遊んでも面白くないからね。やはりそのルールに共感を持って貰えるかどうかは人柄とセンスなんでしょう。
バイクの趣味は興味のない人からすれば何でも一緒だけど、いろいろあるわけで。
商売だと興味のないバイクでもキライとは云えないけど、何でも好きなわけじゃーない。
それは「バイク乗りは皆お友達~♪」なんて云えないのと同じ。趣味の方向性の違いはあっても共感(あるいは共有)できる感覚はあるかもしれない。でもバイクとの付き合い方も人それぞれだから、ヒトの趣味にアレコレ言いたくない(云われたくもないから)。あえて敵を作らなくともいいし。
その、それぞれの都合と執心/のめり込み加減(価値観と幸福感)は知り得ないから初対面で意気投合するほどの出会いは考え難い。若ければモノ(バイク)だけでもいいんだろうけど、もうそれ以外の何かがないと人付き合いが始まらない。やはり先ず人在りきではないかと...前に書いたけどベースにバイクが無いから。
私はバイク(オートバイ)はカタチから入ったから造形的に好きでないものはダメなんだな。乗り味とか性能は関係ない。優先順位はスピードでもない。またVelosetteヴェロセットのエンジンの造形に惹かれるトコはあったけど、色が黒いバイクはどうかねーと思う。だからイギリスのバイクはどうも好きでない、らしい(嫌いではない)。そして中学時代のイタリアの自転車趣味から繋がっているからそれらの無粋な大きさのネジ(ボルト・ナット)が許せない。だからモノとしてはHarley Davidsonハーレーもダメで、別に手が小さくはないけど自分の指先と個々のパーツのサイズが合致しない。デザインや文字設計で遊んでたからカラーリングやデカールワークもそう。そんなミクロに向かう経験を引きずって派手なイタ車好きに行き着いている。
一方Hondaホンダのバイク(RS600D)は単にオートバイに興味を持った時代のモノだったからに過ぎない。それはホンダがメーカーとして米フラットトラックレースに参戦を始めた80年代初頭のイメージ。MV125Sを入手する傍ら、次を考えていた。86年にはRS600Dのレプリカとして初代FTR250が発売されて、その頃には"本物"でも街中で使えそうだぁね~と考えて94年にアメリカにキープしていたParillaパリラWildcatに追金して手に入れた(改造はそう簡単には行かなかったけど)。この車輌は当然ながら日本車のソツの無さとアメリカメイドのいいかげんさを併せ持っている。サイズは"等身大"だから視点はディテールに向かない。元のカタチがない(レーシングマシン故)から道具としてのカタチが相応しいと思っている。その意味ではFTR然とするのがルールかと。5,6年納戸(マンションのだけど)に放置してたし道具としては遠回りしているかもしれない。
基本的には乗り物は身体に合わせるモノと思っていて、吊るしで乗らない。目的はレースやツーリングユースじゃないから無理して大きなバイクに乗りたいと思わない。それは食べず嫌いで美味しさを知らないだけかもしれないけど、まだ小排気量車を走らせる楽しさに飽きていないから。モノはルールに副って自分にとっての在るべきカタチに近付けたい。そのサイズ合わせと目指すカタチのギャップがあったりするんだけど。
モノを選ぶときの判断基準があるはずだ。二つのうちのいずれかを選択するときには何か目安があるに違いない。バイクのカスタムでは一つのスタイルに絞り切れなくて余計なパーツまで集めたりする。それはその時の気分という曖昧な要素もあるけど、最終的にはどちらかに決める。さーて、モノの選択基準は何か。
実はそれはず---------っと変わってなくてクルマもバイクも自転車も同じ、
[eleganza]エレガンツァであるかどうか(...そんな風に生きたいとも思うね)。
[ 1958 Lancia Flaminia Sport Zagato ]
※一つに絞り込めないから使い分けしよう!なんてイイワケしてるんだな^^;
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で、これはこんなことを書いて「この指止まれ~!」とか「オレはこう思ってるから放っといてくれ」って言ってるわけじゃない。世間は可視の安心感が緩衝材になってリアルな虚像が成り立っている。だからネット上のバーチャルな実像は言葉の整合性はもちろんだけど住む世界の嗜好性(あるいは指向性)を具体的にモノや何言ってるか分からん放言を並べないと見えてこないんじゃないかと思う。今自分にとって実像を見せる目的はないんだけど、何かを始めるのに周りに「やるよー」って言って自分を追い込まないとダメな性質だからここはその方便としてはいいのかもしれない。
今まで道具としてのバイクはあまり必要がなかった。「何事も積み重ね」と年寄りみたいにも考えちゃうけど、だから今更始めるのに遅いことはないと言い聞かせてみるわけ。
飛行機に乗るのはイヤじゃない。
ジェットコースターは苦手だけど高いトコは平気。だけど飛行機に乗るのに、もうワクワクする気持ちはない。
幼少の頃多摩動物公園の電車とホームの間に強請って買って貰った絵ハガキを落としたことがある。その時の失意の記憶や公園で遊んで帰って上着を忘れたことに気付いて焦る気持ちはいつから無くなったんだろう。親に躾けられ、経験を積んで対処法を会得するのが成長だけど、そんな冷や汗やアブラ汗を掻く動揺の記憶が新鮮に思える。
言葉の通じない異国の地でもヘッチャラ...いろんな場所を旅してるわけでも言葉がペラペラなわけでもないけど無神経でどこか図太くなっている。最近頻繁に中国に行く(居る?)けどそこはフツーに(日本人の常識で)英語は通じない。その点はイタリアやスペインの田舎とも似ている。表記文字が漢字だからある程度の意味は推察出来る。筆談も可能だしコミュニケーションの手段は言葉だけじゃない。もっともシビアなお仕事じゃないから差し当たって困ることはないわけで...。
中国語は四音の発音は習ったけど集中力がないのか、続かなかった(その時点では時間がなかったと、言い訳)。おそらくセンスがあれば(傍目には)苦も無く覚えてしまうのだろう。英語はもちろんドイツ語、イタリア語、スペイン語そして中国語も使っていればそのうち覚えるさ、と思ってるだけで覚えてないからね。日本語を喋れば用が足りる生活に浸かって、あるいは語学を嘗めてカタコトの英語でも動じないフテブテしさも身に付けてしまった。...あぁ、やっぱり神経が図太いんだな...これは年を取ったということか_| ̄|○
でも最近このナチュラル(天然?)でいることは良く言えばグローバル化...、つまり蓮花化(蓮根/レンコン化?)かもしれないと思う。根っこはあるけど根付いていない。欧米人(> って誰よ?)は人種や民族的な根っこは意識してるけど、石造りの家に住んでるくせに遊牧民より土着性が希薄な感じ...で、それに近い気がする。ナショナリティ/国民性のアイデンティティは個々の思い込みでいいけど、言葉を道具と割り切っているか、誇りと自負って言って何処でも英語で通すアメリカ人(すべてがそうとは云わないよ)みたいなものか。
海外に居ると自分の出自を意識していることは大切だし、自分の国(Motherland)の良い所悪い所も見えてくるものだ。でも人間は居心地の良い場所を求めて何処かに帰属しようとするから、終の棲家に辿り着くまでサイズを間違えた靴を履き潰しながらバタバタしている。根っこが無くてリベラルで世界中フラフラしていられるのは中立でいるようだけど、鎧を着て周囲と相容れない価値観を押し付けているようでもある。
子供の頃は大人はもっと完璧だと思っていた。だから無条件に目上の人を尊敬できたに違いない。何でもソツなく(...完璧にじゃない)こなせるのが大人の条件だった。そして経験を積んで上達しながら完璧を求めてより高みの域を目指すことになる。とっくに大人のはずなのにいつまでも大人になりきれないと謙虚なふりをする。オトナはいつしか年を取って無神経で図太くなって、脳味噌に贅肉が付いて引き出しの在り処を忘れてしまう。五感が鈍ってアンテナにクモの巣が張ってしまう。
ひ弱で危なっかしくてニュートラル[neutral]などっち付かずの状態がいい。
子供の頃のようなオドオドする感覚は萎んだ脳を活性化させる気がする。
身体を動かして何か新しいことを始めてみるのがいいかもしれない。
---先日飛行船の話を聞いて思い出した。
飛行船はワクワクする...サーカスがやってくるっていうの?...、そんな感じ。
土手に腰掛けて空を眺めたら、ヒコーキ雲が伸びていた。
最近気付いた...
いや前から意識していたから改めて気付いたというべきだけど。
このブログはサイト経由で来てくれている人が多いからバイク(関連商品)に興味を持っている(はず)という前提にある。でも自分にとってそれは商売だから自身の日常はそれ以外のことばかりだ。バイクに絞ったページじゃないからリンクはかなり絞らせて貰っている。敢えてバイク人に近いブログを避けていると言ってもいい。ランキングやアフェリエイトのバナーを張ったりもしない。カウンターを付けているのは当初アクセス解析が目的だったけど今はどーでもいい(パスワード忘れてるし)...このカウンター結構いい加減だしね。アクセス数を伸ばそうと思っていない、というより単なる文句だから知れ渡っちゃうと生きづらいからと"無用な危惧"をしてたりするから。
My blog Japanでのカテゴリーは「趣味/車&バイク」だけどそれも便宜上。現在休刊中(廃刊?)のメルマガのコラムを移行したカタチだけど半分は個人的な日記で今それは別のトコに移してるから日常のグチを書く必要もなくなっている。つまりココは目的が無くなっているんだな。
バイク乗りの立場でもない。どちらかと云えばバイクはベースに無い。ただのオヤジじゃ(面白く)ないし、素性を明かさないと理解し難いこともあるだろうけど全ての人への整合性を考えてるわけじゃない。敢えて反感を買うような内容にして想定読者を選別しようとしたエントリもあるしね。リアルな知り合いよりもっとシビアな付き合いを要求しているかもしれない。
部屋のCDや書棚を人に見られるのは恥ずかしい。趣味嗜好や受け売りな見解の出所が見透かされてしまいそうで。だからそれを誤魔化すために本や雑誌は様々なジャンルのものを買い漁っているのか?
自分の持ち物もそうで、クローゼット(あるいはタンス)の中を人前に曝け出すのは、ハシタナイ。敢えてそれをしているのは何らかの意図があるわけだ。商売でモノを売ってる所為もあるけど、それらしい、でもちょっとハズしたモノを並べている。今流行ってるのはさておいて、次はコレかもね、と。だからホントはそのイメージの向こうに私はいない、かもしれない。...と云うほど人目は全く気にしていないから実はそのまんま(AS IS)かもしれないけど^^;
自分が何処に帰属しているかということが重要だろうか。出身や経歴は判断の補足には有効だけど、単にシラフで管を巻く偏屈オヤジでいいかな、と思うのだ。
ウワベを誤魔化すのは簡単...でも饒舌はやっぱりボロが出ることも知っている。そこを見透かしてくれないと面白くない。
オネーちゃんは好きですか?
雑誌ではトレンドはモテるオヤジらしい
(コドモには大人に背伸びさせるし、大人にはオヤジだ。その先ジジイとの間隔は拡がってる気がする)。
今どきオヤジをカッコよく見せるのは簡単。世代的には「POPEYEポパイ」や「BRUTUSブルータス」等のカタログ雑誌の使い方に慣れてるからそこそこのお金があれば「LEONレオン」や「Gentryジェントリー」、「Straight,ストレート」あるいは「Free & Easy」誌に載ってるオヤジを真似ればいい。持ち物を一式揃えてしまえばモテモテオヤジの出来上がり。「LEON」なのに「NIKITAニキータ」オンナは好きじゃないなんてことは言わないこと。
全ての女性にモテる必要は無いだろ。ターザンにはジェーン、ポパイにはオリーブしか居ないようにバカボンのパパの奥さんはサザエさんじゃない。相対する対象は限定される。そこは住む世界が違うと思って欲張らないこと、どーせ長続きしないんだから。
趣味嗜好は二の次、女子にウケのいいスタイルに徹すること。モノに拘っているようで実はウケ狙いってのがポイント、陳腐なポリシーなんて持ってたら捨てましょ。
もっともっとお金持ちならカッコは関係ない。ついでに容姿も全く重要でない、アタマが薄くなっていようが腹が出ていようが問題ない。とりあえず、オネーちゃんの優先順位は別のところにあるから。
秘訣でも何でもない、本質を忘れちゃいけない。
重要なのは期待に応えるということ。
相手が望むことをしてアゲル、という単純なことだ。
さて、問題は金がないオヤジの場合。
コレはちょっとコツが要る。そもそも、そこそこのお金を持っていないワケがあるはず。事業に失敗したとかギャンブル漬けで借金だらけとか、仕事が出来なくてリストラされたとかお人好しで保証人になってヒトの借金肩代わりしてるとか。悪行が祟っての病気持ちとか健康食品通販オタクとか、バイクカスタムローン貧乏とかどっぷり旧車レストア地獄まっしぐらとか。度が過ぎてないならホントは悩んでないでしょ。
円満な家庭、従順で堅実な妻と聡明で聞き分けのよい子供、ついでに親バカだったら外でモテようなんて欲張っちゃいけない。定年まで家のローンに拘束されるのは最上の幸せと考えないといけない。
だから、100人に2人くらいで一般性はないんだけど...基本は意外性。つまり分かりやすいスタイルは通用しない。オンリーワンの道を貫くしかない。端から社会的な信用度は無いよーなものだろうから、酔狂なパーソナリティを受け入れてくれる奇特な相手を探し求めて彷徨うしかない。「美女に野獣」とか「愚男に賢女」というイレギュラーもないわけじゃない(宝くじよりは確率はいいかも)。
ところで、(書いててなんだけど)誰でもそれを望んでいるのか?
目的が<モテること>で、生きていくのが楽しいのだろーか?「モテると楽しい(に違いない)」と勘違いしてない?モテない、金のない(負け犬)オヤジは独りで充分楽しんでいる、と最近思うのだよ。
重要なのは期待しないこと、かもしれない。
年始一発目のエントリのはずだった。
新しい年の干支は酉だからと昨年のうちにニワトリ物を仕入れていた。
フランスのアンティーク陶器のピッチャーで、民芸品ぽくないのがいいかねと。ちょっと大きめで日本では...ま、ピッチャーなんて使わないから花瓶になるかな。自宅用というわけでなく、かと言って売り物としても考えてなくて賀状のモチーフとしてとか何か使途あるでしょ、と。
ソレがコレ→。![]()
モノが増えるのもイヤだ。そんな時はどうするか。
誰かにアゲル。コレに限る!
もっとも確信犯的に最初から贈り物として想定してたりするけど。
で、このブツは妹宅への年始の粗品になった(昨年暮れに送っているけど)。
正月三が日初売りに本屋に行くと干支の楊枝入れとか貰うでしょ、そのノリ。
あまり貰って嬉しくないんだけど、捨てるに捨てられないモノだな...ゴメンよ。
昨年気になっていた商品がある。
それがコレ→。![]()
ここ数年はあまり考える必要がないけど、年賀のお遣い物として「小盆栽なんてどう?」と思っていたことがある。それにはコレがいい、世話要らずだし。ただ、残念ながらワタシの身近にこのシャレを理解してくれる年配の方はいないけど(...オフクロくらいか)。
大金持ちの友達が居たら自分の欲しいバイクはみーんな買っといて貰う、余裕が出来たら譲ってもらうってことで。そんなこと考えていた頃もあったけど今はどーでもいいや。
結局自分でモノを持たないで身軽で居るために、捨てられないモノは誰かに押し付ける(≒預かってもらう?)ということ。蔵書は図書館に寄付しちゃうとかね(それも迷惑な話だけど)。
先のエントリのバイクの置き場所もそうだけど、そのために土地家屋やモノを所有することは必須でも本意でもない。そーゆー無理(押し付け)を許してくれる親切な方々との懇意なお付き合いが肝心ということになる。
それには人徳が必要らしいよ。
寒さの所為か...否、意識が萎縮している。
戦争やテロはもちろん天災で世界中の多くの知らない人や身近だった人が亡くなって、ここ数年悲しい思いをすることに慣れてしまったけれど、いつも都度その分まで自分はしっかり生きていこうと思うのだ。一度事故で死に掛けているから"居なくなる自分"ということを考えるようになった所為もある。
大志があるわけでも財産やモノを遺そうなんてことは思わないけど、道草しないでゴミを出さないように生きていければいい。ただ一人では生きていけないし、どの国も他の国との繋がりなしにやっていける世の中じゃない。政治や経済的な事由が地球の環境問題と優先順位が逆転するには手遅れな状況にならないと気付かないとは思うけど、考えているより行動だ。個人のチカラは非力だけど何もしなければ変わらない。
皆がほんの少し隣りの人に親切になって周りの人達に感謝して優しくなればもっと住みやすくなるはずと、まだ信じている。
「モノの豊かさ」は世界標準にならないと単なる贅沢だし、価値観の違いはエゴの垣根だ。もっと外の世界を知らないといけない。いろいろ厄介な問題に直面するのを避けて何処かもっとお気楽な社会、あえて情報の入ってこないところを探してアチコチ旅行しているのかもしれない。でも中に居ると気付かないこともあるから外からイチャモン付けるのが有効なこともあるだろう。
自分より頭のいい人や才能がある人が沢山いるのは分かっている...ついでにお金がある人も。
自己満足なクリエイティブ作業はゴミになるだけだけど、社会に向けて自分なりの方法でブツブツメッセージを発信していくくらいのことは出来る。
ちょいエントリの日付を誤魔化しますが
あけましておめでとうございます。
年頭に当たって、今年の抱負も Save Doing 余計なことをしない デス。
ですが、サイトページの整理を考えています。長い間放置したままのページは閉鎖予定です。
今後パーツ手配の業務を縮小する方針ですので、ショッピングページ以外は個人HPというカタチにします。
具体的には作業が進行中のページのみ公開していくつもりです。
今年もほどほどに宜しくお付き合いくださいますようお願い申し上げます。
明けましたら、おめでとうございます。
正月早々のエントリはない予定ですので、先走っての挨拶です。
ついでに年賀状も兼ねちゃったりしてます。
お世話になった方もそうでない方も、
これからお知り合いになるかもしれない方もそうでない方にも。
来週からもう新しい年ですが、縁があってもなくても
皆々様よろしくお取り扱いくださいますようお願い申し上げます。
先のエントリを踏まえて...。
灰色の淀んだ空の下、黒塗りBMW R75の側車が鋲付き首輪を巻いたブルテリアのCobasコバスを乗せて砂ぼこりを立てて走り去る。『ブエノ・ビスタ...』で脇に息子を乗せて疾走するライ・クーダーのように、あるいは『CB感』でハブステアのW2改を駆るファントムのように。
体制への反逆なんて陳腐なポリシーはない。Just Ride for Fun, Live to Ride.
画集や写真集を見るのが好きだ。紀行文や小説もいい。映画はもっと楽しい。娯楽として疑似体験としても、お金とシガラミと時間に追い立てられる現実からの逃避でもいいではないか。実体験には限度があるからって、代わりに多くの体験をし知識を得ることが目的じゃない。思想的な制約も無く社会主義のような個人の行動が制限される国でもなく、この自由を享受できる日本に生きている現実に素直に感謝したいだけだ。自由な世界に生きている実感は"中"に居ると忘れてしまうもの。この地球上で蛇口を捻れば水が出てくる場所は少ない...無限に湧き出てくる好奇心を自ら抑制することはないだろう。
日本を飛び出すのは簡単、世界の現実に打ち拉がれて"自分探し"どころか"自己喪失"ってこともあるかもしれない。でもそれも人生、今のボケた自分よりはマシだろう。
飛行機に乗るのもいい。長い時間椅子に拘束されること自体はイヤだけど、現実の旅に勝るものはない。だからワタシは日本人でいる限り何処へ行っても異邦人で生涯旅人でいようと思っている。社会主義の国に生活する人間にとって海外への旅行は亡命を意味する。つまり単に好奇心を満たすという目的の旅行は存在しないからね。
日産のCMコピー"モノより思い出"は感傷的な気分にさせるけど、真理ではある。心に残る体験はモノという実体ではなく体感する空気や経過する時間が五感にインプットされる。そして見知らぬ土地での人々との出会いと別れだ。名所や旧跡を訪ねるのもいいけどカメラで写真ばかり撮っていないで直に自分の目で観て手で触れてみないといけない。土産話に感動を共有させようという魂胆(あるいはお節介)もいいけど、(じきに気付くと思うけど)自分のための写真や土産は要らないだろ。
(...だーから、旅はバイクがいいと思うのだ。)
人生は儚い夢の如く、短く切ないものだから...
旅立つといえば...
人間は死を前にするとどんな"モノ"も無力だ...。
去る12月20日、ワンダースタッフの柴田明伸氏が心筋梗塞で亡くなられた。
ワタシにとっては困ったときに頼りにする師匠のような存在で、勝手にマエストロと呼んでいた。
125GPのペイントは私の我が侭だから"らしくない"けど、強引に作品のページを作ってしまえば良かった...。
悔やまれることが沢山ある。自分の怠慢さ加減を思い知らされる痛い訃報だ。もうバカ話も出来ないかと思うと淋しい。謹んでご冥福をお祈りいたします。
宝くじは買わないけど夢は見続けないと実現しない。
とゆーことで、年末恒例(...んなこたないけど)の究極のバイク選びをしてみよー。
マイホームを持つことが人生の目標じゃなければ、何でも出来るっしょ!別名「妄走ガレージライフ」。
(注)きっとフツーではないので真面目にバイク選びをしてる方には全く参考になりません、ゴメンナサイ。
【前 提 条 件】
1. 4輪との同居、つまり6輪生活とはしない。敢えてクルマを持たない生活。
2. バイクの置き場所は1ヶ所と限定しない。
複数のガレージ/車庫というより、グローバル(アチコチ転々)にTPOを考える。
3. 現実味を帯びない絵空事ではなく、現状の延長線上にあるものとする。
4. ボヘミアン雑種トラ猫のRuccoraルッコラ、HOTRODブルテリアのCobasコバスが同居する。
5. バイクを扱うことを生業としない。乗ること弄ることは趣味でないと楽しくない、と考える。
6. ソロシートONLY、2人乗りは考えない。あえて同乗を考えるとサイドカー(側車)という選択。
【想定されるモデル】
1. MV Agusta125S改(125GP)参考
...本来の意味でのカフェレーサー、ABC仕様の"ハレ"バイク。一応原点だったりする。
2. Honda RS600D/C&Jフレーム参考
...レーサーを強引に街乗り仕様に。一見オールラウンドのフツーの足バイク。
一時期ダートラレースって思ってたけど、"お遊び"ならツインMXかモタードがいいかと。
3. Magni MV600 Sport/Magniフレーム、チェーンDrive参考
...イタリアンバイクのイメージの集約形。
旧態然ではなくレトロモダン路線でス・ミズーラ。トスカーナウネウネ糸杉街道仕様。
4. MV Agusta150RS.S.(150CRS)/トラマスフレーム参考
...HotRodテイストのアメリカンmettiseプチマッスル。
極力リペイント再メッキを避ける...ゆえにボロバイク。用途; 浦島太郎の亀。
5. BMW R75参考あるいは長江750側車付
...側車にCobasコバスを乗せて上海"アシ"バイクとする。
6. 50sフェンダーライトVespaべスパ
...錆びて朽ちるが如くラットスタイルを愛でる。"シャコタン"仕様、ガリガリ火花を散らす!
でも2st.は好きじゃないからMotomモトムDelfinoでも可。
※現時点で1.~4.は既に在る(3.は半分か...)から課題はやはり居場所ってことになる。
【候補リスト外モデル】
1. '66 MV Agusta125(150)Regolarita改
...青/白に塗ったおフランス仕様。飾り物にしかならないでしょ。
2. '72 MV Agusta350Scrambler改
...Spring Streamerカスタム、これは150CRSに継承。
ORG.の黄色いのを独R.シュナイダー氏から買おうかと思っていた。
3. '56 Moto Mondial125 Bialbero Works Racer
...サンデーClassic Raceにと思っていたけど、所有するには荷が重そうだからもういいや。
4. '62 Harley-Davidson KR
...ヴィンテージフラットトラッカーの雄といったらこれか
BSA DBS34 Dick Mannフレームでしょ。FontanaフォンタナドラムSetとバーター。
5. '64 Parilla Wildcat250改
...オレンジ仕様のスクランブラーカスタム。手放してそれっきり...これがRS-Dに化けた。
6. '54 Parilla Lusso Veloce175 Spl.
...伊B.バッカリ氏から譲って貰おうと思ってた。イタリアの道なら乗って楽しいけど。
7. '83 Egli Target600
...RS600Dがやって来た時点でフェイドアウト(注;ENG.が一緒)。
他にBimota DB1という選択もあったけど...。
以上の条件と今後の展望を踏まえ、ツラ~っと考えて以下のシャコ(ハブ地)を検討する。
【想定されるシャコ/ハブ地】
1. 茨城○北関東チョイ田舎の自宅ガレージにHonda RS600Dを置く。
2. 東京○23区内事務所あるいは都下倉庫内にMV Agusta125GPを置く。
3. イタリア○トスカーナModiglianaの友人宅ガレージにMagni MV600 Sportを置く。
4. 中国○上海市郊外の茶房前に長江750(実はBMW R75)側車付を置く。
5. インドネシア○バリ島ウブドのアトリエ内に足代わりのラットバイク/スクーターを置く。
6. 山口○本州南端瀬戸内海沿いの街の某カフェ内他にMV Agusta150CRSを置く。
以上。
ガンバルび~♪
そう云えば、最初に釣った魚はシャコ(蝦蛄...?)だった。
そろそろ1年を振り返ってみる。
ずっとエントリして無くて、真っ白なページもお馴染みになっちゃったけどなーんもやってないわけじゃない。
毎日都度更新と再構築はしてたり、結局スパムコメントに辟易してコメント入れられないようにしてみたり。
いろいろ書き溜めてはいるけど...でもそろそろエントリしておかないと来年になっちゃいそうだから...^^;
ついでに過去のエントリを読み返すと1年前にも同じようなこと云ってたり、考えてたりすることに気付く。この歳になって毎年成長する必要もないとは思うけど、そんなことすら忘れているのはどうかねと考えてしまう。ま、そのキッカケになるからこれはこれで役に立っているってことだけど毎年同じことの繰り返し。さして自分の状態も進展していないのはどーよ。夢(?)の実現に近付いているか?ってことだね。
「興味の無いことはやらない」がポリシーだから...否、"やらない"んじゃなくて"やれない"。そうやって20年やってきたから今さら別の生き方は出来ないし、もうちょっと徹底させるかね。幸いか懲りてかか、最近ブツ欲が無くなって在り物で満足するようになった。傍目には身の丈を知るでも、悟りを開いたでも諦観/諦めの境地に達するでもついに老いぼれたかでもいいんだけど自分では愉しみが纏まってきた感じがする。
バイク関連も具体的には今受けているパーツの手配だけにして積極的に売れるパーツを仕入れることは止めましょ。使命感は無いけど無責任で居るのも悪いからね。頼まれて喜んで貰えるのは嬉しいことだけど、それに縛られるのもおかしいし。しばらくは在庫品の処分と仕掛品の整理に専念しないといけないな。
そーゆーわけで来年はサイトページもこのブログページもどーするかは二の次ってことで。
来る年の干支は酉だけど、来年のことを話すと鬼だけじゃなくて鳥が笑うとも云うらしい。
ないものねだりで何処へ行く~
Bikers Station誌のコラムで長尾藤三氏が真っ白ページの広告の話とヘンリー・D. ソローの「森の生活」の内容を引用してないほうがいい生活のススメを説いている。全く同感で、ここ1,2年私もずっと考えていたことだ。最近二期グループの広告コピーにもその本の名があって、市場ニーズも行き詰った感もあるから時代の空気もそっちなんだろうね。
AERAの増刊号ではBaliバリに移住した夫婦や北京でののんびり"慢慢生活"を紹介している。これからはあえて快適さを捨てるという選択もアリだろう。
モノに拘って無くてもいいものを態々探してきたけど、実は身の周りには無くていいもの=要らないものが溢れている。ホントはバイク(M/C)だって在るといいけど無くていいものに違いない。旧車を愛でるのも新しいモノを追っかけなくなるから無くていいものを削っていったらそうなっただけ。在るモノを大切にするという大前提はあるけど、それ以前に要らないじゃん!ってことだよ。
モノ(と情報)のないトコロでは物欲が湧かない。欧米でなく、東南アジアを旅行すると様々な場面での不自由さに苛付く。でもしばらく過ごすとその不便さが快適に思えるようになる...慣れるということではない。バリに住むというのもスピリチュアルなものを求めているわけではなく、単にシンプルに生きるということかね。
上海でバイクに乗るのは(オモテ向き)お仕事ってこともあるけど、単に何処に居ても異邦人でありたいからかもしれない。実際の上海は旅行雑誌のイメージ写真ほど未来都市じゃないけどハリボテ度は映画のセットを凌ぐ。スクーターより長江の黒塗りサイドカー*(以前のリンク先ページ無くなってる)、それがBaliバリならサビサビのラットべスパが気分だろう。フツー現地の生活に溶け込むのが快適な生活かもしれないけど、ワタシはダメみたい。日本での生活をそのまま持ち込むのではなく、自分の既成イメージを現地で修正する感じか。
やっぱり月収1万円くらいの店員に2万円のハンコをポンと注文しちゃいかんよと、激しく自戒。
以前2輪はツインまでと思っていたのに4気筒モデルを組もうと画策してるし、イカンね。
TPOを考えると仕上がったらイタリアに置いとけ!ってことか...。
*現在上海市内では大型バイクの新規登録は(表向き)できない。
ただ実際に稀ではあるけど走っているから、乗れないわけじゃーない。
バリもそうだけど小さいモペットやスクーターは事故を招くようなものだから出来れば避けたい。
だから大型や左右幅のある車体のバイクがいいんだよ。
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【本日の写真】明日のために
言ってるそばから...。これはMagniMV600用に(とりあえず)取り置きしてるもの。こーゆーパーツはいざ探すと見付からなかったりする。モノ探しは継続だったりするからややこしい。シンプルに生きるのは刹那的でもいいけど、意思を繋げていくのはガラクタも抱えていかないといけない...。
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怠 慢 御 免
毎度毎度アクセスありがとうございます。
真っ白いページもいいものですが...^^
せっかくですので、おヒマでしたら以前の日記でも覗いていってくださいまし~。
気まぐれにエントリいたしますが、怠けておりますので何卒ご容赦のほど...。
モノでも達成感でもいいけど
何か欲求がないと労働意欲、あるいは創作意欲が失せるか...。
先のエントリに繋がるけど欲求不満が意欲の原動力なのかもしれない。つまりモチベーションを上げておく為には常に満足してはいけないということだろうか?
名誉や権力、金銭欲は無い(あったら健康食品でも売ってるな)。名声が欲しいか?生理的な欲求は別として、性愛の欲求や食欲というものも実はあまり無い。現状に満足してるとか、飽きているということじゃない。想像出来るモノに満足してしまったということはあるかもしれない...無くともよろしいってことで。
大切なのは覇気だと教わったことも忘れていない。...残っているものは何か、強いて考えるとモノを生み出すという欲求だろうか。さて、ではその目的は何だろう?
以前次代に何を遺すか、想いを受け継ぐということを書いた。個人的にはMV150CRSは自分の子供に残すためだ。モノを押し付けようとしているわけではない。財産を残そうという意味もない。そこに遺志を込めて"想い"を受け継いで貰いたいという我侭だと思う。でも今変わらずに遺せる意思はそのくらいしか思い付かない。だから車両の完成は急いてないし、極端に云えばガラクタのままでもいいかなと。
持ち物はその人の嗜好を表して書棚に並ぶ書籍と同じように思考をも伺い知ることが出来ることがある(例えば...ワタシはビニールの傘しか持たない、とか?)。残る(あるいは残らない)モノは時代・世代を超えて想いを伝える媒体に成り得る。カタチとしては伝承でも口承でもいいわけだけど実体は言葉以上に雄弁だから。ま、後は勘違いされても本人には分からないから、如何に死ぬまでに自己満足できるかということだけど。
人間は生きているうちに世の中の全ての事象を理解できるわけではない。だから学習による知識や洗脳による妄信は無知は幸福であることを再認識させてくれる。また全てを知る必要もない。自分の生きていた証(あかし)は銅像や石碑ではなく平穏な死を迎える自分の満足感でもないはずだ。人生に完結は考えられないから死ぬときは寸断でいいだろう。残る人々の心にこそ想いが刻まれて残るものだ。
と、最近うしろ向きに振り返って歩いてみたりもする。
でも私はタタミの上で死んでたまるか!と思うのだ。
きっと派手好きなんだ。
ワードローブのアウターは赤やオレンジが多いし(サイトページで確認しておくれ)。街を歩くと周りが地味なんだな。特に最近の出没地域は東京でも"ジジイな"東部だから、きっと浮いているに違いない(自分は見えないから...)。人いきれでシンドイ反面渋谷辺りの原色の溢れている街の方が居心地は良かったりする。
高品質ってのもどーも苦手だから最近ツイードのジャケットやカシミアのコートは出番も無い。フランネルのJKTは洗濯機で水洗いしてヨレヨレにしちゃうから、"オトナでオサレ"な世田谷地区や新しい横浜の街はどうも馴染めなかった。
5,6歳の頃赤いシャツを着てベレー帽を被っていたくらいだから、人と同じモノやコトがイヤなのは今更直らない。根がアバンギャルドなんだろーな。
カブリ物は似合わない、らしい。顔が大きいわけじゃないけどジェット型のヘルメットはどこかオカシイ、らしい...。帽子は好きだからよくニットキャップは被っていたけど周りのウケは芳しくない。ファッションは所詮自己満足だけど、そう云われると少しは気にする。最近CA4LAの革製クロッシェが気に入ってるんだけど...。
ちょうど黒ずくめのコム デ ギャルソンの時代だけど黒い服ばかり着ていた頃があった。ヨハネス・イッテンにカブれて色の組み合わせが面倒に思っていた頃でもあったから黒一色は楽チンだった。茶色の靴は背伸びする感じがした。今は黒い靴の方が着こなしが難しいと思うけど...。ファッションで遊ぶのは散財して懲りて学習するという経験も必要だけど、自分のスタイルを持つという意識だよね。
日本に居ると選択する自由というか選択肢が豊富だから何でもアリだ。それは階級/クラスとかTPOとかの制約が曖昧なこともあるけど、周りの評価はどーでも良くて無関心になっている所為かもしれない。フツー(一般的に)他人との差別化は個性という言葉で置き換えられるけど、日本の場合は嗜好が多様化して市場も混沌としているから一概にそうは云えない面もある。だから様式や流儀に倣ったスタイルも新鮮ではあるけど...それもそんな雑多な趣向の一つか。
少し前雑食で無国籍は日本人の特性であると書いた。日本は食べ物も衣類も身の回りのもの全てが世界中から寄せ集められたモノに溢れている。もちろん何でもあるわけじゃないけど、少なくともピンのモノは揃っている。おそらく世界で一番洗練されたモノが集まっている。でもショーケースの中身は日本に在っても意味の無いもの、根っこのないモノばかりだ。最初にモノ在りき...コーヒーより先にエスプレッソマシーンがやってくるようなものか。実際モノの本質はそのキリのモノにこそあると思うから、料理もそうだけど本質はその場所に行かないと見えない...あるいは外からしか意識することが出来ない。
ま、見えなくていいのか...見えちゃうとどーでも良くなって経済が動かなくなっちゃうから、
島国日本万歳!ってことか。
存在は実体だけどイメージは浮遊する
リアクタンツのサイトは9月末で開設して6年目を迎えた。元々ショップのHPはガラクタを売るためじゃなかったけど...何だったっけ?
そもそもショッピングページは後付けなんだよね。単に趣味のページ(今はメンテナンスを放置しているトコ)のようなものからスタートしている。サイト自体は順調というか、存続させて貰っているから有り難いことだ。個人的にはゴタゴタがあって月日が経つのが早いような...否、長かったような気もするけど、(頑固だから)自分はずっと変わらないスタンスで生きている。
発端は居場所に限定されないビジネス(商売)の形態だった。それはサイトページにON THE EARTHと書いているように実店舗は不要と考えていた。今はチマチマした小物の常時在庫品があるから倉庫が必要だけど、当初は依頼を受けて車両(バイク)やパーツを探すというカタチだったから。大事なのは自分を信用してもらうこと...モノの実体に依存している商売ではあるけど、客の求めるイメージが確立していれば実体は不要だと考えている。もっとも興味のあるものは沢山あって自分のモノの置き場所も考えないといけなかった。海外に居てもいいけど現実的な問題はブツ(実体)の受け渡しになる。日本以外の何処からでも商品の発送は可能だけど、送料や紛失等のリスクを考えると実際的じゃない。在庫品に限っては今のところ日本国内からの発送が現実的ということになる。ま、誰かにやって貰えればいいんだけどね。
最近も在庫品や自分の持ち物の処分をしている。H-DハーレーのKHには行かない(売っちゃったし...)だろうし、バイクはちょっとアメリカから離れている。と言ってもRS600Dはアメリカ育ちだし、旧車のイタリア物パーツはアメリカからが多いから関係が切れることは無いけど。ほとんど自分用のCAMEL PRO他フラットトラック関連グッズは販売するにしてもオモテに出さず裏取引だし、もういいか~という感じ。ここ5,6年のうちに20年くらいイメージしてたモノは手に入れちゃったから、古いモノは要らないかな、と。
先日Chimayoチマヨジャケットの話を書いたけど、これは毛皮のライダースと繋がっている。以前ラビットのリアルファーを使ったライダースJKTを作ろうとしていた(昔の日記に書いた)。それが近年ファッショントレンドになって、そうなったらやる気は失せるから作業は放置したままだ。そのラグジュアリーな雰囲気が六本木ABC仕様MVにはもってこいだったんだけどね(その青山ブックセンターもなくなっちゃったし)。で、同時に素材違いのライダースJKTを考えていた。Lewis Leathersルイス・レザーとCOMME des GARÇONSコム デ ギャルソンが組んでツイードのJKTを作ってるけど、そんな感じ。でもそれはやはりイギリスのモードっぽいから、アメカジ路線ではどうかねと。それがチマヨの生地を使ったダブルの綿ライダースなワケ(実用だからベクトルは逆だけど)。まー、チマヨは縦糸が弱くてすぐ切れちゃうけどね。
これはリメイクで在りもののリサイクルでしかないけど、使い古したようにエイジング加工してる新しいモノなんて要らないんだよなぁ。
ハムカツサンドを食べない。
ここ4,5年の間に食生活が変わっている。終日ウチに居るから自分でママゴトして多少健康的なモノを食べるようになった。2年前胆石で痛い目に遭ってからは尚更で、まず天ぷら・フライ等の揚げ物はほとんど口にしない(たまに鳥の唐揚げは食べるけど)。そして高血圧気味だから塩分控えめだし、そばつゆにソバ湯を足して飲み干したりもしない。アボカドサラダなんて昔は食べなかったしね。
関東の濃い目の味付けの洗礼を受けて育った身だけど、西日本の薄口(ご指摘いただきましたが、薄味ね)の醤油に慣れて赤身の刺身は苦手になった。そして淡白な味付けの和食中心の生活になっていく。こう書くと健全な年の取り方のようだけど、そうではない。
今はそれこそ辛い食べ物も市民権を得てるけど、昔は東南アジアの料理に遭遇する機会もないから辛いものを食べるという習慣は生まれようがない。今いつの間にかフツーに食べられるようになったのは周りの環境が変化したわけで自然の成り行きかもしれない。
ジャンクフードは好きなわけじゃないしお祭りもキライだけど行く度に露店の焼きソバは食べてしまう。上質な素材を使った料理はマチガイがないけど、正しいわけじゃない。
美味しいものを食べるのは好きだ。美味しい店行くよと聞くとホイホイ付いて行くし、新しいトコ(場所)も嫌いじゃない。経験値が上がるとウラが読めてしまうから実際行きたいと思う店は少ないけど、行き当たりばったりで美味しいものに巡り合うのは口福って感じがするだろ。
人間長くやってると趣味や嗜好は変わる。情報の在る無しということもあるけどファッションも同じ。
高校生の頃チェック柄メルトン地のジャケットが流行っていた時期があった。地域差はあるけどファッション情報は「MEN'S CLUB」メンズクラブが主流だったから全国的な傾向だよね。もちろん本家Pendletonペンドルトン製なんかは不相応だから安価な似たようなものだけど、好きになれなかった。真面目なヤツは学生服に地味な色味のトレンチかダッフルコートだった。通っていた学校は私服通学で私はアナーキーで硬派だった(?)からもっぱらカーキのM-65フィールドコートを着ていた。でーもね、JustenジャスティンとかTony Lamaトニーラマとか不要な情報を刷り込んでいたんだよ。
先日出番の少ないGジャン・革ジャンを処分することにした(といっても商品にして売るわけで)。自分の持ち物はサイズやカタチを選りすぐっているだけに自分にとってはピカイチなモノ。だけどあまり一般ウケのするものじゃない。ワードローブは今まで何度も持ち駒を絞ってTPOを失くそうとしてきたからそれらも持っていて困るわけじゃない。でも自分の認識がそういうモノの持つ方向性に縛られるような気がしてイヤになったから(飽きたということ?)。
そんなわけもあって、代わりに(?)ちょっと毛色の変わったジャケットを手に入れた。ラルフ・ローレンの昔のChimayoチマヨジャケット。「Free & Easy」誌のO編集長も着てたりして、人と違うものを探すとその辺りに辿り着くのだろう。もっともインディアン物はアメカジの逝き先でもあるから昔からメーカーに別注してた業者もいるし、個性の強いアイテムは万人向けというわけでもない。ネイティブアメリカンとかタバホ族のターコイズ物とか情報としてはインプットしていても全然興味はないからねぇ。
年相応な出で立ちを気にするわけじゃないけど、カジュアルのアイテムがどんどん高級品化、高品質化してしまった。20代のガキと同じ服着てるのも癪だしヴィンテージの高価な古着で太刀打ちしようなんて拘りもないから、代わりの上着を探していた。流行に関係なく、そう簡単に手に入るものでなく、新しいものでなく...と条件を付けていったらこうなった。
本物以上のリプロ品を作って流行を生みだしたりそれを商売/ライフワーク?と考えるのも分かるから、出来過ぎた製品を否定するつもりはない。でもワタシのモノの選択基準はオリジナリティで同じものは二つと要らないから出来ればそーゆーモノは遠慮したい。何より自分のキャラクターにオリジナリティがないと意味がないでしょ。
昔はよくハムカツサンドを食べた。まい泉のヒレかつサンドが究極のメロンパン(...はココ)とも思わないけど、もう食べたいと思わない。
でも日本人だからこの雑食性は死ぬまで変わらないのかもしれないな。
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【本日の写真】チマヨJKT
文中ラルフの綿チマヨジャケット(POLOの製品はB.スプリングスティーンみたいにベタなアメリカで好きじゃないけど)。特徴的な意匠は背中だけだから一見そうとは思えない?これはブランケット生地の柄次第だから数見て選ばないと具合の良いものに当たらない。コレクターは"らしい"柄を選ぶからあまりアクのないのはNGかも。ウール地のJKTもあるけど日本の都市部だと寒くないから重ね着出来ないでしょ。
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ベタで安易な選択はしない。
日本ではみんな上へ上へってより高級なモノに行きたがる...お金と時間(とストレス)が余ってるからかもしれないけど、フランス人のようにお金を掛けないのが美徳って考えてみよう。着るものは古着でいいの、て云うか古着がいいの。新しいものは要らない。モード系ファッションはアメカジ物の5割増しの値段だし賞味期限短いから。流行に左右されない、て云うか昔からあるやつの中から今の気分のものを選んで行きましょう。ここは自分のセンスを過信して!あえてオサレでないものを探しましょ。
ウチの人気商品(?)にナイロンJKTジャケットがある。BELLベルヘルメットやSIMPSONシンプソンの光沢のある中綿キルティングJKT、あるいはMichelinミシュラン等の混綿レーシングJKTね。ここ数年はそれ風に作ったリプロ物も結構売れているらしい。巷に溢れちゃうとイヤだけど1枚あると便利なアイテム。だけど飽きてない?
デニムのBARNバーンJKT、ワークJKTは在り来たりでつまらない。ずっとブランケットJKTが気になってるんだけどなぁ....Hudson's Bayハドソンズ・ベイの4ポイントのとかね(ここの毛布はバイクに掛けておくのにいいかなと思ってた)。
次は何か?と考える。インディアンのChimayoチマヨJKTもアメカジのはずれにあるけど、Ralph LaurenラルフのブランケットJKTなんてどう?どちらかというとレディース向きだけど、柄によってはメンズもアリかな、と(あえて画像は出さないでおこう^^)。そもそも派手目のが好きなんだな。もっとも自分とインディアンとの繋がりなんてCastanedaカスタネダくらいしかないんだけどね。
カメラもLeicaライカはまだしもHasselbladハッセルなんかの大判カメラ持っちゃうと行き止まりみたいだし、時計もPANERAIパネライはともかくFranck Mullerフランクミューラー等見てたら先がないでしょ。だーから、ずーっと庶民的な旧ソビエト製のオモチャライカやボストークの機械式時計が面白い。別に我慢してってワケでなく"身の丈"ってのでもなく、程々がお気楽ってことで...出来の悪い贋物なんてもっての外だしぃ。
確かにカメラは使い分けが必要でLOMOロモとかは被写体は選ぶし、不便さを愉しむ趣味としては針穴もいいけどね。いずれにしても機械に頼ってはいけない。普段使いはデジカメになってしまうけどプリント写真の面白さや良さは変わらない。最近またCONTAXコンタックスTを手に入れようかと思っている。一番馴染んでいるから、傷だらけの黒か今度はジェントリーなシルバーのね。
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【本日の写真】ロシア時計
安価だからいろいろ集めても大した散財にはならないけど使わないものは要らない。で、厳選(?)してコレ...手巻きのVostok Komandirskie。戦車とか絵柄の入っているのもあるけどベゼルリングや文字書体はこのくらいの"加減"がいい。幅広のリストバンド風のベルトに合わせるといい...中学生の頃そんな時計してたな。...なるべくモノを持たない、失くしても惜しくないという選択だよ。
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メンドーだけど、キライじゃない
晩のおかずのひとつをひじき煮にしようと近所の惣菜屋に行ったけど無かった。
仕方ない、厚揚げとセブン-イレブンの20品目サラダにしよう。
このひじきだけどワタシは子供の時分に食べた記憶が無い。親が嫌いだったわけでもないようだし。あ、豚の角煮もそう...。家で食べた記憶がないけど覚えてないだけ?昨今は何処でも食べられる料理だけど昔は料亭や割烹、小料理屋とかでしか食べられなかった。中華や沖縄料理にもあるし、今はラーメンの具だったりもするよね。10代の終わり、連れて行ってもらった料亭で初めて食べた。八角の味が独特だったけどかなり美味しいと思った記憶がある。
味覚は7歳までって云われるけど絶対音感みたいな味覚があるとかえって不幸な気もする。大人になってもほどほどの美味しいもので満足できればいいかな、と。
最近は揚げ物や濃い味付けのものはほとんど口にしないけど和食中心の食生活でもない。
以前マクロビオティック料理のことも書いたけど実践できているわけじゃない。食生活が中心にならないから難しいんだよね。極力適時適量を心掛けるけど生活が不規則だから...と言い訳をする。
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【本日の写真】気になる時計
モノ探しは難しい。売る物は簡単だけど、自分の持ち物は少しズレたところから行かないと面白くない。例えば腕時計。今普段使いはアナログ針付きのCASIOカシオのG-SHOCKかBULOVAブローバのACCUTRONアキュトロンだけど一旦ヒトに紹介しちゃったら次!ってことで、こんなのどう?
左はロシア製SOVIETのミリタリーウオッチ。70年代のアストロノーツ物はありきたりだしオモチャぽくなくてシンプルなところを突くとコレ。昔MHRマハラなんてイタリアの時計があったけど、覚えてる?好きだったけどちょっとエレガントでバイク乗りには似合わない。
一方右はAVOCETアボセットのVERTECH II ALPIN/SKI。街中では全く無用な高度計が付いている。デザインはMUJIの壁掛けCDプレーヤーやKDDI/info.barで有名な深澤直人さん。すでに10年は経ってると思うけど古さはないでしょ。どちらも市場にはあまり出回っていないけど探せばないわけじゃない。
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いや、お誂え向き。
天邪鬼だから、全国に名が通っている銘品はイヤなんだな。デパ地下行けば何処に持っていっても納得して貰える"おつかいもの"もあるけど、つまらないじゃん!周りがみんな贅沢になって有り難味に麻痺してるってことだけど、贈り物は自分が本当に勧めたいモノにしたいでしょ。で、贈り物は残らないものってのが基本。
最近アンリは遊ばなくなったのかパッケージがイマイチだから疎遠にしてるけど、どちらかというと和菓子が多くなったかな...年を取った所為らしい。
帰省のお土産(って今は田舎に居るけど...)は光圀饅頭(店はコチラ)あるいは大みか饅頭だけど、もうこれ以外選べなくなっている。水戸は納豆か梅菓子しかないんだよ。
ウチのお墓は東京にあって、子供の頃から毎年5月の連休は墓参を兼ねた東京見物だった。同じツツジの咲く階段に並んで記念撮影をしてた。いつの頃から止めたのか覚えてないけど、そもそも毎年行ってたということに気付くのもある程度の年になってからだから子供の住んでいる世界は別の所にあったんだと思うね。
ちょっとズレた。そこでお茶請けに出されるのがお寺の名前の入ったかるやきなんだけど、これが美味しい(写真は文字だけど以前は葵の紋だった)。いつだったか作っている所をつきとめ入谷にあった店に直接買いに行ったことがある。いつか自分の焼印で作って貰おうと思っていていまだに実現出来ずにいる。そんなに費用も掛かるとは思えないけどね。
細々とだけど自分で商売をやっていると年始の挨拶とか盆暮れの進物やらを考える。ビール券とか商品券等の在り来たりのものが一番という意見もあるけど、オリジナルな物にしたいと思っていた。賀状や季節の挨拶ハガキは自分の趣味で気まぐれで作るけど、自前の図柄の手ぬぐいや名入りの饅頭を配るとか。
そう、その前出の饅頭屋はオフクロの実家近くにある店だったから、大人になるまで美味しいのは欲目かなと思っていた。でもいろんなトコのを食べ比べてもピカイチだった。パッケージは銀紙で巻いてあるだけだからウチのロゴ入りでも作ってもらおうと考えていたり。それはオリジナルのTシャツを作るとかお揃いのクラブJKTを作るとか、カレンダーに社名入れて印刷してもらうのと同じことだから特別なことでもないでしょ。
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【本日の写真】Honda FMX650
あまり新しいバイクに目を向けないようにしているけど、漸く出てきた。使い途はともかく、こういう選択もアリかな。ナップスさんのブログ、独INTER MOTOインターモトのレポートにもあるこの"ジェントリー"なのがイイ。ホンダのプレスリリースはコチラ(PDFファイル)。詳細/写真はホンダイタリアのページで(色違いPhoto有)。【寸評;ま、忘れ去られたドミネーターのモタード版か。で、くちばしはギミックと云うか見せ掛けってこったね。でもヨーロッパのオヤジ受けしそうだ。】
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ゲバラは39で死んじゃったけど
天邪鬼だから昔から
日本のインテリア雑誌はいつも同じアプローチでつまらない。それは目指すところが「快適でカッコイイ生活」、あるいは「お洒落な暮らし」だから。インテリアのスタイルや時代の流行もある。Eamesイームズとか北欧家具とかね。でも本来それは住む人の体験とライフスタイルが反映されているべき(はずの)ものだからモデルルームのような付かず離れずの趣味の空間は嘘っぽい。
「カッコイイ」って何だろう?「居心地のいい」の同義語ではないし...ファッションのように異性や誰かにモテたいからとか、もちろん自己満足でいいけど、そこに自分らしさ;個人のキャラクターが投影されていないと落ち着かないだろう。ただ画一的なスタイルで満足できるのは幸せなのかもしれないとも思う。その意識(差別化を考えないでいること)が日本の経済をここまで発展させる原動力の一端を担ってきたともいえるから。
モノ(Object)を価値観の基準にすると、同じ金銭感覚を持つ同好の士は得られても同じ感性と皮膚感覚で趣味を共有できる関係は難しい。好きな音楽や食べ物で繋がっている方が豊かな関係を保っていられる。人付き合い悪いし、ツーリングやレースをメインに付き合うならいいけどただ会ってダベるってのはもういい。バイク野郎とツルまないのはそんなワケもあるんだけど。以前"社会常識の温度差や空間の尺度、高度差等の体感ギャップにワクワクする"って書いた。そのギャップの有無を分かるモノ(Subject)の見方をしている人達と繋がっていたいと考えている。
過半数のヒトの支持を得たいとは思わない。それでは自分が埋もれてしまうことになるだろう(以前市井の人になるって言ったっけ?)。100人に2人でいい。このブログや今のネット環境は時間や地理的な制約を超えて、そんな人との出会いを可能にしている。極端に言えば98人の敵を作るということでもあるけど、それもいいではないか。
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【本日の写真】映画『モーターサイクル・ダイヤリーズ』ほか
来月公開される『モーターサイクル・ダイヤリーズ』は伝説の革命家エルネスト・ゲバラの若かりし日の著書『モーターサイクル南米旅行日記』を原作とするロードムービー。"チェ"ゲバラに傾倒するしないはともかく、無鉄砲で情熱的なゲバラの青春に共感出来るかもしれない(実は、昔原作を読んでいるけどあまり強い印象が残ってない...)。恵比寿のガーデンシネマは好きな映画館だから期待しよう。この映画はメキシコのガエル・ガルシア・ベルナルが演じているけど来年にはあのデル・トロが主演する『Cheチェ』が公開されるという。しばらくは"濃い"ゲバラグッズが巷に出回りそうだ。因みにバイクは'39年Nortonノートン500だよ。
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バーチャルは分が悪い?
実際会うとそうでもないと思うけど、このブログのサブキャッチのように偏屈オヤジだしムカツクようなこと平気で書いてるから。バイクに金をつぎ込んで鼻持ちならないイヤ~なヤツのイメージない?よーく読んでくれる人は判って貰えてると、勝手に解釈してるけど。
Ferrariフェラーリのミーティングに出くわすと金持ちが優越感に浸って...みたいに思わない?もちろんそういうオーナーも中には居るけどほとんどはそんなことなくて"フツーの人"(って?)だ。そう思う方に勝手な先入観と劣等感があるからなんだな。2輪にもそんな意識を持つ人がいて、話をすると疲れてしまうことがある。イタリア車特にMV Agustaアグスタなんか持っているともうそれだけで「お金持ちー」って思われてしまう。確かにMVオーナーは燃費や維持費なんて考えてないけど。
日本では今でも趣味嗜好品はイケナイ物、贅沢品のように思う風潮が残ってるんだよね。「分相応」って言葉があるけどそれは誰が決めるわけ?ココが壊れたとかパーツがないとかの会話も持つ者の驕りになってしまうらしい。価値観の違いだからと切り捨てちゃうのは楽だけど、Hondaホンダのバイクも持ってたりするわけで...。自己満足も人それぞれだし、自分の趣味も尊重して貰いたいから人のことを貶したくない。だからフツーの会話をしようよ。
高飛車な商売をしているとは思う。やっぱりMVは特別で、アグスタF4のパーツを安く手配して貰えないかって問い合わせもあるんだけど、そういうのは嫌なんだ。メーカーが安売りしないようにしているバイクだし、少しぐらい安く買うことに何の意味があるのだろうと思ってしまう。お金を出せばいつでも買えるものは他を当たってよ、と言いながら日銭を稼がなくちゃいけないんだけど^^;
バイクのいいトコは乗ってナンボだから、いくら高級でお高いバイクでも威張れないってことだ。趣味だからお金を掛けた方がエライってこともない。いかにお金を掛けないでって自制もアリだし、メーカーもそうだけど排気量の大小による優劣なんてない*。レーサーじゃないんだから速いのが一番なんてこともない。日本ではイタリアンバイクというとDucatiドカが代名詞だけど、イタリアでは単に一つのブランドだし大きな排気量のバイクは限られた人達のものでしかない。で、イタリアでは旧車趣味はミクロなのね、より小さい排気量の方に向かっていく。年を取って体力的な制約かもしれないけど旧車の50ccクラスのクラブは熱い。週末のイベントはハゲたオヤジと白髪の紳士で盛り上がる(やはり先には自転車があるような気がする)。そういう点ではイタリアの旧車を取り巻く環境は居心地がいい。もっともイタリアでも前提条件として生活にゆとりがないと維持したりイベントに参加したりも出来ないわけで、自ずと裕福なオーナーが多くはなる。自宅に招待されてビックリということも一度や二度じゃない。でも共通の話題はお金と関係のないところにあるから楽しい。
ここには自分の意思を提示しておくわけだ。オモテウラじゃないし二面性があるってわけでもない。こういう趣味ですって宣言しておくと価値観を相容れない人は入ってこない。でもこことサイトページから伺えることが私の全てかもしれないし、ほんの一部でしかないかもしれない...バーチャルな実像ではあるんだけど^^。
*日本車のリッターマルチのオーナーの中にはそう思っていない人が多い。それは「いつかはクラウン」みたいなもの?「いきなりクラウン」てのもあるけど。あ、MVの4気筒もそうか...。
残った花火(待機分エントリ)を打ち上げる
やり残した夏の余韻を漂わせて朝夕めっきり涼しくなってきた。8月はオリンピックと台風と地震と噴火と、夏休みと盛り沢山でテンテコ舞い(略して"テンコ盛り"、じゃない)でした。
さて一般的にはTシャツの季節も終わりですが、南の島に居るワタシは年中Tシャツです(気分だけ)...それほどでないにしても真冬でもインナーはTシャツ1枚ってことが多いからタンスにしまわれることの無いアイテムです。
数枚のTシャツがウエス逝きになった一方、新規に加わったものははたしてオレンジとイエロー物がほとんど。オレンジジュースの応募で当たった物まであるし。前回購入のユニクロモーターオイル系はイマイチ出番が少なかったけど、まだ使えるでしょ。
一年中Tシャツでいるというのはお気楽さを体現するようなもの。フツー日本では仕事の都合や社会的年齢的なこともあってなかなか難しいでしょ。オンとオフは服を着替えて切り替えるというのも判るけど、面倒なんだ。それはTPOを楽しむのがイヤなわけじゃなくて、周りの人達に分かるよう皆とお揃いにするのがイヤなんだな。
姉妹サイトで扱っているSailorJerryセーラージェリーも昨年辺りから漸く認知されてきた。ここの長袖Tはお気に入りだけど今の商品ラインナップにはない。ストレッチ素材だからちょっとマッチョでゲイっぽい。
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【本日の写真】秋の若作り算段
夏の終わる前にユニクロで見付けたのはこの長袖プリントT(実物は写真よりタイトでヨレヨレだよ)。これにアバクロのカーゴパンツを合わせる。このパンツ、シルエットはとび職装束に近いか...。で、足元は昨日のWalshウォルシュ(紐は白)。トップスにまた派手めなシャツ持って来れるでしょ。
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スカジャンは気になっていた。
ファッションは目立つことだけど、いい子だから!母親が目を顰めるような格好はしない...と、言いながら一際目立つ赤やオレンジ色の服を着てるな。
そういう点でもスカジャンはサテン地のテロテロした感じはチンピラみたいなイメージだから欲しいアイテムではなかった。この呼称もいけない。"スカ"は横須賀のスカだけど"空かす"とか"賺す"とか良いイメージの言葉じゃない。
ヨコスカの街との繋がりもないし、そもそも当時日本に居た米兵の勘違いした日本のイメージだから図柄のモチーフも富士山はともかく鷹や虎や龍だったりして。フェローズや東洋エンタープライズの製品のようによく出来た現行の商品もあるけど安価なのは刺繍のクオリティがどうも...でも何より図柄がねぇ、なのだ。日本地図なんて背負いたくないし、スカル/ドクロ柄にしても不良のアイコンという薄っぺらな"アップリケ"みたいでイヤだった。スーベニア・ジャケットと呼ばれるように所詮お土産モノだから作りが云々ていう代物でもないんだろーな。
つい先日sadan氏もブログにエントリしてたけど、スタンスは近い。健全な人?にはあまり縁の無いワードローブに違いない。スタジャン(スタジアム・ジャンパー)...本来「バーシティジャケット」「レタージャケット」と呼ばれるモノもあるけど、70年代のアメフトブームの時代から日本じゃ縁がないだろ、無意味な数字とかエンブレムはカッコ悪りーって思っていたし、意味も知らずに堂々と欧文のTシャツを着る勇気もないよな。
あ、スカル繋がりで思い出した。今"TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE"は氣志團のアルバム名らしいけど...本来は"Too Fast to Live, Too Young To Die"(落ち着くには早すぎる、死ぬには若すぎる)、これはVivienne Westwoodヴィヴィアン・ウエストウッドのショップ/コレクション名。Sid Viciousシド・ヴィシャスに傾倒する輩にとっては座右の銘といえるフレーズだ。
でも、このスカジャンの図柄と刺繍の仕上げの良し悪しは職人の腕次第だから当時物でセンス良く仕立て上げられたモノが存在する。あまり目にする機会が無いから忘れかけていた。(自分にとっての)"ピン"を見ていると"フツー"の出来の真似っこあるいはTOO MUCHな復刻モノはNGだし、昨今使わないものは要らないと思うようになっているから尚更だった。ところがこの"伝統的な"モチーフ;虎と龍は中国意匠でもあるわけで、上海のチンピラになりきるには都合がいいのではないか、と気付く(...いつまでも落ち着かないオヤジだと我ながらアキレる)。
*タイトルはsadan氏のタートルズのスニーカー1,2に感化されてかWalshウォルシュのランニングシューズを入手したから。オサレ系じゃなくてスーパーのワゴンに乗っていそうなCOBRA。キッカケがないと物欲が生まれないけど他意は無い^^。
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【本日の写真】Souvenir Tour Jacket
それがコレ。50年代のオリジナル。オモテ別珍地に虎と龍の刺繍、リバーシブルのウラは龍と風雲。このくらい控えめなら使えるかなと。全然安くないけど...。
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たまに雪崩や地崩れが起きる
えのあきら著「ジャジャ」5巻と
東本昌平著「CB感。REBORN」002が出てるよ、
と新しいネタから振っておいて...。
人に本棚を見られるのはちょっと恥ずかしい。別に恥ずかしい本?が並んでいるわけじゃなくて、自ずと趣味嗜好の本が並ぶわけで捻くれてる傾向が判っちゃうでしょ。月2,3冊の単行本やイレギュラーのコミック本等を除けば雑誌だけど普段購読しているのはこんなの↓(順不同)。
・月刊「料理王国」
...突き抜けた料理の本。日本のピカイチはここに載っている。写真もキレイだけどその分高い。
・月2回刊「POPEYE ポパイ」
...必要な情報が載っているときだけ。切り抜いて捨てるか梱包用資材になる。
・月2回刊「BRUTUS ブルータス」
...創刊から買っているからもうずいぶん長い。途中ちょっと止めて今はたまに買うくらい。
・月刊「Casa BRUTUS カーサ ブルータス」
...好きな建築家のときだけか。
・月刊「Free & Easy」
...これもずっと買ってるけどもうやることが尽きた感じ。季刊のムック本でいいんじゃないかと。
・月刊「STREET BIKERS' ストリートバイカーズ」
...フラットトラック関連4ページのためにまだ買っている。流行りも分かるけどもういいか。
・月刊「TITLE タイトル」
...特集次第。半分はいらないページ...というか、全く興味のないレギュラーページがある。
・月刊「monthly m マンスリー・エム」(サイトは閉鎖してる)
...これも創刊から。最近ちょっとマンネリ気味、モノカタログとレストラン選びは飽きてきた。
・月2回刊「Pen ペン」
...ギリーの頃から。"1点モノ"カタログからアナログ情報誌に。インテリア特集はフィガロとかぶる。
・月2回刊「madame FIGARO japon フィガロジャポン」
...女性ファッション誌だけどインテリア特集のとき、スノッブな海外特集は海外に行きたくなる。
・月刊「HUGE ヒュージ」
...20代のストリートファッション誌。高品質(無意味)なデザイン?で差別化を図ってるけど...中身はないか。
・月刊「Esquire エスクァイア」
...これも特集によるけど南の島、リゾート特集は買う。美容室向きか。
・季刊「Men's non+no. G メンズノンノ ジー」
...キムタク本?とりあえずハイブランドのシーズンごとの傾向を知るにはいい。
・月刊「FUDGE ファッジ」
...女性誌だけど単なるファッション誌でないところが結構気に入っている。
・月刊「Ku:nel クウネル」
..."引き篭もりのススメ"あるいは早くおばあちゃんになるための雑誌。都市部でなくとも生きていける。
・月刊「CHAI チャイ」
...最近アカ抜けてオシャレになった中国情報誌。ポイントはちょっとズレてる?
・月刊「Memoメモ男の部屋」
...最近身近なリフォーム本みたいで買ってないか...。やり尽くして行き詰った感じ。
・月刊「Luca ルカ」
...文学少女系アートマガジン。カーサブルータスとダブるけど主婦向け?
・月刊「ソトコト」
...巻末のスタッフクレジットに注目。錚々たる雑誌作りのプロが揃い踏み。エコロジーはお金になる?
たまに、ということなら他にバイク雑誌や芸術文芸誌もいくつかあるけどキリが無いしね。昨今アート本や大判写真集を買うことは無くなったし昔から酒もタバコもやらない。ギャンブル趣味もないから安上がりじゃん!なんて云われてもお金が貯まるわけじゃない。自分にとっては必要経費と思っているけど、そんなのばっか!とも言えるよなぁ。
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【本日の写真】山がひとつ
床の一角に雑誌の山が出来る。昔のも引っ張り出してくるからこの有様。このあと整理したよ。
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元々アジアン趣味、てのはなかった
...このアジアってオリエント/中東以東の東南アジアってことね。ワタシは世代的にはファッションはアメカジに始まってデザイナーズブランドのバブル時代を経てヨーロッパのモード志向で、とマニュアル雑誌のレールを歩いてきている...お手本(あるいは反教則本)はPOPEYEポパイというよりBRUTUSブルータスだけど。そして質実剛健、機能本位の機械屋/電気技師の親だからドイツ志向で金属はステンレスが一番みたいな刷り込みもある。
日本の和の部分への関心は元々あったけど、ある時ちょっとベクトルを修正して強く意識するようになった。子供の頃から書道をやっていたとか祖母が着物を着ていたこともあるけど畳/タタミや襖/フスマの部屋は好きだし、四季折々の日本の風物はイイねぇと思うのだよ。で、どんなに外国のモノがいいと思ってもどこかに違和感があったりする...自分の根っこ/ベースとシックリ来ない。そこはやっぱり紙と木と土の家かなぁと。
子供の頃横浜中華街で買い求めた中国の文房具(毛筆や墨)やお菓子は違和感があって馴染めなかった。それは単に五感が受け付けなかっただけかもしれないけど韓国の陶磁器も歴史的に辿ると日本のそれと繋がっていると判っても、真っ直ぐ自分との接点は見付けられない。
現代のコンテンポラリーと云われるすっきりデザインされた家具やモノ達は一見無国籍だけど、作り手の根っこの感覚を無視して生まれてくるものではない。ミニマムなものや奇を衒った突然変異的なデザインにしても発想は国民性や生活環境からくるもの、プロダクツは原産地の生産環境と製造規格やらそして辿ってきた歴史との密接な関係があって必然の産物だから...。
日本は島国の所為か外からの文化は流れ着いた"モノ"から始まっている気がする。人の交流ってのじゃなくて。そして雑多な文化の共存・共生は今に始まったことじゃないからそもそも雑種でいることが日本人のアイデンティティではないのか。大枠では他民族との差別化や宗教的なカテゴライズは必要なかったから、個の差別化が個の視点に向かったに違いない。そう考えると日本人の根っこはちゃんと土に埋まってない、池の花蓮みたいに(もっとも、今はひと括りに日本人といえる時代じゃないと思うけど)。
葦やアタ、竹、籐等を編んで作ったバッグやインテリア雑貨・家具は素材の違いこそあれ世界中何処でも見られる製品だ。東南アジアでは今でも昔ながらの製品が造られている。日本では需要は簡便さと引き換えに生き残るのは無形文化財や伝統工芸士の職人芸になってどんどん縁遠いモノになっている。駿河の竹千筋細工の行燈や江戸すだれとか繊細な造り込みに感心してもやっぱり安くないからね。安価な中国製の方がはるかに入手は容易だし、ディテールに拘らないとフツーは使い捨ての代用品に満足してしまう。
東南アジアの民芸品のプリミティブな懐かしさに惹かれるとか、美意識はアプリオリ(本性的)に埋め込まれているとは考えていない。中国みたいに歴史を寸断して生きていく(文革の時代を教えない)とか、自然と隔絶した石造りの建物のなかで個の確立を目指す生き方もあるのかもしれない。
でもね、日本に居るのなら、伝統工芸品は高級品化してるけど日本の気候風土に根付いた粋な文化も愉しみたいと思う。そんな贅沢な嗜好品を求めるのは無駄遣いと言われかねない。現代の職制では工芸を文化として残していく代償が高く付くのはしかたがないと考えられないか。ただモノを見る、使う意識を変えていけば需要も変わってくるはず。昔の技術を生かして今のデザインでモノ作りってのもあるだろう。エコロジーを考えて製品が長持ちすれば結果的に森林破壊の抑止に役立つ、なんて企画書も書ける...もっとも無くなってもいいモノも沢山あるんだけど。
先人の積み重ねてきた文化を大切に守っていくという大袈裟なものではなく、愉しみとして次代に繋げていくのが健全な社会における文化の成熟の仕方ではないか。
最近中国の上海に行く機会が多い。でも中国の昔からのモノ;景徳鎮の陶磁器や端渓硯等の文房四宝等を集めようなんて思っていない。実際に使わないものは要らないし、沢山の本か博物館で本物を観る機会があればいいかなと。...最近贋物というか良く出来た古色仕上げのブロンズ像等使い途のないのも買ってるけど。
かつての植民地統治時代の建築様式を残すのは世界でも少ない。上海は1920-30年代つまりアールデコの時代の意匠を持つ建物が少なくない。それでもそれらの建造物を遺す遺さないの基準は曖昧で、結構気紛れだ。いつまで残っているかは分からない危うい存在でもある。その気紛れに壊された遺物のかけらでも掘り出してこようかと考えていたりする。タイムスリップできる空間が残るところは在るうちに行っとこーという感じ(伊ヴェネチアのリド島の空港は今でもそのまま?)。
価値観のギャップは面白い。実は中国人の考える価値のあるモノには全く興味が無い。そして日本人の私の持つ価値観に13億の人民は気付くまいと思う。意識の温度差とか物価の段差とか、高い所から低い所へ水が流れるときにエネルギーが生まれる。日本に居るとそういうギャップはバリアフリーってことで均されてしまう。中国に長居すると太るし、鼻毛が伸びることを再確認する。しかし居心地の良さからは何も生まれないことに気付く。落ち着いてしまわないよう意識を覚醒させるにはいい場所だ。
かつて羨望の方向はアメリカ越しの東向きだった。でも実はアメリカなんかどーでもよくて、そのずっと向こうのヨーロッパだった。今、西を向いてアジア越しに地球をぐるっと回って日本を捉えてみる。日本という国がベストとは思えないけどここを地球のスタンダードにしてもいいかな、くらいには思っている。
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【本日の写真】クウネラー必携図書
クウネラー(クウネル愛読者をこう呼ぼう)にオススメの本。二戸治身著『「ほどよい不便」がいちばん幸せ』。日本がまだまだ?アジアであることを再認識させてくれる。この写真は写真付きの帯が付いているけど外すと白地の本(Amazonで見るとわかる)。モノに拘るけど平松洋子さんの本や伊藤まさこ著『まいにちつかうもの』なんかも。別冊 私の部屋刊の『気持ちいい道具と暮らそう』、『心地よい道具と暮らそう』って本もある(入手が容易でないかな...)。
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いつまで放置しておくのか...
長い期間エントリがないと心配してくださる方が居る。夏バテ気味のsadan氏がブログを書くモチベーションが上がらないって云ってたけどそーでもない。そもそも時事ニュースに拘らないブログらしくない日記だし、責任感や使命感なんてないからね。まして仕事が忙しいわけでもない。ま、やる気が無いってことで、(表向きは)夏休みだよ^^。
で、このブログは何のためかっていうと自己弁護だから。メルマガはサイトページへの誘引って商用目的もあったけど、もう名前を広めなくともいいし。戯言は言っておくと後で弁解が出来るだろ?
9月になればちょくちょくエントリ始めましょってことでお詫びのような、やはりイイワケのような...。
融通は利かない、あまり懐も広くない。
趣味嗜好は人の勝手だから批判しないし否定もしないけど、自分の嗜好/思考をココに整理してみる。
何事も一緒だけど分かり易い/難い?ようにカスタムバイクの話ということで。
バイクはツルシ(買ったまま)で乗らない...と以前にも書いたけど、それはメーカーが出してきたままでは満足していないってこと。だから"自分仕様"にカスタムするのは暴走族の族車と同じようなものではある。一般的には個々のパーツの質感と性能のグレードアップを目指したりショップでボルトオンの何々風の外装に交換したりする。ワークスレーサーに近付けようとするのもある程度はそうだけど、それは行き過ぎると族車のそれに近いな。元ネタが何処にあるかってのが問題だけど、拘りや思い入れの深さも個々人で違うからその意識の賞味期限も様々だ。分別のある大人はその手を入れる/お金を掛けるほどほど加減を知っている"はず"だ。
でもトコトンやり尽くして、懲りないと見えてこないこともある。どんなにお金を掛けて高性能でオーバースペックなパーツに交換しても壁に当たる時がくる。思い描く理想のカタチに持っていくまでは楽しいけれど、ある時ハタと気付く。「フレームが、エンジンが違うじゃん!」どんなにワークスレーサーを真似てもそのものにはならないのは判っていたけど...で、飽きてしまう。コテコテのカスタム車が人手を転々とするパターンだ。あるいはアメリカによくあるピカピカチョッパーの自分との接点の希薄さに気付くとか。結局懲りた人間はバイクに飽きるか市販モデルをドノーマルで"大人しく"乗るということになる。
メーカー出荷時の車輌はある意味で一番バランスのいい状態だ。特に大量生産される日本車の場合、個々の装着パーツと性能は高次元でバランスが取れている(もちろん時代が下ればオカシなモデルもあるけど、そこにはマーケットというファクターもあるから)。昨今メーカーはモデル間の共用部品を多くして生産コストを低減する方向にあるけど手軽なカスタムではメーカー毎のOEMパーツを流用するのが無理がない。細かいところだけど、パーツの規格、質感と意匠に統一性がある。安易にアフターマーケットの製品を付けて満足するのならいいけど、その僅かな差異に納得がいかない。
おそらく最近のH-DハーレーやDucatiドカ等のバイクに乗る人は気にしないことなんだろう。でも60年代の伊自転車から入った人間には個々のパーツのDNAを無視することが出来ない。それぞれの生産国の国民性/気質、伝統と慣習、歴史と文化そして時代がそこに見えてしまうから。
旧車の場合はなおさら、先人の仕事をリスペクトするというほどではないにしても最初にルールを設けるのは遊びの基本だと思っている。
【追記】
中途半端な酔っ払いエントリ(飲んでないけど)にトラックバックをいただき恐縮してしまいます^^;。
「で、だからどーした」という向きはかったるくなければ、サイトページを覗いてください。人生の踏み外し方の一例をご覧いただけるかと存じます。
というか、8月はイタリア人になる。
で、しばらく夏休みということに(全然バカンスじゃないけど)。
サイトは24時間365日オープンしてますので、ご注文いただければ誰かが発送手配いたします。
わたくしはちょっと実家でゴロゴロしてから上海にコオロギ趣味の探求に行っております。
戻りは未定です。予定が押して名古屋行きが入らなくなっていますが、
涼しくなってからということでご容赦を。
ネットはずっと繋がっていますので気が向いたらエントリします。ではしばし、お休みなさい。
帰省の際、手土産は何にしようかと考える。
年を取った両親の健康を労って...って本人達の方が考えてるし、味覚の嗜好はそうは変らないんだけど。
カマボコや佃煮は喜んでもらえるけど、自分はまず箸を伸ばすことは無い。デパ地下で良さそうな店を探して買うんだけど、試食を勧められても困る。1本5千円もするカマボコは美味しくて当たり前、"ご自宅用"には買わないし、佃煮や漬物は嫌いだし。小分けした佃煮は食事のお供に重宝がられるけど東(関東)のソレは味が濃い...って昔の記憶だけど。だから自ずと京ものになる。...あ、辛子明太子なんかも好きみたいだけど塩分は控えたいからね...。
で、京都のちりめん山椒かな。本来は自家製か惣菜屋で量り売りしてたりするものだろうけど料亭や割烹等で茶漬けの高級な(おそらく...)具をツマんで驚いたことがある。小さなじゃことピリッとした山椒、薄味で甘味の少ない味は東の塩辛い文化には無い食べ物だ。佃煮もちりめん山椒も子供には縁は無いし、大人になって"取って付く"のも変だけど大人にならないと経験できない味ではある。文化には子供と大人の垣根が必要で、それがないと豊かな大人の社会が成り立たないということ、だ。お遣い物にも年齢なりのお遊びとお行儀が必要なんだなぁ。
今は流通システムが発達して全国からほとんどの商品の取り寄せが可能になったけど、地方の名産品をそうやって手に入れるのもどうかと思っている。海外の珍しい食材を高いお金を出して手に入れるのもそうだけど"スローフード"という意味を取り違えていないか。味覚は舌だけではないと先のエントリにも書いたけど、その地に出向いて料理を味わうゆとりが欲しいよな。あるいはもっと身近な地場の食材に目を向けるとか...。新鮮な食材を手に入れられる恩恵と利便性を否定するわけじゃないけど、お手軽な"口福"に慣れてしまうと感動が薄れてしまう。舌がデブる(ただ肥えるという自戒を込めて)のは避けたいな、と。
そう云いながら洋菓子はいつもの"神戸モノ"アンリだし、つい目先の変ったモノを探してしまう...て、いうか今は実家の近くに居るから手土産なんて要らないけど。
な話で恐縮至極...今週は動いた。
海外から取り寄せるバイクは東京か横浜に荷揚げされる。東京はエアが多いから千葉県市川市の
で、昨日車輌の通関ついでにマイカル本牧に立ち寄る。ここは米軍住宅跡地を利用した複合ショッピングタウンの先駆け的存在だった。かつて映画館やオサレなショップとレストラン、ゲームセンター、ホテルなどが並んでいた。スーパー(マーケット)と映画館は残っているけどテナント棟のスタレ様はすごい。ファッションセレクトショップはいつの間にかディスカウントショップになって、今はほとんどユニクロのオンリーショップだ。F.O.B COOPフォブコープやお気に入りだったCERRUTI 1881セルッティなんて跡形も無い。ホテル ル・ファール本牧は最近営業を止めたみたいでその荒んだ姿はバブル崩壊の傷痕を改めて見せられているかのようだ。
以前この界隈は朝のジョギングコース...といってもバイクの、だった。夜中に125Sのタペット調整等をして三沢上から高島町まで降りて不老町経由で元町トンネルを抜ける。真っ直ぐ本牧通りを進んでJR磯子駅のロータリーあるいは八景島近く、福浦を回って戻ってくる。フツーに走って40分弱のコース。
マイカル本牧が出来上がって15年くらいは経っているだろう。その地理的立地のネックは鉄道駅が無いことと思っていたけど、あと10年もすれば世代交代が始まる。5番街2階の吹き抜け天井の明るいCafé Du Mondeカフェ デュ モンドで飲むチコリコーヒーは好きだけど、今他所から来る人間にココは面白味が無い。広くとられた公園も管理が出来ず放置状態だけど漸く企業とバブル期に入居した人々の思惑から外れて、これからそこに生活する住民達の街に変貌していくのだろう。
ま、私にとってはこの街がどう変ろうと構わないけど、変っていないこともある。税関の最寄の銀行が本牧通りの横浜銀行ってのはないだろ...歩いて往復30分。収入印紙は未だにシーメンズクラブ...同じく歩くと10分、で買うんだよ。原木の迷路のような建物も勘弁して欲しいけど、1箇所で済むようにしてもらいたいものだ。
あ、山下公園先中村川を渡ったところにあったBand Hotelバンドホテルとシェルガーデンは何と!ドン・キホーテになってた...。
1日2回着替えて、3回シャワーを浴びる。
さてTシャツの季節真っ只中です。ちょっと前タイポグラフィーのTシャツのエントリを書き掛けてあまりにブログネタっぽい(?)ので止めたけど、第二弾はまだかという声が聞こえたことにしてエントリしましょ。
その後、数枚のお決まり黄/オレンジ系Tシャツと名古屋のコアショップSMASH HEADからORG.Tシャツを分けてもらったくらい。
で、再度ユニクロのTシャツです。やはり企業コラボ物は見逃せない。今回のオススメはモーターオイル系ですね。CastrolカストロールはともかくYaccoヤッコやFUCHSフックス、DUCKHAMSダッカムスなんてあまり一般ウケしないブランドのラインナップ。でも街着にはその方がいいのかも。素材がポリエステルのクールマックス®ファブリック使用なのでマリンスポーツ等に最適ってことっすね。信条として混綿等のTシャツはウエスにならないから着ない方針なんだけど、夏のアウターとして別物って考えましょう。
商売でロゴ入りグッズを売ってる手前大きな声で云えないけど、ベタなのが苦手。つまりDucatiドカのバイクに乗っていてドカロゴ入りのJKTを着ているような。クラブミーティングに行くと皆でお揃いのジャンパーやTシャツ着てるじゃない、あーゆーのダメなんだ。だからMVに乗るときはBultacoブルタコやMontesaモンテッサのTシャツやマークの目立たない上質な伊ブランド品を着たり...。いや、最近は安物しか着ないけど。
バイクの場合だと本来使用パーツと異なるメーカーや同業他ブランドのステッカーを並んで貼ることはご法度だけど...BELLとSIMPSONを貼るとかね、このぐらい離れたハズシなら突っ込まれなくていいでしょ。
前回も書いたけどネット通販でも購入は可能。でも在庫がなかったりしても店頭に残っていることもあるから近所のユニクロに行ってみよー。お好きな1枚が必ず見付かる...またユニクロの回し者だぁ。
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【本日の写真】DUCKHAMSダッカムスのTシャツ
本文で紹介のユニクロ物。このオイルブランドを知っている人は余程のマニアかジジイに違いない。もしNortonノートン乗りならコレ1枚で通ウケすることは保証する。今回はこれとYaccoヤッコかな。
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旅行記や紀行文を読むのは楽しい。
nozaki氏がエジプト旅行から戻ってその感動を興奮気味に書いてくれている。忘れ掛けていた旅行の記憶を呼び起こしてくれる。エジプトと聞いて、昔ローマで出会った日本人のバックパッカーのことを思い出した。彼はエジプト各地をひと月ほど回って、イタリアで土産を買って日本に帰るつもりだった。ところがローマのテルミニ駅のベンチで寝ている隙に荷物を何もかも盗まれてしまった。警察で領事館の場所を聞いてから、コレクトコールで日本に電話しようとしていた。電話待ちのブースの前で最後に散々な目に会ったねぇという話をして今晩泊まるところが無かったら私のホテルに来いよということで一緒に夕食をすることにした。
エジプトに興味が無かったわけではない。タイミングが悪く行く機会は失ってしまった。イタリアを回ってマラケシュ(モロッコ)に行こうとしていたこともあった。取材旅行のスケジュールが合わなくてフェリーに乗るのを止めたけど、そのとき地中海を渡っていたら趣味や興味の対象は今と変っていたに違いない。悔やまれる選択だったかもしれないけれど人生はそんなものだ。
壮大なスケールの景観や建造物を前にその存在感に圧倒される。自然の大きさに人間の存在の小ささを痛感して敬虔な気持ちになる。宗教的な崇拝というのでもないけど、(その場しのぎに)神の存在を意識しようとする。そして巨大な遺跡等のモニュメントの中に身を置くとその空間に宿るパワーやエネルギーを感じる。エジプトであればピラミッドパワーというのもその一つだろう。もっともそのパワーの実体が何か分からないし、信心深い人は都合よく何かに繋げてしまうのだろう...いい気になれるってのが宗教の特権だ。
でもそこに住んでいる人にとってはフツーの在り来たりの風景で特別なものじゃない。もちろん宗教的な土壌もあるから無関係ということはありえないけど、異邦人である自分は観念は意識のギャップに生じるということに気付く。
日本に居ると細かいことに拘ってないモノねだりで余分な物を集めたり、仕事ということもあるけど無駄な情報を追っかけてたり...。でもそんな旅行から帰ってくるとしばらく社会に適応出来ないでいることになる。どーでもいいじゃんってことがあまりにも多い...。
薄暗い蝋燭の燈るレストランのテーブルを挟んでエジプトでの体験を熱く語る彼の赤らんだ顔が浮かぶ。もう20年近く前のことで話した内容は覚えていない。でも興奮気味に話す彼の話は旅行慣れしていた自分にワクワクする感情とドキドキする緊張感を思い起こさせてくれた。ローマで遭遇した"現実"を忘れようとするかのように、久しぶりに口にする言葉は饒舌になる。最初はイタリアに来ないでそのまま日本に帰れば良かったのにと思っていたけど、話しながら"復習"している彼を見ていてこういうスイッチの切換え方もアリだなと思った。
今更ながら、「書を捨て街に出よう」と云ったのは寺山修二だが「ケイタイを捨て旅に出よう」と思うのだ。
■本題と関係ないけど、モロッコの情報はコチラ。
宣伝じゃないけどモロッコのバブーシュはスリッパ代わりにいいよ。
誤解されると困るけど料理はしない...
多分嫌いではない。料理本のレシピ通りには作らないから別物になってしまうけど、元来何でも自分で作ることは好きだ。でも料理に凝るとキリが無い。
食材に拘る→調味料・香辛料に拘る→水に拘る→器具に拘る...で、拘ることが連鎖する。だから最初から飛び込まないようにしている。一番の問題は料理を盛る器で、陶磁器に拘ったら必ず自分で作るからね。オトコの料理は金が掛かるから止めてくれーと云われる所以だ。
もっとも先日のABC(青山ブックセンター)の閉鎖にしても日本からWILLIAMS-SONOMAウイリアムズソノマが撤退しても困るヒトは少ないんだろーな...。
調理はする。カップ麺にお湯を入れるのもそうだけど(滅多に食べないけど)、野菜を切ってサラダを作ったり、ミートソースやカレーは料理じゃなくてまだ調理のうちだ。デザートは簡単なものだけ。アイスクリームも作れるけどゼリーとかプリンとかオーブンを使わないトコまで。パンを焼き始めたら大変そうだ。楽しいトコロは判るけど、素材に拘って沢山作っても仕方ない。美味しい店があれば済むことだ。
で、ママゴト。
ラスタカラーのゼリータワーを作るのを密かにライフワークと思っている...が、普段はコーヒーゼリーくらいでいい。ほとんど自分のためだから今の時期なら2週間に1度作ればいいだろう。バニラアイスやタピオカ浮かべたりトッピングを考えたり...。
野菜ジュースは毎日飲んでいて暑いから氷を2つ3つ浮かべる。でもほどなく氷は溶けて薄まってしまう。アイスコーヒーも同じでドリップで2回落として一方を製氷皿で氷にしてるけど、先日野菜ジュースの氷も作ってみた。繊維質が入っているからシャーベットみたいだけどいい感じ。野菜ジュースは自分のだからいいけどオレンジジュースやグレープフルーツジュースに色違いの氷を浮かべる方が見た目にキレイでいいかも。
コーヒーも紙フィルターよりネル袋のドリップの方が美味しい。エスプレッソもコンロに載せるヤツより圧力のある"マシーン"の方が断然美味しい。でも商売して毎日同じように淹れているのならいいけどネル袋は扱いがメンドーだし、大型マシーンはやはりTOO MUCHだ。Pavoniパヴォーニのマシンはディスプレイにしかならないし、CIMBALIチンバリなんて置いてたら笑ってしまう。豆に拘って焙煎までしたりというのもアリだけど、そこはその道のプロが居るわけで、日本に居るのなら全てを自分でやる意味は無いかなと...。
でもお茶代わりだから味に慣れちゃうとパーコレーターでもポーションタイプのアイスコーヒーでも何でも良くなってしまう。純粋に味覚に拘わっていたらオカシな話だけど、美味しいと思う感覚は味覚だけじゃないから許せてしまう。カップや容器は視覚的、触覚的だけど美味しさに関与する重要なモノだ。でもそれ以上に何処で誰とというシチュエーションが肝心。一人で味わうにしても雰囲気/環境の要素が大きい。だからイチイチ拘ることはしてもそれは重要な目的じゃない...ある程度アタマに知識を通したらどーでもよくなる。
この物事に興味を持つ加減と突き詰める度合い、飽きるまでの時間あるいは復活までの期間は良く分からないけどどこかでバランスを取っているようだ...。
美味しいものを食べるのは好きだから評判の店に行くのも嫌いじゃない。でも店主の気合の入った店はダメだ。料理やサービスに拘っている店は評価は高いけど、ハレな気分で食事するなんてことはしたくない。何でも生活のほんの一部に過ぎないからさ。
エピキュリアンEpicurian("人生を愉しむ人"と解釈しておくれ)でありたいと思うし、J.ホイジンガー云うところのホモルーデンスHomo ludens(人間は遊びの動物)を全うしようではないか。
散財してる?自慢できる大モノはないけど...
毎年Tシャツは商品としても仕入れていたけど今年は自分用しか買っていない。必要以上にカズ買っているのはサングラスかな。これはいつかも書いたけど必需品。コンタクト(レンズ)をしている所為もあるけど、目が弱いから。
日本での普段使いは小さなレンズのフレームでいいけど陽射しの強い海外だと大きめのものが欲しくなる。昔のPersolペルソールは大雑把な造りがいい感じだ。特にRATTI社のセルフレーム物は雰囲気があっていい。S.マックイーン等が掛けていたから人気があってセレクトショップ等でもヴィンテージ物を扱っていたりする。流行に乗るわけじゃないけど人気の定番以外は存外に安価に手に入れることが出来るからね。
前エントリに6万円超のサングラスを欲しい~って書いたけど、実際そんなの買わない^^。
いくら大事に扱っていてもサングラスは使い捨てのようなもの...落としたり、置き忘れて失くしたりするものだ。気に入ったものや顔のカタチに合うものを失くすのは惜しいけどね。
もちろん新しい製品を試着したりもする。GUCCIグッチのとかシックリするのがあったりする。けど、ガラじゃない。造りの良さは認めるけど、そーゆー分かりやすいブランドのものはパスだ。
で、いくつか集めて要らなくなったり、やっぱり自分に合わないものは商品に回すことになる。中途半端に古いものは10年くらい寝かせておいて...気の長い商売だ。
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【本日の写真】PersolペルソルMod.806
Steve McQueenマックイーン信奉者なら必携の折りたたみ式サングラス。このNOS(New Old Stock)物は10万を下らない...異常だろ?カッコいいけどベタな日本人顔には似合わないぞ。
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タバコは吸わない、食事は少量、塩分控えめ
...なんて云うと身体にイイこと考えていそうだけどそーでもない。ただ少ししか食べないから毎食ごと美味しいものを食べたいと思っているだけ、漫然と三食摂るというのはもったいないかなと。
育ちが北関東だから元々の味覚/味付けは濃い目だろう。以前は東京のそばつゆも平気だったけど今はダメだ。蕎麦は好きだけど江戸前の辛づゆに浸せないからうどんに胡麻ダレにしたり...それは天婦羅の天つゆもそうだ。胆石を患った所為もあるけどほとんどフライ物も食べない。高血圧気味だからラーメン屋も縁が無いし、せいぜいふた月に一度くらいの試食カップヌードルくらい。...年寄りみたいでもある^^;。
SKIPスキップの買い置き米が無くなって、魚沼産の"高級"コシヒカリを買ってきた。食べ比べるとその美味しさは別格、やはりゴハンは美味しくないとねと思いながら...
クロワッサンのマクロビオティック料理の本を買う。これは「玄米と地場の野菜を丸ごと食べて、身体の中からきれいにして健康な身体にしましょ」っていう食事法。何がダメっていう禁欲的なものじゃなくて、肉や乳製品の動物性たんぱく質を減らして、雑穀、野菜中心の食生活にしていく。今は発がん性の確認されている添加物や野菜の残留農薬、肉や魚の抗生物質、土や海のダイオキシン汚染など、本来要らないモノを食べさせられている。でも何を食べないでというのは難しいから、それらの余分な"毒"を排出させる玄米のパワーに頼ろうってこと。白米を玄米ご飯に移行すればそれほど難しくはない。デザートのゼリーだって動物性のゼラチンじゃなくて海藻から作る寒天で作ればいい(注...これは創作ゼリーのHPを作ろうと思っていたから)。
クウネル生活を目指しているわけでもないけど、凝った美味しいものは飽きる。シンプルで基本的な和食のメニューに戻るということか...。コーヒーを止めてお茶の生活にしたり、ジャンクフードの楽しさも捨て難いけれど要らないモノを少しずつ削っていけばシンプルな人間になれそうな気がしないか?
にしても、この手の健康雑誌?はどーも好きになれない。説教じみているのもあるけどAmwayアムウェイのような胡散臭さがある。記事内容とスポンサーが近過ぎる所為だろうな。
【追記】24.7.04
マクロビオティック料理に関してはココにも書いてあるけど水が肝心。上海生活ではそこがネックになりそうだ...。
夏休みはほとんど無い、少なくとも社会人になってからは。
別に仕事ばかりしてきたわけじゃないけど、カレンダー通りの生活ではないからね。皆が休んでるとき仕事して、働いてるとき休んでただけ。8月になると海外でもリゾート地に行かないと楽しめないけど今の時期はよくイタリアに居た。バカンス前だから皆浮付いていたけど今も変らないだろう。
子供の頃の夏休みの家族旅行は東北方面だった。宮城や岩手、秋田とかね。親父が運転するクルマでアチコチ回った。そう云えば大人になってからは北の方に行かなくなった、東京に居るようになったせいもある。
一時期瀬戸内海周辺は親戚がいるから出向く機会も多かったけど最近は中京地区が面白そうだ。お客さんが集中していることもあるけどバイクで動くにも近いしね。京都?そう、ホントは好きな街だ。でも...知らないってこともあるけど、もう少し年を取ってからの楽しみにしようと思っている。日本人には...和装趣味には欠かせないだろ。
今私が向かっているのは中国の上海。「女たちは上海で叫ぶ」と最近のAERAアエラ誌は報じているけど、中国語力もスキルもなく何とかなるなんて考えるのがおかしい。若くなくとも新しいことを始められるかも...と勘違いするオヤジまでいる。ホントその無謀さは心配になってしまうけど頑固なんだろーな。バックグラウンド(シガラミ?)の無い中国人はもっとしたたかだ。日本で仕事の出来ないヤツは何処行ってもダメだよ。前にも書いたけどいろんなところにギャップのある社会は面白い。当然バリアフリーなんて発想はない(笑)。でも上海は世界の中心じゃない、私は"辺縁人"として上海は単なるステップなんだけどな。
中国の中心は北京だし、自分にとって世界の中心は自分だからさ。と流行のセリフみたいになっちまった。ばくおんさんも最近リンク張ってたけど...まずはコチラ、うだうだ考えたい向きは、コチラをどうぞ。
バイクの仕事してるけど、趣味としてはどうかな?
もちろんバイク/モーターサイクルは好きだけど自分の趣向の許容範囲は狭い。何でもイイわけじゃないというより知らない(でいる)ことの方が多いかな。2st.マシンの加速感は分かるけど生理的に受け付けない。伊Rumiルーミは造形的に好きだけど見るだけ、走らせていいとは思わない。基本的にバイクは一人で乗るモノと思っている。トルクでドコドコ走るのもダメ、マルチのモーターもNGだ。異論もあるだろうけどこれはずっと変っていない。でもその趣味をヒトに押し付けようなんて思っていない、自分が押し付けられるのもイヤだから。
仕事としてもイラストレーションや広告デザインの実務が長いし、印刷や製本、DTPやデジタル出力の方が詳しいかもしれない。それがハッタリプランナーをやりながらいつの間にか仕事がひっくり返ったんだけど、どっちもアマチュアで居る方が遊べる。"中に居る"ときは求められる仕事をこなすので精一杯で遊ぶ余裕はない...遊びにならないからな。
だからモノ売りは別としてバイクに乗ることはずっとアマチュアがいい。商売でなく、趣味としてのモーターサイクルは"継続"を必要としないしね。
今考えていることのうちバイクのことはどれだけあるだろう?身の回りのモノの数とはウラハラにそれほど多くない。MagniMVはまだ先が見えないけど遅々としながらも進んでいる。もちろんMV125GPやRS600Dも抱えているけど(あ、150CRSもあった...)、急ぐことのないことは気の向いたときに取り掛かろうかというスタンスになっている。
篆刻もボチボチ、ローカルブランドイメージの構築(?何だそれ)と商品企画・製造、上海での大物ガラクタ作りとコオロギ趣味の探求等。興味のないことは続かないけど順位付けもなく並行して進めるだけだ。実は何事もプロに成り切らないのがいいような気がしている。
前エントリのTBで触れられちゃったから
出すの迷ったけど...ま、いっか。と思ったらnozzzyさんまた書いてるじゃん。モテるな「LEON」。パンツェッタ・ジローラモ氏はNHKイタリア語会話の先生ね。カルミネ氏といい、そりゃお金あったらとりあえずイタリア人じゃなくともモテるわな。
もっともイタリアにそんな不良のオヤジはいないし、見掛けたら詐欺師に違いない。貴族階級は日本人よりもっと保守的だ。雑誌読んで成りきれるなら安いものか、単にプチブルオヤジはノリがいいのか。
閑話休題。クルマはね、シトローエンのDSがいいかなと思っている。昔PanhardパナールPL17を買おうと思ったこともあるけど、今の気分はDSの黒、ハイグレードなバージョンがいい。ま、ゴキブリみたいだけどね。4輪はフランス車がいいな。
新しい車に興味が無いわけじゃない。で、イイと思っているのがAudiアウディのTT、これは「LEON」ではじけたオヤジが乗るクルマらしい。クーペよりロードスターがいい...でも今すぐは要らないんだ。
あと20年くらい経ってから内装がホドホドに遣れたのを買ってアルミボディの外装をボコボコポリッシュにする。もちろんこのクルマはドイツ車だけどBugattiブガッティみたいな無骨さがあっていい。それをまた60のジジイが乗るってのがいいだろ?
確かにLanciaランチアのFlaminiaフラミニアザガートSuperSportはどんなFerrariフェラーリより好きだけど、自分に"エレガント"な要素がないから相応しくないだろう。散財して懲りて身の丈が分かるっていう側面もあるけど、背伸びしない自分らしい生き方もあるだろう。
日本に居るとモノを持たない生活は難しいし、次代にモノでない遺志を伝えるという責任感も芽生えにくいけどモノでないトコロに自分の存在証明を遺しておきたくないか。
暑いときは水風呂に浸ってみたりする。
先ずは言い訳から...ナマケモノです。エントリ怠ってます...全然使命感ってのがありません、サイトもそうですが。にもかかわらず、お付き合いいただきありがとうございます。何もお出しできませんが今後も懲りずに見に着てやってください、手を振ると喜びます。
かつてオサレでセンスの良さを標榜していたワタクシはゼニアのスーツとコムデギャルソンのJKTで武装してました。これはホントに周囲を牽制/威嚇するための鎧です。ヤワで貧弱な中身を保護することも出来るけど...女子にモテるかどうかじゃなくてね。
バイクもMVに乗るならグラブはアルマーニ、革ジャンだってラムやシープスキンでしょ。ファッションに実用性は求めないからすぐ縫製が解れたり、ちょっと引っ掛けてカギ裂きを作るんだけど。でもそれは自分の使い方が間違っているだけ、ぐっと涙を堪えるしかないです。Armaniのブリーフは洗濯機でグルグル洗ってはいけません。手洗い、あるいはクリーニング屋に持って行きましょう。
イタリア物は賞味期間が短いから、TPOに合わせて複数買い揃えておかないといけません。これは同じ型のものを色違いで揃えるということではありません。
鼻持ちならないヤツです(笑)。でも何事もトコトンやってみないと見えてこないことがあります。本当に付き合える人間が分かってきたりね。
もっと長持ちする物にしようとアメリカ物の良く出来た復刻モノ...つまり日本製だけど、を求めてみたりしても、それは思い入れ(込み?)がないとダメかもしれません。私は出来上がってしまった;完成したモノに興味が無いのかもしれません。壊れないこと、長持ちすることは自分にとって選択の重要項目にはないんですね。古物を扱っていても新しいモノに興味があります。でもそれ以上にオリジナルなモノです。
ファッションで衣服にお金を注ぎ込むのは無駄使いと言われたりしますが、時代の空気に浸るには手っ取り早い方法かと思います。何かを作っていくことが仕事なり生涯の目標であるのなら関心を持たずにいることは難しいです。孤高の作家という世間ズレしたスタンスでの活動もありますが、そんなのは興味ないので。時代に生きていたいと思っているからまだ日本に居るようなものですかね。
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【本日の写真】Gジャンアゲイン
ヴィンテージ物とか定番の製品はいろいろ持っていたけど、最近の気に入りはコレ。有名ブランドでもないし、造りが良いわけでもない。
背丈がないからさ、着丈の長いJKTは似合わないんだよ。詳細は持ち物ページで。
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なんか疲れない?いろいろ追っかけるの。
ブログのエントリも気紛れだし、ヤル気ないんじゃないのって自分でも思うよ。
そもそも自分が新しいバイク/モーターサイクルはどーでもいいと思ってて、どれもこれも要らねーよだから申し訳ない。どこかのショップのカスタムバイクならイイってこともないし、もういろんなことやり尽くしてるんじゃない...と。枯れちまった私の所為かなぁと思ったりもするけどさ。
皆と同じバイクに乗りたくないし、剥きだしに熱くなるのはエキパイだけでいいし、今さら外向きに自己主張したってねぇ...。バイクは単なる道具でもモノでもなく自分と対峙する媒体としての存在になっちまうからな...。
これはメリハリや気分転換のキッカケとしてバイクに乗る必要がない、目的は純粋にFUN TO RIDEになってるリスク付"恵まれた"生活だからかもしれない。
モノへの興味が薄れ(たように見え)るのは対象が見当たらないからじゃない。自分の求めるモノが市場のニーズからズレても構わない、無ければ作ればいいと思ってるから。もちろんアタマが堅いのと既に在るモノに満足している所為もあるんだろう。
以前J.GallianoガリアーノがChristian Diorディオールのデザイナーになったときも思ったけど今度はJ.P.GaultierゴルチェがMartin Margielaマルジェラに代わってHermesエルメスのデザイナーだ。アバンギャルドが最高のクオリティを得て昇華する感じ。結局成熟したモノ作りは上質なべースを使って完成度を高める同じ道を辿る。自分にとってのモーターサイクルもそんな感じ。やっぱり陳腐なツルシがダメなんだ。
サイトを覗いてRS600Dに関心を持ってくれる人も多いけど、オススメしない。だって存外にカネ掛かるんだ。このバイクに余程の思い入れがないと他の選択肢が見えてくるからね。これは上のモータサイクルとはちょっと違う存在。確かに以前は車両やパーツの手配をしてたけど今は自分が必要なパーツ以外は取り寄せしない。
MV Agustaアグスタに関しては今後は4気筒の企画があるから"捜し物"はそっちにシフトしてシングルやツインモデル用はもういいかなって。お客さんには申し訳ないけど...依頼があれば捜すけどお節介に先回りすることはしない。
それはバイクだけじゃなくて他のモノにおいても同じ。ただ自分としては興味がなくともホドホドに商品を探っていかないといけないかなぁ。
ということで、スマンKR処分した...(誰に云ってる?)。
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【本日の写真】モダンな金魚鉢
よくペット用品の店を覗く、といってもWebショップだけど。そんなショップで見付けた。$169.00だから送料足すと2万円強?...安くない。でも本格的に大きな水槽をドーンと置いてアロワナ飼ったりしたくない...そんなの飽きるの分かるから。
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もう夏バテ?...そうじゃないけど不毛にトラバってみたり...
バクオンさんは忙しそーだけど私はそんなことないっす。ま、ナマケモノモードに入っているに違いない。SNS(ソーシャルネットワークサービス)の使い分けにアタフタしてた。趣味の分野はブログの方がいいから使い途は何?ってトコもある、実際。始めて付き合わせてしまってから"ヤーメタ"ってのも悪いからホドホドにしてる。
ウチはHPで商売をしてるし、前置き(前知識)があった方が話が早いから仕方ない。だけど個人で何にも言いたいことがなければHPやブログなんて必要ないじゃん。ネットで新しい出会いなんて要らないし、もっとリアルな付き合いを深めていった方がいい。周りにそんなに友達がいないのかい?ってこった。今PCは不可欠な道具になっているけど、ない生活ってのもあるだろう。
トラン・アン・ユン監督のベトナム映画「夏至」があるけど、その中で湖に住む家族が出てくる。湖岸じゃない、水の上。筏に小屋が付いているだけで浮かんでいる。当然電気もない。食事は潜って獲った魚、移動は岸まで泳ぐんだよ。そんな生活は極端だしずっと続けていけないけど、一度やってみたいと憧れるんだな。母系社会ベトナムのユルさがいいかね。
あるいは回る寿司屋でガリを肴に一杯ってとこか。
珍しく新鮮ネタ。昼はタイカレー、無印良品の簡易セットはかなりオススメ(1.2.3.)だけど今日はレトルト物。最近のお気に入りでランチの定番メニューになっている。念のため、私はビールは飲まない...飲んだら夕方までシエスタになってしまう。
で、たまにしか点けないTVの電源を入れる。テレビ東京でSimon Sezサイモン・セズをやっていた。デニス・ロッドマンだよ...いいキャラクターだよな。ロッドマン演じるサイモンが駆るTDM改(多分)もカッチョエーけどプロテクター付衣装もあの長い脚でこそかな。映画はチープだけどおフランスの田舎町がいい感じ。
この昼過ぎからの番組午後のロードショーは昔からやってる。この時間帯(午後1:30~)にテレビを観ていられる人はかなり限られるけど、私はずっとそんな生活を...少なくとも20年くらいしてきたよーな気もする。
でで、番組表をツラーっと見てもらうと判るけど来週月曜から4昼連続スティーブ・マックィーン特集。
・6月28日Mon.THE CINCINNATI KID シンシナティ・キッド
・6月29日Tue.THE THOMAS CROWN AFFAIR 華麗なる賭け
・6月30日Wed.BULLITT ブリット
・7月1日Thu.THE GETAWAY ゲッタウェイ
イマドキDVDもあるけどファンなら見逃せないだろ?個人的にはそれ程のファンでもないけど...モーター系アメリカ古物を商う身としてはお客さんの手前そんなこと云ってはいけない。
でもね、やっぱこの時間TVの前に居れるってのは相当特殊な人種だよ。少なくとも"健全な社会人"ではないだろう。
さらにその翌週はブルース・リー特集ときてる。こっちもドーデもいいけど、コアであぶないファンはいるからね。いいぞテレビ東京!そのまま突っ走ってくり。
【追記】
木曜THE GETAWAY ゲッタウェイだけ観た。つまらなかった...。
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【本日の写真】BULLITTブリット
それでもマックィーンの好きな映画といったらコレかなぁ...。他にもいろいろあるから雨の日は部屋に籠もってDVD三昧もいいでしょ。
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確かに、マゾかもしれないしおバカな人種だ。
健全なバランス感覚を持つ人間ならライディングギア(ウエア)に気を配るのは必然だ。最新のヘルメット、脊椎パッドやプロテクター付のグローブはもちろん革JKTでなくとも夏でもパッド付のジャケットになる。あらゆるリスクを考えたらオートバイなんて乗れないだろうけど、一旦(乗ることに)覚悟を決めたギアは鎧のような重装備になる。オートバイに乗る行為が生活の一部(部分)である以上、もしものときの(身体的ダメージを最小限にするために講じる)対策は本来ファッション云々では語れないことだ。
私自身エラそーなことは云えない...と一応前置きをする。
Tシャツ1枚で乗ることはないし、素手でグリップを握ることはないけど、これは一度事故って再認識したことでもあって死に掛けたからフルフェイスのヘルメットでないと怖い。グローブも夏はメッシュにしたいけど危うく指先失くしかけたから厚手の皮革製にする。いくら気を張っていても、公道では避けられない事故もあるからそれも気安めだけど。でも、いつも先述のような重装備で乗るかというとそんなこともない。
健全じゃないから、無責任でいい加減なヤツだからと口ではぐらかしても何かあったらアタフタするに決まってる。ガマンは美徳と思ったり機能よりスタイル重視って、単なる自己満足でホントは全然カッコよくない。
それは機能を無視したおかしなカスタム車にも云えるけど、ファッションのリスクを自分一人で責任持てるのならいい。でも周囲の人間や身近で心配してくれる人の気持ちを巻き込んで好き勝手なことは出来ないだろう...と自戒する。
オートバイ乗り/バイカーにアウトロー的な存在意義を求めていても、健全な"大人"は気合を入れて神経をピリピリさせながらも内心ビクビクしているライダーに違いない。
忘れてるわけじゃないけど、もう飽きた
...というかその有効性はどーかねと思っていた。サイトの方でお付き合いいただくお客さんはご存知だけどメールマガジンを発信してた(...過去形!)。商品の入荷情報やセールの告知といった内容だけど、オマケコラムは日記やブログを書くようになったらネタが尽きる...否、書くことが無いわけじゃないけどいつも同じスタンスで書けないんだな。古いモノを押売りしてる商売だけど、露骨に売る気を見せても引かれるだろーし、対象は100人に二人くらいの商品だからそれ程のレスポンスも見込めない。アドレスの確認等発信の際の作業が面倒になったから放置してるってのが実態だ。
百式さんも書いてるけどウェブログの普及や迷惑メールの増加、閲覧すべきブログページがドンドン増えてRSSの利点が顕著になってきたのもある。
今は、知らないことでもネットで検索すれば大方のことは分る。最低限のことを知っておくのは社会常識/マナーだと思うし、情報を得る多少の努力は個人でやってもらう方がいいでしょ。サイトではないモノを苦労して手に入れる満足感を買ってもらっているよーなものだから。サイトやブログのカウンターやアクセス解析ツールは一般的なWebショップのマーケティングには有効だけど...ウチはあまり関係ないよなぁ。
で、何のためのブログか?
もちろん自分にとっての日記/備忘録、先に云った者勝ち=アイデアメモってこともあるけど、実態の見えないネット上でのリアリティは沢山の上っ面のAS IS(そのまんま)じゃなくて着ぐるみの中身がより肝心。だからゴチャゴチャな腹の中も見せるために必要、と思ってる。それは自己防衛の手段でもあったりする。
最近ソーシャルネットワークってのを始めた。
何だそれ?何かのボランティアかぁ?って感じだけど、友達の友達は皆友達...この指とーまれ!ってこと。人脈データベースを作ったり、人脈活性化を支援する、より深くより広いセマンテック・コミュニケーション・サービス(?)だそうだけど...。詳しく知りたい方はネットでググるかGREEグリーやEchoo!エコー、mixiミクシィ等のサイトで調べてください。SNS; ソーシャルネットワーキングサービスです。
やってみないと何が出来るか、出来そーか判らないかもしれない。日本ではまだ始まったばかりでみーんな様子見の段階だけど同じ趣向でコアでディープな知り合いを見つけることが出来そうだ。
ある意味出会い系なんだけどブログみたいに文章書かなくていいし、匿名の無責任な書き込みは出来ないし訳の分らない人はすぐ分るから安心。...ホントはアナログに気を遣う付き合いは苦手で面倒くせぇと思っているけど、うっかり"悪の道"に誘い込まれちゃったからシカタガナイ。ま、新しいコトに興味が無いわけではないからね。掲示板のBBSより良いような気がする。
まだ"一身上の都合"があるのでそのページはここでは伏せるけど、もしやってみたい方はメールでお知らせください。これ、誰かの招待がないと入れないが基本だから、招待状バラマキます。私も友達少ないからさっ...。
表題は何だか分らないかなぁ?
肉屋の店頭にそんな張り紙ない?スズメは食べ物なんだよ...私は食べたことない(と思う)けど。
そういえば昔爺ちゃんがメジロを飼っていなかった?...昔々の話だよ。
※ええと、誰でもSNSの招待状送りますけど一応このブログを読んでくれている方が大前提なんですけどね。だって趣味嗜好を全く知らない人を呼ぶのも変じゃない?検索でここに辿りつく方がいらっしゃるんですけど...ま、そーゆーのも"縁"てことにしますが。(2004.7.18)
※でもね、一応初見なんですから最初にそれなりのコメントはお願いしますよ。素性を出してとは云わないけどGREEでは出ちゃいますし...。(2004.7.30)
※今ここはコメント受付ないようにしています。招待状送っても入ってこないしー、とか全然ワケ分かんない人からのご要望を頂いてもねぇ、ってことで。そもそも、身近にやってる人が居なかったらきっと向いてないです^^;
終日部屋にいてもいいけど、息抜きじゃなくてたまにはメリハリも必要だよ。
日本に居ると情報に振り回される。「あ、メキシコいいっ!」ってFIGARO japonフィガロジャポン見なきゃ思わないし、ファッション雑誌捲らなきゃ新しい服欲しーとか面白そーな店に今度行こーなんて考えない。何かに打ち込んでいるときは周りはどーでもいいから、外国の田舎に居る方が集中できる。でも日本だとそうもいかない...情報に追い立てられて人が動いているのは経済が回っているってことだけど、それはナーンも残らない。今の中国上海はそのキワミで、行けるトコまで行って...壊れる(壊される)のを待ってるフシがある。年月を経て出来上がったちゃんとしたもの(カタチのあるものだけじゃない...)を少しずつ、変わらずに後世に残していくという"積み重ね"がいいと思うんだけど。
巷のカフェはよくBGMが流れてるけど、実はそれがどうも苦手だ。音楽は欠かせないのか?...人気のある店はBGMのORG.CDまで売ってたりする。趣味云々じゃなく...静かなカフェっていうのはNGだけど間を埋める(満たす)のは音楽じゃない、食器がカチャカチャ人がガヤガヤしているのがいい。ま、気に入らなければ文句云わずに行かなきゃいいんだけど。
コーヒーが美味しいのは第一条件ではあるけど、それだけなら専門店やセガフレードに行けばいい。これは日本ではキビしいんだけど、天井が高くて音がはね返ってくる空間が欲しい。イメージは図書館でペチャクチャの雰囲気。
前にも書いた...落ち着ける場所なら自分の部屋に作ればいい。人目をちょっと気にしながら緊張感のある"ボケー"が目的だからノートPCを開く必要もない。値段と敷居は高くてもいい...ガキが入って来なければね。
下町や田舎にもこじゃれたカフェはあるけど、顔馴染みばっかってのは居心地が良くない。だから東京でもミラノでも上海でも、観光客もウロウロしてて人がいっぱいの街がいい。
■カフェガイド FCカフェのページ いろいろあるから行ってみよー。
■AUX BACCHANALES オーバカナル 紀尾井町店はカジュアルな感じじゃない...ここはスーツでボクサーツインか。
■Nha Viet Nam ニャー・ヴェトナム 上質なヴェトナム料理のお店...屋台のフォーじゃない。バンブーサイクルで往くべし。
強いて云えば、今はウイーンがいいかな...。
アメリカ物とイタ車にカブレていたら、もちろん聴く音楽だって雑食になるなぁ。
だから流すのはFMがいい。かと言ってどこでもイイわけでじゃなくて、演歌と歌謡曲が流れない局。首都圏だとJ-Wave(FMジャパン)てーことになる。最新チャートには興味無いから流れる曲のズレ加減がいい。
すぐ思い付くのは手元にG&C/10ccやThe Cristiansザ・クリスチャンズ、そしてPaolo Conteパオロ・コンテのCDがあるけど、ミスチル(孩子先生)やレッチリ(紅辣椒樂隊)...これも"靴下"時代?、フェイ・ウォン(王菲)なんかも聴いてる...滅茶苦茶だなぁ。新譜が出る度にCDを買ってモノを増やしたくない(CDもDVDも1枚100円くらいだけど...?だから使い捨てみたいになってしまう...ヘヘ)。
部屋のステレオは中途半端にアナログ(
バイクもオーディオも年代が同じくらいだけど、20年位前のモノが丁度いい。
だけど、この状態で我が身もろとも朽ちて逝かせようとしているのか?
今後どのくらい新しいモノを取り入れていくかが難しい。
■ここ最近タグを使って見た目をちょいと変えてマス。うるさく感じる向きもあるかと思いますがご容赦を。
そもそも備忘録的な内容なので、これもその一環...タグを覚えてないから必要なときにここから拾うため。
新宿はあまり縁が無かったけど、近頃出向くというか通る機会が増えている。
新宿郵便局や東急ハンズ、青山ブックセンターとか...判ってたつもりだけど地理をよく把握していない。方向音痴だから、ってこともあるけど歩くと人の流れに乗れない。バイクだとグルグルしてる...ま、いいんだ。
ABC(青山ブックセンター)はLUMINEルミネ1とLUMINEルミネ2に入っているけど後者の方がいいかな。そこで売れないアート本やアートオモチャを眺めて、雑誌を買ったりする。
で、何処で休憩するかが問題。中国茶の吟品はオススメだけど...ちと遠い。駅周辺はどこも混んでいるしマックやスタバ、後悔必至のベーカリーカフェなんか寄りたくない。歩きなら新宿サザンテラスの突き当たりトラッツィオーネ キアラもあるけどバイクは入っていけない。バイクだと停める場所に悩む。
で、standard deli.スタンダードデリ(MAP)にする。ここはアパレルショップJOURNAL STANDARDジャーナル・スタンダード新宿店の3階にある。ショップ前にバイクは停められないけど道を挟んだ歩道側になら置ける。私はSmallサイズアボカドバーガー+コーヒーのセットにする。天気の良い日はエアストリームの置かれたテラスもいい。アメリカっぽい店だからH-Dやトラッカー仕様か...イタ車の似合わない界隈だ。
ついでに...JOURNAL STANDARDの服はよーく判る。商品はうまく作ってると感心するけど、買ったことは無い。出来すぎのお節介はつまらない。それは並びのリーバイスストア2Fの品揃えにも言える。
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【本日の写真】リペアの仕方
バイクを新車のように完璧にレストアするのもアリだけど、年月を経てきたモノの良さもある。レストアやリペアの仕方は人それぞれでいいはず。Cesare Paciottiパチョッティの靴は何足か持っているけどこれが一番のお気に入り。ちょっと表皮が切れて穴が開いたので手当てした。でもこの靴の出番はほとんど無い。
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最近は溜めモードに入ってる。次に来るモノ、でもなく売らないモノを探している。
他の店に置いていないモノに価値観を付けちょっとだけ"高く"売ってきた。でもいつまでもそんなことしてても仕方ない。チートモ儲からないからじゃない...バイクのパーツと同じで自分が欲しいモノもないから、もういいやって感じ。「興味が失せた」はお決まりの理由付けみたいだけど、もう無駄な(と思える)ことは止めよう。
ドカベベルのパーツを入れようかと魔が差した時期があったけど興味のないことはやってはいけないな。余計なことを考えることは無駄なこと、時間と労力の浪費でしかないし身体にも悪い...。
広告の世界からフェードアウト(ドロップアウト?)した身だから流行りモノや新製品にもピクピクする習性が残ってる(...逆だけど)。だから興味のベクトルが過去と未来の双方に向いていた(ある意味で現在がない状態)。でも昔のモノはBasta!...「今あるものだけにしましょ」ってことだ。そんなわけで売れるからって同じパーツは入れないよ。しばらくは在庫現品限りということで...。
MV150CRSのエンジンはバリバリに手を入れましょ。NOSのORG.パーツがなければリプロにしてください。ダートラじゃなくてモタードにしましょ...とまでは言わないけど、そーゆーこと。使わないモノは売ってしまえ。
以前次代に何を遺すかとか"想い"を受け継ぐということを書いたけど、ホントはモノの実体はどーでもいい。
うっ、そーも言ってられない。ヤバイ、最近モニターがプチプチッと切れる。
画像加工がし易いからCRTにしてたけどそろそろ寿命か。加油!バイクが売れるまで耐えてくり~。
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【本日の写真】TOYOTA F1マシン
上海・淮海路にあるデパート前に展示されたC・ダ・マッタのTF104。9月の開催に向けていろいろイベントがあるんだろうな。書くとズレまくるから週末撮った写真だけ、あとは9月のお楽しみってことで。公式サイト→。
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先月漫画家の横山光輝氏が亡くなった。やはり書かないわけにはいくまい。
先日finalventさんも書いていたけど「鉄人28号」は好きなキャラクターのひとつだ。横浜のオモチャ博物館にもあるブリキのオモチャを抱えて公園で遊んでいた。大きな子に取られそうになって悲しい思いをしたから覚えている。そのアキ箱はこの間まで手元にあった(...ヤフオクで1万円で換金!)。
同じ横山光輝マンガのロボットだけど「ジャイアントロボ」の実写だけに造りの悪そうなロボットとちょい未来のとぼけたリアル感も良かった。色味が飛んで褪せた感じがしてたけど...観ていたTVの所為かな。
「バビル2世」もそうだ。最近リメイク版?が放映されているけど昔の丸っぽい感じがいいな。主人公と名前が一緒だしね(読みは違うけど)。DVDボックスがちょっと欲しくなった。
そもそもロボットは金属だからタイトルも変なんだけど、私にとってガンダム(多すぎるから参考リンクなし)はロボットじゃないんだな。ガンダムには金属感がないでしょ。
ちょっとズレるけど「キカイダー」なんかはアキュトロンみたいでよろしい。あ、時計止まっちゃったんだよ...修理に出さねば!
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【本日の写真】Bulova Accutron Cal.214 RR
昔の日記に既出、自分と同時期のもの(正確には'65年製)。横着だから手巻きの機械式はかったるかった...電池が合わないのかなぁ。
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上海に行くのは別のオシゴトもあるけど、H-Dハーレーのカスタムはどうよ?って思ってるから。
先日も書いたけど規制があって現在大型バイクは認可されずナンバーが取れない。数年前の条例ではオートバイの幹線道路への乗り入れを抑制する動きがあったけど、今もビンビン走ってるよね。
こんな調査書も出てるけど、2,3年前とは情勢が違う。もちろん米H-Dもディーラー展開をしようと動いているはず...。
4輪の高級外車もナンバーを付けて走るにはそれなりのお金が必要らしいけど、目立つこと請け合いのカスタムハーレーのニーズは絶対にある。香港の実業家が上海に動いているし、道を走っていないだけで所有している人はいるはずなんだな...もっともLA辺りに置いてる?でもここならドラゴン柄も奇を衒った感じがしないだろ。
個人的にはやはり長江のようなサイドカーが似合う街かなと...(誤解されないように云うけど私は要らない)。
実際よく磨かれた黒塗りの長江750M1Mが有名な2つのBAR脇に横付けしているのを目撃した。
中国オートバイ産業の概要はコチラ(PDFデータ)。現況を知りたい向きには興味深い内容だよ。
今秋F1が開催される上海サーキットではMotoGPは開催しない(主催者と仲が悪い)らしいけどSBK等の開催も出来るでしょ。北京にサーキットを造る話もあったけどそっちが具体化するのはオリンピック後かな。
でもオリンピック景気を受けてオートバイ市場の盛り上がりが見えてくれば大型バイク認可の動きも出てくるだろう...と考える。条例による規制はオカネが絡むと有名無実になる。
機を狙っているのは私だけではあるまい...。先ずは利権、そしてタイミング。
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【本日の写真】チャイニーズH-D(別冊Lightning誌から無断転載ゴメン)
2002年のホットロッドショーに出品されたチェリーズカンパニーの74年FLSTカスタム。
香港人のオーダーで造られたそうだけど売り物だったの?まさにこんな感じだよね。中国人は金色好きだから(あ、イタリア人もね)、メッキピカピカにしちゃいそうだけどこんな渋めのもアリでしょ。
あれ?サラさんに近いな...今度行ってみよ。
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昔から盆栽と
なので、そろそろ篆刻が良いかなと...。40の手習いってやつだけど人に教わるのは嫌だからもちろん独習。中国にはたくさんその手の教則本がある。中国では趣味じゃなくても書画に押印は付きものだからと思ってたら、駐在員の奥さんが教室に通うってのはあるらしい。
エディトリアルの凝ったデザイン本は台湾の方があるけど(漢声雑誌社のとかね)、写経や文字関連の書籍なら本土も豊富だ(大きな本屋には思っている以上にあるからビックリ!)。かつて文字設計やロゴマークを乱作してた私には避けて通れない老後のお遊びだ。
ゴム印って事務用か子供のオモチャっぽいけど一時期たくさん(週に一個のペースで)作ってた。もちろんハンコ屋に紙焼きした原寸の版下(って云うんだよ、君達!)を持ち込んで作ってもらう。値段は大きさで決まるから坪(1cm角)単価の安い店でチマチマと注文する。一坪100円くらいのところもあって、2,3個作っても儲からないから嫌がられた。
篆刻といっても篆書(...篆刻用の書体ね)を模写するなんてアカデミックな学習はしない。好き勝手な文字と"象形画"を石に彫るだけだ。道具は東急ハンズ等でも手に入るし費用もさして掛からない。プレゼントとして喜ばれるから老後の趣味には最適!なんてカルチャースクールのチラシに謳われるけど。
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【本日の写真】ゴム印
手元に残っているもの。こんなアナログなプレゼントも今ならいいかもしれない...。
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最終の成田発が欠航になり翌午前便になったので空港からリニアモーターカーにした。
時速430Kmのスピードはそう体験出来ないでしょ(日本で今後造られることは無いだろう...ほとんど自動化されているけどこの運転手は全員女性らしい)。上海の大袈裟な建造物や子供ダマシの設備は見慣れているけどここも例外ではない。とりあえずスピードは本物のようだからそれ以外のことは目を瞑ろう...(参考1,2
)。そしてタクシーに乗り換え市中心部に入る。中国産ワーゲンばかりだけど右左と車間を縫うタクシーはアクセルを踏みっぱなし。イタリアで慣れていたはずだけどその比ではない。スリル満点、運転が上手いわけでないから尚更。でも安いし便利だから使ってしまう...。遊園地のジェットコースターのようなものと思えばいいのか。
高い所にも登る...。お馴染みのテレビ塔ではなくJin Mao Tower; グランドハイアット上海。56階から天辺88階まで吹き抜けだから高所恐怖症の人には辛いけど俯瞰で眺める上海の街並みは圧巻。ホテルそのものは縁がないけどこの仏塔を模したモダンエイジなモニュメントは嫌いじゃない(...エレベーターガールの選考基準は身長170cm以上に違いない)。高層ビルの乱立ぶりは異様だし、建築中の赤や青の屋根はオモチャの家みたいだけど実際それらが5,6階建てと気付くとその規模の大きさに圧倒される。明らかに度が過ぎている...。
今秋上海国際サーキットで開催されるF1GPも日本からは行きやすい→だろう。このメディアセンターがメインストレートを跨ぐデザインの建物も一連のモダン建築のひとつに過ぎない。
上海のTVは59chもあるし、数年前までコーヒーを出す店がほとんど無かったことを考えると日本並みのスタバの店舗数もおかしい。いろんなところでバランスが悪いけど落差がバイタリティーの源だとは思う。
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【本日の写真】バルコニーブランチ
眺めの良い所といえばココ、外灘(バンド)地区の一等席。夜景はもちろん天気の良い日のブランチもいい。もちろん料金は地上の5倍。階下の会社の受付嬢は洗面器ゴハン(カウンターにオカズの入った器を並べて食べている...)だったりする。
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過日の絵本は今回の伏線。リアクタンツはいよいよ海外進出します、ってのは嘘だけど...。
中国の上海は今のところバイクは基本的には250cc迄だから利権を得て早めにH-Dのショップでもすれば儲かるかな。カスタムショップの方がウケが良さそうだ。
サイトTOPに載せていた店も近日中に取り壊される運命にあるようで都市開発の実態は凄まじいものがある。古い建物はブロックごとに順次取り壊され新しいビルになっていく。評判の良い店でも、儲かっていようといつまで続けていられるか誰も分らない...。先のことは考えないで居られるのが社会主義国なのかもしれないけど、共産主義の国とも思えない...。全中国の8割の税収を上海が生み出している事実からしてもここは社会主義の影が見えない都市だ。
北京や上海は昔からのカフェも多いけど漢源書店は日本で云うところのブックカフェ。カメラマンであるオーナーの蔵書は大したことない(...私の趣味と合わない)けど周辺は同潤会アパート似の建物が並ぶ住宅街にある上海らしくない閑静なところ。文化的見地から遺すようにしている建造物も多く、芸術家や作家も多いらしい。バイク屋じゃなければこの界隈はなかなかいい。はたして人気があるから家賃は安くないらしい。
うっかりその気になってしまうけど何かあったら...と考える。しかしそのままでは新しいことは始められないと意識させてくれる街だ。新しく開発されたショッピングモールはどこもイマイチだけど、潰れても代わりに入る店子はいくらでも居る。そのうち一帯は同じ建物で埋め尽くされてしまうに違いない。ダメならやり直せばいいってことだ。
何でもあるけど本物はない、お土産にするものもありそうでないけど今ちょっと元気にさせてくれる街だ。
最新事情には疎いからそんなの当ったり前じゃん!て思っても放っておいてくださいまし。
普段PCの使いみちは画像の加工、サイト管理、メール送受信以外はネットでの"調べもの"ってトコ。あまり特別な使い方(?)はしていない。調べものは結局Google等でキーワード検索して必要な情報を探すことが多くなる。でも余計に引っ掛かってくるものがあるでしょ。必要なのはこんなのじゃないんだけど...ってことで予め項目をクラスター化(IT用語じゃないよ...房状化してくれる)mooterは使える。英語検索に限られるけど無駄が省けていい。
アマゾンAmazonの検索エンジンA9も日本語対応になったら便利そう...(ベータ版でもある程度は出てくる)。「このパーツを探している人は、こんなパーツにもピクピク反応しています」ってデータを分析してくれたらありがたい。パソコンPCはアタマや手の延長の道具だけど何処から何処までが"手"なのか分らなくなる。
外国語の翻訳も今はネットの自動翻訳があるから大抵のことはそれで済む。最近はココかな。もちろんそのまま手紙には使えないけど...言葉なんか出来なくてもどーにかなるもの。
知らず知らず当たり前になって便利さの恩恵を授かっていることはよくある。これはキリが無いかもしれないけど逆戻りも出来ないんだろうな。
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【本日の写真】絵本「シナの五にんきょうだい」
子供のとき読んだ懐かしい絵本から...原作「Five Chinese Brothers」...私の中国人のイメージはコレ。
実際に行ってもこんな辮髪(べんぱつ)の人はもう居ないし元々漢民族の風習でもないけど、未だにこのイメージを引きずっている。中国人で「...そうあるよ」なんて日本語を喋る人も居ないよ...。
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って別に嫌いなわけじゃないし、以前鎌倉辺りに住みたいと思っていたこともあるけど。どーもそれもブランドらしい。
山よりも海だけど、海のそばじゃない。泳ぐの嫌いじゃないけどサーフィンはしないし、したくもないんだなぁ。
ウチはWebショップだし何処に居てもいいから基点は東京じゃなくていい。東京に通うにしても往復3時間だから地理的に非現実的でもない。でも海の近くは潮風で家もクルマも傷むし、バイクも放って置けないよね。ついでに...ビーチドッグよりヤマネコ(?)、ビーチクルーザーよりマウンテンバイクだな。
そのうえどうせなら沖縄でしょ、ハワイでしょ。生まれがそこなら仕方がないけど、自分にとっては湘南よりいっそBaliバリの方が身近だし無理がない。ベタベタした逗子の石コロ砂浜より噎せ返るモヤに包まれたウブドの森の方がいいな...と捻くれて思うのである。
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【本日の写真】牛乳箱
要らないけど以前ヤフオクに出品されててちょっと気になったことがある。
で、これはそんなニーズを読んでか、読み違えてかアオシマ模型再び(もち昨日見っけ)の新製品!
この5月中旬4タイプが発売予定。ミニチュア版、プラスチックでなく木製っていうのがいい?
プラモデルもカタログモデルはTAMIYA田宮に任せて、モデラーじゃないコレクター相手ってことか...。
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週間SPA!に(1.14号)福田和也がVincent Galloヴィンセント・ギャロの映画を観てそう書いていたのはある意味で同感だった。ただ私は作品は否定的ではない。
どれも...俳優としても監督としても大そうな作品じゃないし、モノ好きな日本にカルトな女の子のファンがいることも知ってる。"チョッといい感じ"って変人で捩れた日本のマーケットに翻弄されてポイされるんじゃないかと思っていたら、はたして今は日本に嫌気がさしているらしい。でもなぁ、ギャロ、「Buffalo'66」で評価されて金儲けできたんだからいいじゃないか?Q.TarantinoタランティーノやL.Bessonリュック・ベッソンみたいに商売上手じゃないだろう。
最新作は「Brown Bunny」ブラウンバニーだけどこんな映画を撮れただけでも満足しないと、そのうえ日本ほど写真集やら販促グッズをいろいろ作ってくれるトコはないだろう。バイク乗りを扱った映画はたくさんあるけどどれも映画として興行的に成功したことはないし。ペラペラでインチキなところ、あるいは身近で貧乏くさいところが君のキャラクターなんだから...と貶しておいて。
とことんイジケテ落ち込まないと次の作品が撮れないのかもしれない...YESイエスを聴いた同年代なだけに(福田センセは聴いてないだろ...)期待している。
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【本日の写真】Buffalo'66ポスター3態
左からアメリカ、フランス、ドイツ版。
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さてさてTシャツの季節です。で、ブランド物に飽きた私はユニクロのTシャツです。今季アチコチのブログで書かれてますのでご存知の方も多いでしょう。
私はFree & Easy誌の裏表紙に安西 肇氏がBrilloブリッロ柄のを着ていて、とりあえずコレかなと。
ネットからでも購入出来ますが、ちょっと寒かったので着るものに悩みながらも勇んで近所のショップに出掛けました。SKIPはダメになっちゃったけど今年は気合が入ってます。有名アーチスト物のほか企業コラボ、ミュージックコラボ等絵柄が充実。現代美術のアーチストでも古典の域に入ったA.Warholアンディ・ウォーホル、BasquiatバスキアやR.Lichtensteinリキテンスタインは定番です。B.Krugerバーバラ・クルーガーは好きな作家ですが残念ながらレディース物しか残っていませんでした。ただこの手のは買っても着ないことが多いので柄選びは慎重になります。企業コラボ物は入荷がこれからというものが多く私的にはイマイチでしたがタイポグラフィー柄のナムコや外人ウケしそうなヤマサ等はなかなかです。アート物は1枚¥1,500-、コラボ物は¥1,000-(いずれも税込)という安さ。一昨日に続いてこれもインフレ加担価格です。店内をぐるぐる回って"今回"はおしまい。お好きな1枚が必ず見付かる...ユニクロの回し者でした。
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【本日の写真】BrilloのTシャツ
結局ショート丈のソックス3足とBrilloのイエローを1枚買いました。
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以前はダメだったけど最近マック(McDonaldsマクドナルド)に月に1,2度は行く。
でもいつも何にしようかと迷う。ベーコンレタスバーガーの時はトリオのインフレ加担セットにしていた(ドリンクとポテトSで¥367-)。
バリューセットに気になるメニューがあった。フィッシュマックディッパー(フィレオフィッシュのバンズ抜き)のセット(因みに白身魚はこのメルルーサだよ)。フツーはポテトとドリンクにするんだろうけどチキンナゲットとのセットがある。ドリンクにフィッシュフライ6個+ナゲット5個だ。こんなの頼む人がいるのかと思っていた。ところがこれはアトキンス式ダイエット・低糖質ダイエットのメニューなのかもしれないと気付く。炭水化物を摂らないダイエットで肉や魚はいくら食べてもいいって、デブなアメリカ人が喜ぶダイエット法だ。酒飲みの居酒屋ダイエットって方便もあるな。気にするほど太っていないけどバイクを軽くするより自分の身体を軽くした方が安上がりだからね。
そこで今日の昼はこれにしようと決行した。
ところがそのフィッシュマックディッパーは衣が厚く脂っこい。6個はキツイ、加えてナゲット5個はヘビーだ。タルタルソースをチリソースに変えれば違うか?これはサラダのセットにするのが無難なところだ。税込み¥577-は内容から言えばコストリーでもあるわな。
胆石を患ってから揚げ物を食する機会は減ったけど元々レモンを絞って食べるコトレッタは嫌いじゃないからそーゆーメニューにもちょっと期待していた。...そもそもマックでダイエットなんて考えるのが間違っているか。
いきなりパン、パスタ、ゴハンだめの炭水化物なしの食生活は難しい。量は摂らないにしても基本の白米は好きだし、麺類も好きだ。じゃ何食べりゃいいの?って感じだよね(ダイエットのページに詳しいけど)。一日三食全ては無理だからしばらく夜の献立は考えてみよう。...あ、カラマリフリット作ろう!
朝(?)起きてPCの電源を入れる。アヒル!をクリックしてウイルスチェックが始まる。個人アドレスはタコで振り分けしてるけどSPAMメールは200件を超える。
ebayのオークションにも使っているから仕方ないけど(一時期ebayはアドレスを全部オープンにしてた)、チンチン+3インチとかバイアグラ安いよとかデブパッチ、はたまたアフリカの隠し財産とかMBAを取ろうとか...歯ブラシ咥えてそんな要らないメールを削除することから1日が始まる。"Delivery failure"なんて流行のウイルスメールもたんと来るし...。うっかり必要なメールを捨てないよう単語をなぞるからED治療薬の値段とか余計な情報もインプットされる。...そのうち無くなるだろう→。
午前中に起きてもそんなこんなでメールの返事等をしてるとあっという間に昼になってしまう。ここは一応ブログだけど雨戸を閉めてあまり近所付き合いをしていない(近所にそんな家あるでしょ)...そもそもコゴト(古事)日記だから、ブログ本来の在り様を目指していない。私があまり"今"に生きてないんだな。もちろん商いはしてるけど対面商売じゃないし世間との接点は最小限だね...。
ブログは同じ情報/物事を同時(時差無し)に複数の観点を知る/統計的に時代の関心事を計るバロメーターに成り得るけど、オタクやヒキコモリ(両生類みたいだ...)が"雨戸を開ける"キッカケにもなるでしょ。と、自分にも有効かもと思ったり。そもそもインターネットがそうだけど「天気いいねぇ」って云えない[遠くの存在]って感覚がないところがいい。...別にヒトとの出会いは求めてないし、それは"オマケ"だし(だからブログマップってのは分らない)。...なんか文章バラバラ。
以前のPCはMacマックだけど最近はウインドウズになっている。"窓ハコ"でメール管理やサイトページの作成をしてMacでも表示確認をしてたけどメインマシンから外してからは立ち上げることも少なくなった。だからサイトページが壊れてても大目に見ておくれ...実際どういうわけか直らないページがある。読めればいいや...IBMのデザイナーみたいだ(昔書いたけど、フォントはもちろん文字組とか全く気にしてないんだ)。人間大雑把(大らか?)になった気がするなぁ。英語OSのLC630は放っておいたら立ち上がらなくなって死んじゃったからiMacは生きてるうちに売ってしまおう。と、最後まで滅茶苦茶のまま今日はおしまい。
阪神大震災のときコレクターの稀少なバイクが鉄屑と化した話はあまり表に出ないけど、日本に居る以上地震による被災は避けられないかもしれない。
台風による洪水もそうだし天災による被害は、まぁ、仕方がないと諦めるしかないな。交通事故に遭うのもバイクに乗らなければ起こりようが無いし火山帯の無い地域に行けば地震もないけど、トコロが変わればリスクの種類が変わるだけだ。保険を掛けて金銭の補填で解消するものならいいけど、そうでないものの方が多いからね。結局大丈夫と"過信"してもしものことを忘れていられるかどうかだ。これは前にも書いたけど、雑事が沢山あるとその処理に追われて一番大事なことを忘れてしまう。日本に居ると平和に慣れてボケちゃうんだな。オトナだったらリスクを考えて行動しようぜ、みーんな甘過ぎ!
数ヶ月前のBikers Stationバイカーズステーション誌に「JyaJya ジャジャ」(えのあきら著)が紹介されていたけど、バイクを扱ったコミックはいろいろある。→参考ページ
もう随分と前の話だけど仕事場にいつもあったのは週刊「モーニング」誌。連載されていた「万歳ハイウェイ」(オサム&守村 大著)や続く「あいしてる」(同守村 大著)は通して読んでいた気がする。少年マンガ誌や青年コミック誌を自分で購読した経験は無いけど、ガロ系のわけのわからない(?)漫画は好きだった。高野文子の短編集はどれもオススメ...あ、新しい本出てる。どちらかというと少女マンガの方が読んでいるかな。リボンとか陸奥A子のテキトー加減が好きだった。
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【本日の写真】XS650改
当時守村氏が自分用に仕立てたカスタム、製作はオレンジブルバード。
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先月イタリアのスポーツ紙の紙面を賑わせていたのはサッカーの話題じゃない。当然知っている人は知っているだろうけど自転車のM.Pantaniパンターニ選手の34歳という早すぎる死だ→。
ホントは先々週書こうと思っていたけど詳しい方も多いし、多くを語れるほど追っかけていたわけでもないからね。最初は自殺説も流れていたけど新しい情報では死因はコカイン中毒らしい。ただドーピング問題を遠因にして彼を死に追いやってしまった感はぬぐえない。イタリア人を贔屓目に見るわけじゃないけどM.インデュラインやL.アームストロングより断然カッコ良かった。ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスで山岳ステージを果敢に攻める雄姿は脳裏に焼きついている。遅ればせながら心からご冥福を祈る。
さてさて、このニュースもひと月以上経って今更ということは判っている。でも情報を何でも即座に片付けなくていいんじゃないかと...オンタイムの話題が中心でもないし。blogブログもそうだけど皆が毎日話のネタを探している。リンク張ったりコメント残したり記事にトラバったりしてお友達になるのも楽しいかもしれない。けれど、気まぐれの更新だし、期待させるのも悪いし、私はボチボチ行くので許してくださいまし。
活字中毒と云うより雑誌フリークで本好きだから本屋がないと生きていけない。24時間何時でも開いているトコとは云わないけど...活動時間がひっくり返っているからねぇ、そこそこ大きな本屋か趣向を合わせた棚揃えがない店はつまらない...。
東京でクルマやバイク関連の本と言ったら環八沿いのリンドバーグだけど実は旧店舗しか行ったことが無い。今ある場所のほうが以前住んでいたウチ(東玉川)に近かったけど。日本の出版物はともかく、海外のそれは外に出たときに買い求めるか雑誌なら年間購読していたから足を向ける機会が無かった。欲しい本が判っているならミラノのLibreria dell'Automobileから送ってもらっていたし、纏めて買うのならその方がオトクだった。今ならAmazonアマゾンからもっと容易に手に入るかもしれない。実際雑誌に載る必要な情報は限られていて毎月せいぜい4,5ページの記事だけだ。旧車関連の雑誌なら尚更最新号を急いで手にする必要は無いからバックナンバーを集めればいい。もちろん世の中には英語のテキストのものばかりじゃないし、年代を何処まで遡るかにも拠るけどキリがない...。イタリアの四輪旧車雑誌「RUOTECLASSICHe」は価格が高いこともあって置いている店が少なかった。銀座「イエナ洋書店」はもうないけど東京ではそこか恵比寿の模型屋「Mr.Craft」、環八マツダM2内の北斗通商のブックショップくらいだった(この隈研吾氏のイオニア式円柱が特徴的な建物は現在葬祭場になっているそうでバブルの遺跡として似つかわしい)。今渋谷や銀座には「ブックファースト」があるけど、バイクで動くと止めておける場所を考える。近くにコーヒーを飲めるカフェがあるところとか。PARCOパルコの「LOGOSロゴス」もよく行っていたけどやはりシンドイ街だから足が遠のく。せめてBunkamuraの裏に停めて「ブックファースト」まで歩いていくか、混んでいる所にわざわざ行きたくないから「青山ブックセンター」は青山"崖下"店になってしまう。
アナログとかデジタルとかどーでもいいけど、一方に割り切って生活していくのは難しい。
好き嫌いや得手不得手もあるけど食べず嫌いで便利さに目を瞑っていたら時流に取り残されてしまうだろう。
そもそも昔のモノを扱っているからモノそのものの実体が肝心なことは変わらない。でもデータの管理や雑務を考えるとPCパソコンは便利な箱だ。ユビキタスというほど何もかも置き換えてしまうことは無いけど少なくとも作業の軽減には役立っている。また趣味のアナログ生活にも有意義ではないかな。手を動かしてモノを作るのが好きだし、五感に響くものに接している方が気分的には豊かでいられるからあまりバーチャルなものにのめり込むことは無いけど、手足が長くなってコミュニケーションの世界は拡がっている実感はある。モノ売りを商売にしていなければこんなに加速する必要はないかもしれない。しかしネット環境が在って当然の時勢には日常生活で様々なことに無知でいることは非常識だし、耳や目を塞いでいることは出来ない。少なくともココに居る限り"お付き合い"していかないといけない。
ついにMacintoshマックがお払い箱になる。嫌いじゃない...どちらかと云うと好きだけど、道具に徹すると頼りない。「そのうち迎えに来てやるからな」と里子に出す心境で、よりアナログで居るためにメッセンジャーはもちろんWEBカメラ置いてヘッドセットするんだよ。
デブは避けて通ると言う話は1年ほど前に書いた。最近は歩きタバコの人に近付かないようにしている。自分が吸わないから煙が苦手なこともあるけど、灰が飛んでくるのを避けたいんだな。ナイロンJKTは飛んできた灰で穴が開く。穴が開いたから弁償してくれ!なんていう度胸がないから...。
外見や趣味で人間を判断しちゃいけないけど、自己防衛と称して差別したりされたりする世の中だ。 と、今日は云われもない差別も仕方がないという話ではない、そのナイロンJKTの話から。時節柄自分にとってはヘビロテなアイテムだけど当然2,30年前の古着しか持っていない。基本的には商品だけどデットストックの未使用品であっても私が着用して古着にしてしまう...。元々古着なら汚れたり穴が開いていたりするのがフツーだ。でも20年前に買った私物の方がボロくなっている。キルティング地はヒョロヒョロ糸が浮いていたり派手な色が目立つだけでなく、ちょっとみすぼらしかったりもする。以前は造りの良い物がいいと思っていたけど最近はそうでもない。なかなかクタッとしないTシャツもイヤだしみるみる着古していく感じが心地良いと思うようになっている。確かにデット物は売りやすいけど穴が開いていてもそれはそれでいいんじゃないの?って気がしている。肩に力の入らない自然体が一番。いつまでも型崩れしなかったり、アチコチ綻んでこないと懐(なつ)かない隣の犬みたいで可愛くない...。ピカピカのおニューは恥ずかしい。"よい子"は運動会の日に新しい靴を下ろすのかもしれないけど幼稚園の時、おゆうぎ会の日に新しいセーターを着て行って怒られたことを今だに覚えていたりするから新しいモノには拒否反応を示してしまう。赤い色の服を着ていたのは子供の頃からだし、猿の鼻を三角に描いて窘(たしな)められたことをいつまでも根に持っている。些細なことが実は根が深い。
日本人は子供の頃から、ベストを尽くすよう教育されているけど実はそんなところに様々な弊害を引き起こす要因があるような気がしている。スーパーの棚に並ぶ商品や日本の電化製品は「こんなことまで!」のお節介なモノに溢れている。
勉強熱心で勤勉と云われる性格がそうさせるけど、その"成果"が全て世界標準にはなり得ない。ブツブツ云う前に日本人をちょっと見習ったらと思うのもしばしばだけど、そう思うこと自体が日本人ではある。そもそも十徳ナイフとかキッチンのスライサーセットとか"一つで何でも出来ます"商品や電子レンジとか冷蔵庫とか場所毎に専用の掃除用品があったりする。それが豊かな生活なのか?お節介な便利さは要らない。過不足ない機能を持つモノを尊重したいし、なるべくモノを持たずにシンプルに暮らしたいと(は)考える...ただバイクは個体に用途を限定すると数が要るなぁ。日本は島国だからココだけワンダーランドでもいいと思っている。だから特化して行くところまで行ってしまう。アニメもゲームも壊れない工業製品もそれらの産物だから何事も表裏があるということだけど。でも隣国と接しているトコはお互いにバランスを取って共存している、ドンパチやりながらも...。で、そうなると世の中万遍なくそこそこをいっぱい...の方が良かったりする。不便なことにも慣れるから、ゆる~く生きていた方が長持ちしそうだ。
「クロワッサン」はいつのまにかオジサンも取り込んで都会の熟年夫婦向けになっているけど"スーパースローライフの手引き"あるいは"田舎引こもり症例集"「ku:nel クウネル」はもっと貧乏くさい。対象は年齢で分けてないけど、後者は「アメリ」や「パパイヤ」好きの(元)文学少女向けのようだ。素敵なババアになるためのスッピン生活を目指しているのだから恐れ入ってしまう。
もしかすると新しい「暮らしの手帖」を目指しているのかもしれない...。といいながら毎号買ってたりする。「料理王国」や「FIGARO Japon フィガロジャポン」の極を行く雑誌だな。どっちがいいとも云えないけど。今どきは前にも書いた「FADGE ファッジ」だけど...でマガジンハウスはどうかなと「Olive オリーブ」がガーリーな感じかと思ったら...また休刊?無くなってる?「anan」は中身は無くとも広告塔じゃなくて、整形ダイエット広告スポンサー向け媒体だから廃刊出来ないし...。オヤジ養成男性誌もいっぱいあるからそのうち悪口ページでも作ろうか。...リンク張っても雑誌の宣伝じゃないよ。
新年明けましておめでとうございます。
今年も懲りずにお付き合いの程、お願いいたします。
ゆるゆるボケ~と年が明けた感じですが、いかがお過ごしのことでしょう。
私はDVDの映画、FMを流しながら図面を引いたり、つまり終日PCに向かっております。
はたして海外は今日から通常通りです。
キリがいいからとこの日記も年明けにblogに移行しようと思っていましたが
怠け者ゆえ作業を怠っております。しばし気長に当てにせず、お待ちください。
年頭に当たって今年の抱負です。
賀状にも書きましたが外に出てみようかと(?)思っております。
ここ数年引き籠っていましたのでRSと一緒にバリバリアチコチふらつく所存です。
皆々様、その折は何卒よろしくお願いします。
そうそう今年のモットーも SAVE DOING (余計なことはしない) で変わりません。
これはウチのポリシーにしましょ。
毎年月日の経つのは早いと言って一年が過ぎていく。
年を重ねる度にそれを痛感するのは慣れて擦れてしまっているからに違いない。師走も正月も特別なことではなくなってしまった自分が居る。周りがせわしいだけで自分は関係ない?でも、いつもまだそうでない年代がいるし伝統や慣習を継承していく意味で区切りとけじめは大切だ。クリスマスのレースを外してシメ飾りを掛けたり、一日違っただけで空気がガラッと変わる。そういう切換えの繰り返しが日本人のアイデンティティを形成している。他国にはこのリセットする感覚は無いだろう。大掃除ってほどのことはしないけど、パーツ用のステンレスたわしでコンロの五徳を磨いたりする。幸い天気も穏やかでテレビを見ない私にとっては静かな休日だ。昼夜の逆転はいつものことだけど暴飲暴食は気を付けよう(しないけどね)。で、今日で今年も終わり、また新しい年だ。皆々様どうもありがとうございました。来年も宜しく。
今日は主婦の話。
作業場の冷蔵庫にはいつも野菜ジュースが入っている。伊藤園の「充実野菜」だ。
ドーンと缶ビールとかが並んでいると「男らしぃー!」のかもしれないけど、飲まないからね。
で、その「充実野菜」は季節ごとに限定品が出る。今はゆずやしょうがの入った冬野菜バージョン。
当然ゴーヤの入った夏野菜やサツマイモの入った秋野菜なんてのもあった。
秋野菜バージョンは高かったからかすぐ無くなった。季節限定品は値引きして売られないことが多い。
オリジナル?はもう定価がいくらか判らなくなったけど、コンビニ等では1本3百円ちょっとのはず。
でも安売りの薬屋やスーパーでは¥178-がセール価格で最近は¥168-なんてこともあるな。
一度その値段に慣れてしまうと¥198-なんかでは買わない。無くてもいい飲み物だから。
ミネラルウォーターもボトルで買っている。1年ほど前は1本(2リットル)100円が相場だったけど
今は90円を切っている。その値段で流通してしまうと宅配のミネラルウォーターの業者も辛いよな。
確かに産地による味に違いはあるけど、美味しくない水道水に比べたら何処のでもいい。
コーヒー豆もどんどん安くなっていくけどやはり安いものはそれなりだ。
一通りいろんな店のブレンド豆を飲んでみたけどエクセシオール(エクセシオール)*の
ブレンドが無難かな。お茶代わりの私は挽いた豆のパック売りで我慢しなきゃいけない?
*この2つどちらもドトール系列のお店だけど紛らわしいよね。
サイトページを作っていて気付いたけど最初のMVをカスタムしてからもう10年になる。
つまり手に入れてから20年は経つということだ。長く生きていると平和な世の中なんて無いと
諦めてしまう。身近のハッピーをかき集めてめでたしめでたし、満足の欠片がいっぱいあれば
幸せと思うようになる。自分自身は変わっていないと思っているけど
周りの状況は年月分変化している。昔に戻ってもう一度繋げようとしてももうくっつかない。
人間関係も3年会わなかったら無くてもよくなる。別の方向に歩いたらどんどん離れていくよ。
皆年を取ったし、疎遠になっていつのまにか亡くなっちゃってたり。
世代も交代して生物学的には繰り返しだけど人間一度折り返したらもう一回ってことはないし...。
やれやれ、生きた時代の良い部分を次代に受け継いでもらうようにと殊勝なことを考える。
いやいや、ジジイの戯言みたいなことをブツブツ言っていると一気に老けてしまうぞ。
死ぬまで突っ走るぞ!と気合と鞭を入れる。太く長く生きてやるー!
事務所の電話はほとんど使わないからうっかりすると止まっていたりする。
ま、ケイタイも用事があるときだけ持ち歩くから同じようなものだけど。
ファックスが送られてきて何も写ってないと思うとインクのカートリッジがカラッポだった。
今どきでもアナログ機器を放り出してメールとメッセで仕事が済んでしまうのは特殊かもしれない。
だから終日人と口を利かなかったりする日もあって、外でたまに人と会うと思わず饒舌になる。
人に溜まっていたことを吐き出すみたいで、聞くほうは堪らない。相手のことなんて考えてない。
仕事に土日休日は関係ないし一週間のローテーションもはっきり決まっていないから
忙しかったりゴタゴタしてるとその"タンク”の許容量を超えて溢れ出してしまう。
「タンタンコツコツ」は長生きの秘訣だけど、やっぱりオーバーレブは長持ちしないよな。
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【本日の写真】ドナー(Next One)到着
RS600Dと入れ替わり、前に書いたもう1台のMV125Sがやってきた。前後タイヤ共CEATとオリジナル度の高い本国仕様。フルレストアが前提だからパーツ集めは必要ない。苦難の旅路が待っているのは確かだけど出発はいつになるのやら...。侘びサビも味のうち、といえるのか(...サビは"寂び"でしょ)。
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年賀状はメールでお送りします。
実物/現物が必要な方はサイトページにPDFデータをアップしますので、申し訳ありませんがダウンロードしてプリントアウトしてくださいませ。
資源と経費の節約ですが、お付き合いの軽減ではありませんのでご理解ください。
最近は名刺も作らないし、ハガキも印刷しない。紙に残すほどのことのない内容だけど、確かに味気ない。
だからかえって手彫りの版画にしたり、アナログな手法が注目を集めたりする。
手書きからワープロ文字になって、プリンターの描写精度が上がって家族写真の年賀状はともかく
印刷会社に頼む必要もなくなった。そもそも個人では枚数いらないからね。
皆がメールでコミュニケーション出来るとそのあいだのハードの進化というか、は行くところまで行って
上り詰めてストンと落ちた感じがする。日本の正月の慣例を否定するつもりはなくて
そのうち筆文字の宛名で1枚1枚刷った版画で送りすることもあるかもしれない...。
まだ決めてないけどそろそろ決めないといけない。
年賀状の話は先月書いたけど
印刷でいくかどうするかまだ迷っている。ずーっと思っているけど要らないんじゃないか。
経費が掛かることもあるけど無駄なことのような気がする。紙の無駄遣いとも言える。
メールや添付データで充分でない?"現物"が必要ならPDFデータからプリントしてもらえばいいかと...。
森林破壊の抑止、環境保護を謳うつもりはないし、つくるのが面倒になった訳でもないけど...。
アナログのお客さんも居ないわけじゃないけど切換え時かもしれない。
遅くなると年賀切手売り切れちゃうからなぁ...。
大したことじゃないけどいろいろやることがある。
ひとつひとつ片付けた方がいいのだろうけど
あれもこれも齧り掛けが習性になってしまった。持ち物も考えていることも整理しないと、と思う。
今は一所に留まっていない生活だから腰を落ち着けて物事に取り掛かるのが難しいけど
考え方はずっと変わっていないからまだ大丈夫と思っている。もう折り返しちゃったかもしれないのに。
新しいことも嫌いじゃない。面倒なことも便利さを考えると苦でなくなる。
でもバラバラになってどこかへ行っちゃうから文章はWordじゃなくてメールの下書きに書いちゃうけど...。
今度はこの日記もBlogブログに移行しようと考えている*。そもそもこのカタチである意味はないし。
ちょっとお勉強しないといけない。楽しいことは苦ではないけど、面倒だな...どっちが先だ?
メールで何でも済ませて物覚えが悪くなったとか言われるけど、年を取ったら人間どこか
不自由になるに決まっている。だから目を患ってから"居ながら、何処ででも"仕事が出来るよう
考えてきた。足腰が動かなくなっても、目が見えなくなってもPCの箱さえあれば
世界と繋がっていると思えるに違いない。独りでは生きていけないけど
何より独りで遊べないとつまらない。つまらない大人になるな、と思ってきた。
折り返し地点を回ったらスタート地点に戻るのか?でも誰も何処が折り返し地点かも知らない...。
*以前このコラム(?)は日記サイトに掲載しておりました.
と、宣伝文句みたいだけど...最近炭石鹸を使っている。
妹から貰ったんだけど纏わりつく感じがなくさっぱりしていい。
最初はヒノキの石鹸なんかと同じかなぁ、香料に騙されてることもあるし~と思っていた。
アレルギー体質なのでその効用もあるようだ。ところで何の炭?って思ったらはたして、
いろいろあるようだ。何かの木/薬用炭っていったい何?備長炭って言っても、つまり産地で
原木が違う...は当然あるけど、原材料が竹や笹なんてのもあって、これは育毛効果もあるらしい。
天然の混じり気なしが一番とは思わないし、今更「これダメ、あれダメ」しても
体内の悪い成分;頑固成分や偏屈ウイルスが吸着されるわけじゃない。
でも確かに備長炭で作った部屋に居れば"アクのない"人間になれるかもしれない、と思わせてくれる。
日記は隔日に書くようにしているけど定期的にアップしていない。
ちょっと間隔が空いてしまうことがよくある。たまに内容の入れ替えもするし、日記とは言っても日常のことじゃないから日付はどうでもいいかなと思っている。ずっと読んでくれている人は分かると思うけど書く内容というより、年寄りみたいに同じことを繰り返し愚痴っているだけになってしまうのがイヤだ。年相応のこと(って何?)をしていないのに結構頑固で天邪鬼だから、言うことが嫌味になってしまう。最近はポリデントのCFの「いらないっ!」ジジイみたいに思われそうだ。11月の終わりになると年末モードになってくる。やることが3割増しになってくるようだ。今年中に片付けておきたいことはそろそろ取り掛からないと間に合わない。進歩がないようだけど毎年同じように波風なく月日が過ぎていくのが幸せなのだと思わなくもない。自分の場合はどうだ?ここ数年は同じ所にいたためしがない。今年の正月は何処かなぁ...。
プレゼントシーズンだ。
自分の場合誕生日が12月だからクリスマスと一緒になっていたから誕生日の有難みは無い。もっとも貰って嬉しいと思うモノより、祝ってもらう気持ちだけど。ヒトのためにプレゼントを探すのは嫌いじゃない。旅行の土産もそう、丸一日掛けてトコトン探す。ありきたりのモノなんてもっての外で、無二の値段の判らないものを探す。...手作りってのもある。ホントは残るものより食べて無くなってしまうものや花束なんかの方がいいんだよ。人付き合いは悪いし、最近は仕事で顔を付き合わせる関係もないから差し入れもしない。でも貰い物は使い回しできた方が有難いかもしれない。以前歳暮に商品券や缶ビールを箱で貰ったことがあるけど嗜好の判らないところには金券やベタな商品が無難なこともある。けど、そんなことはしない...。...と云う間に年賀状のシーズンでもある。数年前までは商品として年賀状のサンプルを作っていた。ここ数年は自分のモノだけでいいから楽だ。1点だけだけど気合を入れることもない。来年はベタで行くか!と思っている。寅年の年にタイガースマークで行くような。
人と外で会う機会が減ると普段の格好はどうでも良くなる。
まあ服はいいけど髪や髭は伸ばしたままだ。美容室に行くのが面倒だ。どこかの店に決めているわけでなく、というより引っ越しちゃったからわざわざ行き慣れた店に出向くほど根性が無い。実はヘアスタイルはどーでも良くて気の向いたときに切る。しばらく伸ばしたかと思うと極端なショートにしたりする。ただ色は真っ黒だと重いからグレーっぽくしてるけど。短いと寝起きはアトムみたいだし、長いと洗って乾かすのがかったるい。一番気にしないで済むところを模索している。伸ばして後ろで束ねると額が後退するからって止めていたけど、全然気にしなくなった。禿げたら剃っちゃえばいい。意外と帽子が好きだったりする。サングラスと一緒で数あるといい、と思っているから街をブラブラしてはいけない。横浜ルミネのUAみたいに通り道にあると寄ってしまう。...スナフキンのような帽子が欲しいかな。
最近はSPAMメールの多さに辟易している。
一晩で100件近い迷惑メールが届く。フィルターを掛けてもキリが無いし、自分のアドレスをリストに入れてしまったりして厄介だ。まあ、メールアドレスを頻繁に変えればいいんだけどそれはそれでまた面倒だ。
そもそもそんな勝手に送られてくる必要もないメールに安易に反応する人がいるのだろうか?欲しい情報は自分で探すだろうし、お節介は迷惑だ。消去する無駄な労力を課しているのだから。現状では自己防衛しかないなんて理不尽な話だ。どこかでそんな輩を規制していかないといけない。
世の中はネット環境のお陰でかなり便利になって直接身体を動かさなくなった。ダイエットしたり身体を鍛えるのは必然でなく目的だけど、余計なことをしなければそのままで健全なはずだ。汗を流しての労働が真っ当だとは思っていながら体育会系でもガテン系でもないし、自分にとっては稼動効率が悪いからすることはない。
動かないで余計な贅肉を付けないようにすると少食になる。味の濃いものは食べれなくなったから外でしっかり食事をすることも減った。家の中に留まることが多くなると自分で調理もする。パスタやカレーなんかは簡単だしいつもだと飽きるから、そうだ!料理をしよう、と思ったりするわけだ。
食器も料理の作り手の立場から考える必要があるし、和食の定番だけでいい。道具に凝らないでと思っているけど...。
余計なことをすると余計にモノが増える?
国際感覚(?)はたくさん旅行をすればいいってことじゃない。
いくら言葉が出来てもダメだ。見聞を広めるのも単なる身勝手でしかない。その場で生活しないと判らないことがある。
一方、外に居れば自分のことが分るかというとそうでもない。日々考えていないと見えて来ない。自分を俯瞰した視点で地球上の一粒の人間と捉えるのは容易くない。"日常世界"は目に見える範囲だ。立場や環境、国や地域が変われば慣習も違ってくる。
常識は自分のいる世界の尺度だ。地球の何処かでいつも戦争は起こっているし、飢餓に苦しんでいる人々が大勢いる。洪水で毎年何百人も死ぬ国もあれば天災でなくとも交通事故で毎年何万人も死んでいる所もある。
優先順位が"個人の勝手"は当たり前のようだけど、国単位にしても同じだ。政治とか経済とかに左右されない価値観ってのもあるだろう。一度全部壊れてしまえば同じだけど、リセットしてもまた同じことを繰り返すだけだ。
鹿の子のポロシャツが出てきた。
ほとんど着ないけど色味が気に入って買ったものだ。そのころは代官山のシェビニオンに頻繁に出入りしていたせいかTシャツもいくつか残っている。
で、そのポロシャツは襟をハサミで切ってヘンリーネックのシャツにした。これで重ね着に使える。
プリュスの白の綿シャツは襟周りがちょっと黄ばんでしまったけど気に入っていたシャツだ。コムデのシャツは毎月買っていたからまだ何枚もあるけど、着るのはスーツの時くらいだ。で、そのシャツは柿渋色に染めた。ドレスっぽいデザインだけどこれでラフに着れる。染色は慣れたね。
セージグリーンのMA-1がある。拘って本物より良く出来たレプリカだ。"とりあえず一着"っていわれるけど、もう着ることはない。着回しの融通も利かないし...。だから処分する(売る)ことにした。着ない古着は売りに出されるか(もちろん商品として仕入れるものもあるけど)、捨てられる。気に入って取り置きしている私物も、あまり手を付けないでサラの状態にしている。パッチを付けたりサイズ合わせをしてしまうと商品として売り難くなるからだ。
だから捨てないで済むよう、手元に残しておきたいものは(売れなくなるよう)パッチを縫い付けてしまう。
ハリランのダンガリーはCooper TIRESのパッチを付けた。...実はこの70sのORG.パッチはかなり貴重だ。
コムデのフランネルのコートはどうしよう...。数えてみると20年以上前のものということに驚く。
いつのまにか仕入れる商品より自分が昔吊るしで買った持ち物の方が古かったりする。
昔の服や本を引っ張り出すと昔の自分が見えてくる。同じことを繰り返さないよう学習していたつもりがいくつになっても変わっていない。表向き誤魔化すのは上手くなったけど...。
シュウマイに乗っているグリーンピースやみつ豆のアカエンドウは苦手だ。
さやえんどうの味噌汁(...そもそも味噌汁は飲まない)や豆餅は好きじゃない。でも豆が嫌いなのかというと、そうとも云い切れない。おにぎりは必ず赤飯を買ってしまうし、甘納豆は貰うとうれしい...納豆もいつ食べたらいいのか疑問に思うけど、嫌いじゃない。
無いと見た目に美味しくないということもある。おせちに黒豆は不可欠だ。箸を伸ばすことは無いけど。一方最近はレンズ豆やひよこ豆が入ったカレーも多くなってきて何となく嬉しい。パセリのような添え物ではないし、味が主張しているわけでもないのに存在感がある。
そういえば思い出した。子供の頃親に連れられて「ジャックと豆の木」の演劇を観に行った。内容は覚えていないのに天井から吊り下がった木のブラブラした根元がずっと気になっていた。そんな大きな豆の木あるはず無い!と思っていたけど実際に存在することを大人になって知った。
豆の世界は奥が深いぞと思うのだ。...やっぱり挽きたてのコーヒーは美味しい。
別に高級志向じゃないけど最近の野菜の味はおかしい。
キュウリなんか全然味がしない。ピーマンだって子供が嫌いになる癖のある味もしない。カタチだけそっくりな作り物(...だけど)のようだ。
スーパーの特売野菜の味に麻痺してしまうのは悲しい。たまに本物の味に出会って感嘆するのがいいのか、その本来の美味しさに慣れて有難みを忘れてしまうのがいいのか判らないけど、エサじゃないんだからちゃんとした食材をつかって当たり前の食事をしていたいと思う。
まぁ、野菜だけじゃなく肉も一緒だけど、ちょっと気にすればまともな食材を手に入れることは難くない。基準を曖昧にしない。程々のものでいいから気に掛けて選んでいれば粗食でも"口福"でいられる。
一般受けのする雑誌はつまらないけど売れないとすぐに廃刊してしまう。
最近は「Pen」や「マンスリーm」を購読しているけど「ギリー」の頃や創刊時の「m」とは内容が
違うし、その「Pen」もいつの間にか出版元がTBSブリタニカから阪急コミュニケーションズになっている。ファッションや情報誌は生きものだからニーズに呼応して中身が変わっていくのは当然だ。1クール出してしまうとやることが無くなってしまう"頑なな"雑誌は消えていく運命にある。その点大手の出版社は"遊び"ではやらないから打つ手も見切りも早い。
気に入っていたウチワ雑誌「dish」はいつの間にか無くなった。その代わり今は「FUDGE」が面白い。自分が面白いと思う雑誌は行く末が危ないということだけど、続けようなんて意識は要らないのかもしれない。ムック本や別冊、季刊とかで充分な内容もあるしね。マンネリ「F&E」も倍くらいの厚さで季刊にすればいいのに...。流通の制約もあるけど、日本の雑誌は皆体裁が同じだ。勝手にオマケ付けて特別価格もないだろう。
ちょっと気になっていたショップを覗く。
年収5千万円以上の顧客をターゲットにした食材店だ。そうはいっても日本では一般大衆の参拝客しかいないと思う...。もっと商品が沢山あると思っていたけど、全然少ない...。単なるカフェじゃん!
卵入りCaponiカポーニのパスタは美味しい。高級なバルサミコ酢は料理によっては不可欠なものだ。だけどそんな食材だけで上昇志向を満足させられるほどみんなバカじゃない。
美味しいパンはパン屋で食べたいときに買うし、カフェなら居心地のいい他の店に行くでしょ。紀伊国屋や明治屋、ナショナル麻布あるいはスーパーDen-en、成城石井で十分じゃない?
そこに行かないと得られないものがない。...ロゴ入りグッズは高級ファッションブランドよりセンス悪い。私はこれがプロの仕事とは到底思えない。すかいらーくやシボネの1店舗って思えばいいのか...。ついでに、ネットでもあまり評判は良くないし、ミラノPECKペックの前轍を踏まなければいいけど。
余計なお世話だね...。
大人になるとホンネとタテマエがあるからか、見た目じゃ何を考えているか判らない。
だから同じような服を着てカモフラージュしているのかもしれない。かといって奇抜な服を着てアタマカチカチなヤツもいるからややこしい...。なーんにも考えてなかったりするから紛らわしい。
ショップで上から下まで揃えるのか、コーディネートの手本がないと困ってしまうのだろう。最近東京の下町に、変な格好が板に付いたジジイの多いことに納得した。つまり白髪の長髪でバンダナ巻いて上下デニムでウエスタンブーツ...焼き鳥屋のオヤジだ。
それは他人を受け付けない頑固さとも云えるけどヒトの目を気にしないわけでなく、"変なヤツ"と見られているのがいい。自分の泳いでいるテリトリーは決まっているからそこで自分の居心地がよければいい。ちゃんと中身を評価してくれる人はそんなに要らないしね。
今更ながら衣服や外見は中身を守る鎧でもあることに気付く。
先日久しぶりにメールマガジンを発信したけど、するとサイトや日記へのアクセスが増える。
サイトのカウンターは意味がないから消しちゃったけど、ショッピングサイトとしてメルマガとの連携は定石には違いない。最近は言いたいことは日記に書いちゃうからコラムに書くことがないけど入荷情報等をマメに告知していくのが売り上げアップに繋がるわけだ。
情報ページは自分自身の経験/消化内容だから、自己満足でせっせとページの更新はするけど商品ページは溜まってきたら一気にアップというパターンだった。本来オークション出品はサイトへの誘引を目的にしていたけどそろそろサイト主導でもいいかなと考えている。
また今までパーツリストやマニュアル類はコピー製本して販売していたけど注文があってもほとんど手間賃だから、今後はPDFにして自由にダウンロードできるようにしよう。その作業自体が手間ではあるけど他ではまねの出来ないことでしょ。
同様に海外ショップのカタログや価格表も出せる...もちろん自分が関心のあるトコロだけだけど。分かりやすい"お役立ちページ"っていうのはそういうことだ...。
ネットで自分の名前を検索してもこのサイト位しか出てこないけど...
ふと思い出して、今どうしてるかと気になるヒトの名前を入力してみる。結構消息はつかめてしまうもので、ホッとしたり頑張っている様子が伺えて嬉しい。
私は突然連絡を取る勇気はないからそのままだけど逆にそうやってメールで20数年ぶりに連絡を貰ったりすることがある。もっとも共通の話題はないから実際に会うこともない...。
仕事もほとんど会社勤めしたことがないし、住所も転々としていたからか長く連絡を取り合っていられるのはごく限られている。...付き合い悪いからね。
10年くらいの周期で顔付きが変わるみたいだから会っても判らないこともあるらしい。
にしても、髪の毛赤くてもいいと思うけどな...そんなのどーでもいいことじゃないの?
10年前の段ボール箱を開ける。
引越しの際に実家の物置に送ったままのものだ。80年代終わりから90年代はじめの頃の廃刊した雑誌や哲学誌、画集が詰まっている。
そもそも身近に置く必要のなくなったもの。現代思想やユリイカなんてもう読まないでしょ。でもアルバムの写真を見るより当時のちょっと背伸びした自分を見るようで面白い。カスタネダやデリダもファッションだったかもしれない。傾倒もしないけど余計な知識だけは残ってしまう。
バブルの時期だから装丁にお金を掛けた本も多い。今なら絶対売れない。インターネットやDTPのない時代だから自己表現を紙媒体と伝統的な印刷方法に頼っていたある意味で平和な時代だった。バブルだけでなく出版業界も爛熟して...90年代に入って腐っちゃったんだな。貴腐ワインをチビチビやる趣味もないからなぁ...。
商品としてもそうだけど自分自身最新モードの服より古着の方が楽しい。
仕事でなければシーズン毎のファッション傾向なんかチェックしたくない...。蚤の市では用のないガラクタ探しが面白いけど、ロンドンではよく古着屋も回った。服はスタイルだけでなく、なかなか自分に合うサイズが見付からない。
最近はネットオークションで容易にバーター出来るから...売り買いするんだけど、気長に探せば目当てのものに出会える可能性も高い。
もっとも自分では結構派手な柄物が好きだから、売り物は地味めでシンプルなものを探す。スーツは気が向いたときに着るし、オンオフの区別もないからいつも好きなものを着ている。年甲斐も地域順応性もないから年齢職業不詳の若作りなオヤジだ。
前にも書いたけどヨーロッパだと居心地が悪い。年相応な身なりを要求される。でもアメリカなら穴の開いたスウェットを着たジジイが沢山居る。ライフスタイルはアメリカ寄りでもないけど、世界中イイとこ取りは日本でしか出来ない。
タバコは吸わないから灰皿やライターは要らない。
ビールも飲まないからビアグラスも要らない。でも実際は沢山持っていたりする。まあ、パーツも使途のないモノまであるし...。必要なものだけといったら結構シンプルな身の回りでいられるかもしれないけど実際どうだろう?
資本主義消費社会だから生まれたときから電気も水も...不自由のない生活が当たり前だ。モノだけでなく世界中の様々な情報にも浸りきってもう余計なことだらけの生活になっている。悩んでいることだっていつも些細なことでしかない。上(空)の方から自分を見たら大したことないよな。
モノが溢れても豊かな生活ではないし、グレードUPして高級品が揃ったからって意味がない。どこか欠落した部分を余計なモノで埋めているような気もする。本来無くても良いようなモノで...。頭でっかちで肉体的には過保護、刺激には麻痺してるから精神的にはタフかもしれないけど。何かを作ることに没頭している状態は必要だけど余計なことをしているような気もする...。
銀座の行き付けの店はどんどん無くなっていく。
居場所が無いと感じるのはそこに居ないからだけどそうやって限られた変わらないトコロを求めてか、ジジイは下町に追い遣られていくに違いない。新しい店も出来るけどイチイチ確認するのもかったるい。居心地のいい店は見付けるまでが厄介だ。
自分の地図は本屋がランドマークになっている。東京の本屋は割り切った品揃えがいい。グラフィックや洋雑誌が充実しているABCは勿論、ジジイ用達の日本橋丸善も特色があっていい。古本屋も無くなることが多いけど茅場町のゴジラは写真モノの思わぬ掘り出し物に遭遇したりする。
喫茶店やカフェも重要な要素だけど最近は何処もFCの店ばかりになってしまったからね。昔池袋の芳林堂の(上の)栞でよくホットサンドを食べたものだけど、昨今は行く機会が全くない...。
横浜のミナトの方に行くと景色が変わっている。何も無い更地にビルが建つワケだから分かり易いけど入っているテナントは変わり映えしないから一度行ったら用は無くなる。観光地だから仕方ない?
もっとも六本木もスウェーデンセンターが無くなってあれぇ~?って感じになっているし。
新しい店を発見するのが楽しみならいいけど、求めているトコロはそうはない。追い付けない自分のせいか、いつも居心地のいい場所に居ればいいのかと考える。猫は家の中で一番居心地のいい場所を知っている。犬みたいにマーキングの必要はないけどそろそろ"箱"を造らないといけないのかもしれない。
夏は何処に行ってしまったのだろう?
セミだっていつ出たらいいか判らなくて困っちゃうよな...。
当然夏は暑いもの...という前提で世の中は回っているから、こう"らしくない"と狂ってきてしまう。
前取りの取材は季節感が滅茶苦茶だし、売れるモノも売れない。作物だって成長に良くない。
離れちゃったけど広告業界もバタバタしているだろうな...。秋物も早出ししていかないといけない。
私はスイカも素麺も食べないけど、季節感がないのも困ったものだ。ウチワの要らない花火もねぇ...。
この季節感が重要で、変わることでモノも人間も動く。経済の発展/破綻には不可欠な要素だ。
常夏の国は変わらない。人間が変えようとしても気候が拒んでしまうから10年経ってもそのままだ。
早々に自分のスタイルを見付けちゃったら南の国に行ってしまうのもいい。
Paolo Conteパオロ・コンテの曲を初めて聴いたのは15年くらい前のことだ。
ヴェネチアのサンマルコ広場にほど近い画廊からラジカセのブツ切りだけど骨太の声が流れていた。イーゼルに懸けられた海に浮かぶボートの絵の雰囲気に絶妙にマッチして辺りを漂っていた。すかさず店番に歌い手の名を紙に書いて貰う。近くのレコード店に走りカセットを数本求めた。その後WAVE等で数枚のCDを手に入れた。ブームもあって中東の音楽も頻繁に紹介されていた時分だ。
それ以外にも旅行中ウォークマン等で何度も繰り返し聞いていた曲はその時々の情景に重なる。糸杉が連なる丘陵を縫う1本道や旧市街へ昇るケーブルカーの床に落ちる木漏れ陽にクラクラしていた。
風景は音の記憶に喚起される。その逆もあるけど視覚の様々なイメージは音楽や"音"と繋がっている。パオロ・コンテは仕事のBGM向きではない。個人的な感傷を引きずっているからかもしれないけど。
最近の映画のサントラに入っていて突然FMから流れてきたから思い出した。
歯切れのいいイタリア語の語感がいい。ジャズ好きな御仁には一聴をオススメする。
最近はTVからビデオに録画することなんてないだろう。
観たい映画はレンタルの店に行けばいい。
ほとんどTVを点けることはないけどCSとか衛星放送とか入っていると使い方も違ってくるかな...。
L.ベッソンの映画は良く観るけど映画館に行くのは試写会の券や招待券を貰ったときくらいだ。
B級映画は部屋で横になって観るのが丁度いい。もしくはPCのモニターで観ることが多い。
最近はDVDがポピュラーになったから尚更だ(これはMP3の恩恵という口外し難いことなんだけど)。
大画面や音響、イスがちゃんとしている映画館なら価値もあるけどそれは都市部に限定されるからね。
話題作は公開前に観てしまう。居ながら鑑賞できればわざわざ映画館に行ってまで...と思ってしまう。
お金を払う代償のありがたみも薄れているし、感動に慣れてしまっているせいかもしれない。
映画館に行くことが特別なイベントでなくなってしまったこともあるだろう。
映画はもちろん演劇やコンサート等現場に居ないと得られない感動や感覚があることを忘れがちだ。
"居ながら"はお手軽だけど五感を麻痺させることを実感する。その分第六感が敏感になっているか?
同じような趣味の仲間と集まっても...
自分が拘っていることの話はほとんどすることがない。
同じ土俵の話は面白くない。なぜなら皆自分(の)が一番と思っているからだ。そこは不可侵な領分だ。だから違う分野の趣味の人と話をする方が楽しい。もちろん"独りで遊んでいる"というのが前提だけど。異業種交歓会てやつだな。立場が違えば物事の見方も違う、新しいアイデアも浮かぶってことだ。
どうも"バイク仲間"ってのは苦手だな。初対面で仲良くする共通項を探るのも変だし、かったるい。目的を共有する、例えば何処其処に集まって顔を合わせる...バイクで目的地に行くだけならいい。でもそれは他に何かがないとその気にならない。ま、コーヒーを一杯飲みに行くだけでもいいか。それも時間的な余裕がないといけない。平日は仕事、休日は家族サービスでそれどころじゃない...。
何かを割り切ったり、切り捨てたりしないと得られないモノでもないような気もするけど...。
専門誌を捲ると全然知らない単語が散乱している。
何が書いてあるのかちんぷんかんぷんだ。
当たり前のことだけど知らないことは沢山ある。だからいつまでも興味の対象には事欠かない。雑誌も半年も購読していれば理解できるようになる。要る要らない内容の判別は付くようになる。何かの役に立つだろう、と考えることはない。飽きっぽいし積層的な学習じゃないから知識は断片的だ。それでもいろんなことがこんがらがった経験を濾過すると事象を多角的に判断出来るようになる。もちろん"自分なり"だけど一つのことを突き詰めてやって来た人間には出来ない特技だと考える。
仕事はプロには敵わない。実行はプロに任せるのが間違いがない。でも何も知らないと話が出来ない。プロフェッショナルを見極めるには最低限の知識がいる。変なことを知っていると煙たがられるけど自分の技術や経験に自信を持っている人は懐が広い。知識の出し惜しみなんてことはしない(実際言葉が分からなくとも意志を伝えることは難くない。お互いに求めることを理解すればいい)。
仕事が多様化分業化すると温度差を埋める役割も必要だ。ついでに出来る仕事でもなくなってくる。誰かが不完全で居ることも意味がある。専門バカや器用貧乏にならないよう、お利口で不器用でいよう。
インターネットで情報が得やすくなったり
欲しいモノを容易に入手出来る便利な世の中だ。
ここ数年で趣味は一気に加速して同好者との交流やコレクションが充実したに違いない...。
人と会わず会話することなしに必要なモノも入手出来る。しかし本当に豊かになっているか。
コミュニケーションのタイムラグが無くなってストレスが軽減した一方でゆとりも無くなったようだ。
モノが溢れていることは豊かさの証左じゃない。バブル崩壊後の俄成金の顛末は教訓になっていないか。
物欲はもちろん余計な知識欲まで"ほどほどに"セーブしていないと振り回されてしまう。
PCのお陰で仕事の作業効率はアップしたけど拘束時間は変わらない。単に仕事量が増えただけだ。
仕事量が倍になって売り上げが2倍になっても疲労まで2倍になったりするから考えものだ。
知らず知らずのうちにペースが上がっている。目的地に急ぐ必要もないからスピードダウンしてもいい。
情報の選別と咀嚼に長けるのが良いとは限らない。本当に大事なことは僅かだから傍観してみよう。
勘違いしないこと。身体を動かせば仕事をしているわけでもない。単にエネルギーの浪費かもしれない。
制約はあってもネット環境があれば何処にでも居られる。新しい世界に身を置くことは出来る。
でも人と会わなくとも人と話す機会が無くなっても、独りで生きていくことは出来ない。
結局その接点はいつも自分で繋げていないといけない。開かれた世界は外にあるわけではない。
人間何事もやっていれば慣れるものだ。
分数のインチサイズだって分かるようになる。
サイトもDreamweaverはまだしもJavascriptで作ったり、数基のキーボードの併用も慣れる。
もちろん興味のないことは手を出さないけど、先入観を持たなければハードルはないに等しい。
プロは生業のために余計なことも知らないといけないからアマチュアの方が純粋でいられるだろう。
通り過ぎた経験は良いことも悪いことも当たり前のことになる。でも好きなことは真っ直ぐでありたい。
目利きの目は本物だけを見ていないと育たない。デッサンの石膏像のようなもので素地が肝心だ。
昔ピンからキリまで知らないと全体が見えないと云われたことがあったけど、それはキリがないんだな。
ピンだけ見ていないと基準が曖昧になる。その他大勢はどーでもいい。融通は利かないけど
それが正しい。要らないモノは見ないこと、ベターではなくベストなものだけを見続けることだ。
年齢で人は判断出来ないし...
職業と趣味は関係がない(田舎だと外見でおよそ判断できるけど)。
マスコミや出版や広告-そんな業界に居るとカタギ(その基準は何処?)な生活が出来ない。
余計な情報や無価値な価値観に振り回されて変なバランスの人間になる。もちろん個人差があって
何を変と思うかも人それぞれだけどあまりフツーの人は居ない。そこが都会の面白さとも云えるけど。
趣味がスポーツかコレクション、旅行になってしまうのは日本人でいると仕方がないのかもしれない。
愉しみをどこに見出そうとするか、価値観と優先順位の違う人が沢山居るのが世の中だ。
日本では社会制度等からの制約は感じない。慣習からの柵もヨーロッパに較べたら無いに等しい。
ただ枠組みがないと何をしたらいいのか分からなくなるのも事実で、手っ取り早い趣味に走ってしまう。
特別な趣味を持たずにいっそ無趣味でもいいのに、寝転がってテレビを観るのが好きとは言えない。
生きる上で不可欠か、というとそうではない。それがないと自分がないなんてポーズでしかない。
こなすだけで疲れてしまうけど、体面やプライドに支えられて人間関係は上手くいくのかもしれない。
頑張ってもそうでなくとも自分が意識していればどちらでもいい。アベレージが高い必要はない。
何事も過ぎたるは及ばざるが如し、か。
ブツブツ言っていても自分のことを棚に上げてということはしたくない。
かといって聖人や聖職者でもないから書いていないことはテキトーでダメだと思って欲しい。
子供が居たら赤信号で道を渡らないけど、年金は払ってないから国民の義務を全うしていない。
言動に責任を持たないといけないから無口になるわけじゃないけど、SAVE DOINGなわけだ。
未来を見越しているわけでなく現状に振り回されていることもない。浮游感は不安なわけでもない。
出来ることや分かっていることを70%のチカラでこなすのは継続をもって100%に近付ける必要がある。
それより新しいことをやっていきたいと考える。力を出し切っていないと120%の結果にはならない。
人生まだ半分かもしれないけど、"ご教示やご鞭撻"はあまり身に付かないということが分かった。
ヒトの言うことに耳を傾けるのは自己責任で選択は本人の意志だ。
たとえ上手くいかなくとも後悔しても仕方ない。選んだ道がいつも正しい、と思うしかない。
鍵は秘密の数あるいは柵(しがらみ)の数だ、というのは以前に書いた。
アンティークの鍵(Key)を仕入れた。スケルトンや鉄扉用のものもあるけど70~80sの中古の鍵だ。GMやシボレーの四輪用、いずれにしても二度と相方と出会うことはないから本来の使い途はない。ただ使い込まれた鍵は趣がある。真鍮のエッジの取れた鈍い光沢がイイ感じだ。クラフト/工作用の素材のつもりだけど、そのうちのいくつかを\"何処にもない\"商品にすることにした。
キーホルダーに付けて販売する。昔のキーホルダーは途中で投げ出してそのまま大量に残っている。つまり「鍵付きキーホルダー」。付いてる鍵は使えないから使うカギ以外はキーホルダーってことになる。腰にジャラジャラぶら下げたいけど部屋のカギ1個しかないとか、安っぽい造りのものは情けない...なんて、思っている人もいるかもしれない(...という話を聞いたことがある)と勝手に対象を想定する。
ホントは秘密も柵もついでにお金もないけど、ありそーな方が大人っぽいじゃん?て感じ。至れり尽くせりのお仕着せは日本人の悪い癖だけど。
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【本日の写真】最近のキーホルダー
カチャカチャすると煩いけど鍵よりホルダーの数の方が多い...。
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昔半年仕事をして半年遊んでいた/何か作っているか"外回り"(外国ブラブラ)、時期があった。
景気が良かったこともあるけど器用に切り替えて"別のこと"が出来なかったせいだ。
これは今でも一緒で何かに取り掛かっているともう一方が疎かになる。ポツポツと
ヘルメットのリペアはやっているけど自分のバイクには手を付けられない状態だ。
FT250は人任せだし...。飽きっぽい性格?モノを作っていても一点集中じゃなくて
あれもこれもちょっとずつどれも未完成だ。実際ここで完成ってことがないから
同時期に仕上がって、カラッポになって次~!ってことになる
(Macユーザーだからでもないけどこれを私は勝手に"マック体質"と呼んでいる)。
ま、動かないバイクの進行状況を見れば分かるか...。納期は決まっていないし予算もない、
それ以前に仕様すら確定していないけど。曖昧でルーズで(怠慢ではない)気負わない方がいい。
急がない、焦らない、(死んで)間に合わなかったらそれまでさ。
やる気が見えないねぇ...。信条は"覇気"じゃなかったっけ?